【A4studio】総工費540億円「羽田イノベーションシティ」がガラガラ…そもそも「天空橋エリア」はどのような場所だったのか、その意外な成り立ち

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「羽田イノベーションシティ」がガラガラ状態

年間9000万人以上もの旅行客が行き交う羽田空港。この利用者数は国内最大であるだけでなく、「CNN.co.jp」の公表した「世界の空港の旅行客数ランキング2025年版」でも2位にランクイン。まさに“日本の玄関口”といえるハブ空港だ。

しかし、すぐ側に位置する天空橋エリアの開発について、その成果を疑問視する声が漏れ聞こえてくる。

天空橋駅は京急空港線と東京モノレールが通っており、空港のターミナル駅の1駅隣り。この好立地が見過ごされるはずはなく、大規模な開発が行われ、2023年にはライブハウス「Zepp Haneda」や飲食店、ラボなどが入った複合施設「HANEDA INNOVATION CITY」(羽田イノベーションシティ)の開業を中心に、駅周辺は変貌を遂げた。

総工費540億円ともいわれた一大プロジェクトで、羽田空港を利用する多くの旅行客を呼び込む新しい人気スポットとなるはずだったが――。

天空橋駅に訪れた人々は、感想として以下のようなコメントをネットに投稿している。

《久々に天空橋に来たわ…。色々新しく出来てるけど、ガラガラだな…》

《天空橋駅に直結する複合施設、羽田イノベーションシティ。先端技術や日本文化の発信拠点としても期待されたが…ガラガラ…お客がいない》

《羽田イノベーションシティ、綺麗な建物いっぱいあるのに真っ暗で何もやってなくて、未来のゴーストタウンみたいだ》

巨額を費やして生まれ変わったにもかかわらず、「ガラガラ」「ゴーストタウン」といった印象を持たれているのだ。

実際、今年の始めに筆者が訪れたときにも、天空橋駅を出て「HANEDA INNOVATION CITY」周辺を歩いてみたが、人通りがほとんどなかった。延床面積約13万m2超えの「HANEDA INNOVATION CITY」の大きなビルは夜目でも存在感があったが、何より周辺の静けさに驚いたことを覚えている。

いまだ多くの人々を呼び込むには至っていない天空橋エリアの再開発について、なぜこのような結果となっているのか、その歴史的背景やコンセプトの点から考えてみたい。今回、建築エコノミスト 兼 建築アナリストの森山高至氏に話を聞いた。(以下、「」内は森山氏のコメント)

そもそもどのような地域だったのか

この開発について語るとき、まずはエリアの歴史をひも解くことで、背景が見えてくると森山氏は語る。羽田空港に隣接しているという最大の特徴を持ち、空港とは切っても切れない関係であっただろう天空橋だが、どのような歩みを辿ってきたのか。

「そもそもこの辺りは昔、漁師たちが住むような海沿いの街だったのですが、実は現在の場所に移る前、空港はこの天空橋エリアにあったんです。

民間で遊覧飛行を営んでいて、その用地が前身である東京飛行場になりました。戦後、占領下の日本にきちんとした飛行場を造ろうとしていたアメリカが目を付け、まだローカル規模だった飛行場の拡張に着手します。

1952年には東京国際空港と改称し、“空港の街”としての天空橋の本格的な歩みが始まりました。当時は空港関係者が多く住み、燃料基地などもある、いい意味で職住合わさる雑多な街だったと聞きます。ちょうど築地市場の場外のようなイメージでしょう」

「天空橋」が迫られた決断

風光明媚な漁師町から、国内最大規模の空港を有することになった天空橋だが、やがて訪れた転機により決断を迫られることになる。

「空港の需要が高まっていったことで、1980年代半ばから沖合拡張が始まり、1993年にはより規模を拡大すべく羽田空港は現在の場所へ移転することに。空港を失った天空橋は街を作り直す必要がありました。

その際、羽田空港とは反対の位置に近接する大鳥居や穴守稲荷のような“住宅地”にするのか、それとも“羽田空港のお膝元”として空港に付帯する街にするか、大きく分けるとその2択になっていたのです。

穴守稲荷の辺りは名前の通りお稲荷さんが鎮座していたり、下町の雰囲気が残っていたりと、もともとの天空橋の姿に近いものがありましたが、結果として空港に付帯していく方向性が選ばれました。昨今の開発はここから繋がっているのです」

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