僕らを捨てて若い秘書と逃避行した母が、フラれてあっさり戻って来た…それでも父は「ここにいればいい」 「女性の不気味さ」を知った40歳夫が選んだ“交際ゼロ日婚”
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誰にも言えず「墓場まで持って行く」秘密を抱えている人は少なくない。自分でもなかったことにしようと意識し続けて、遠い過去の引き出しに整理されていくこともあれば、絶対に開けないと自ら鍵をかける場合もあるだろう。
だが、秘密はふとしたことで、それをいちばん知られたくない人に知られてしまうことがあるから恐ろしい。今度は知った人が苦悩を抱え込む。
「僕は妻の重大な秘密を知ったとき、そんなこともあるさと思えなかった。人間として器が小さいのだろうかと悩みました。許せないというわけではなく、妻がそういう人間だったということにショックを受けたんだけど、当の本人は何も言わない。逆に自分を見つめ直す機会にはなったのかもしれません」

山片浩樹さん(40歳・仮名=以下同)は、ときどきため息をつきながらそう言った。本来は「もっと明るい人間だった」し、「うじうじ悩むタイプではなかった」のだが、ここ数年、いつでも心の中に重い鉛を抱えているような気分だったという。
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家庭崩壊しかかって
浩樹さんが結婚したのは30歳のときだ。相手は職場で向かいの席に座っている2年先輩の里緒さん。彼女は5人チームのリーダーだった。
「同じ課に、あとふたつチームがあったんですが、僕らのチームがいちばん仲がよくて仕事も活発だった。課長がいつも『ここは楽しそうだなあ。大学のサークルみたいだ』と言っていましたが、成果を上げていたから文句も言われない。その中心にいたのが里緒でした。僕は28歳のときにそのチームに配属されたんです。当時は営業からの異動だったから、なんとなく降格になったような複雑な気分だったけど、慣れてきたらチームのよさがよくわかり、会社に行くのが楽しみでならない日々でした」
そもそも浩樹さんにとって、その職場は望んだものではなかった。両親と5歳違いの姉のいるサラリーマン家庭に生まれ育ち、母は彼が小学生になるころから家で塾を始めた。それがなぜか近所で評判となり、数年後には近くに教室を借りて塾を経営するようになった。どうやら母の年収は父のそれをはるかに超えていたらしい。
「僕が中学生になるころには、家庭は崩壊しかかっていました。母は塾経営で忙しく、帰宅が遅い。高校を出たばかりの姉は男と同棲を始めて帰ってこない。父だけは定時で帰ってきて、僕に夕飯を作ってくれた。そのうち僕も料理をするようになって、男2人、ポツポツとしゃべりながらよく食事をしましたね。こう話すと家庭的に恵まれていなかったように聞こえるんだろうけど、実はその逆で、僕はあの数年間は父とじっくり語り合えてよかったと思っているんです」
秘書と逃避行した母
母と違って地味な存在だったが、父は実直で心のきれいな人だったと浩樹さんは言う。彼が高校を卒業して大学に進学するころ、両親は離婚した。父は自宅に残り、母は出ていったのだが、その後、塾を手放して若い秘書と逃避行したという。
「笑っちゃいますよね。でも僕が小さいころを思い出しても、母は誘蛾灯みたいな人だった。きれいというより華のある人なんですよ。何でも引きつけちゃうんです。そんな母のそばにいる父は案外、楽しそうだったという印象がある。実際、当然というか何と言うか母は1年後には若い秘書に振られて戻ってきたんです。父は『行くところがなければ、ここにいればいい』と言ったんですって」
その話を、浩樹さんはのちに母から聞いたそうだ。彼は大学入学と同時に家を離れたので、父はひとりで寂しいから母を受け入れたのだろうと思っていた。それでも「おとうさんはあんなおかあさんを許せるのかよ」と怒りをぶつけたことはあった。
「だけど夫婦のことは夫婦にしかわからない。大学生の僕もそれ以上、両親のことに口出しはしなかったし、一緒に住んでいないのをいいことにほとんど帰らなくなりました」
再びの実家「おとうさんは、あなたたちに殺されたようなもの」
再び実家と接点を持ったのは、ちょうど就職活動真っ盛りのころだった。まだ50代だった父が出勤途中の駅のホームで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。報せを受けて実家に戻ると、小さな女の子を連れた姉がいた。
「姉は未婚のまま母親になっていて、母は離婚した夫の自宅にいて、急死した父は搬送された病院から戻ってきたところでした。なんともシュールな雰囲気というか。3人で顔を見合わせたとき、誰からともなく『なんだこれ』という言葉が出て、『ふふっ』と不穏な笑いが洩れていた。父を思うと怒って当然なんだけど、怒る気力もありませんでした。『おとうさんは、あなたたちに殺されたようなものかもね』と嫌味を言うと、母も姉もシュンとしていました。その姿を見て、自覚がないわけではないんだなと思いましたが」
今もそのときのことを思い出すと苦い笑いがこみあげてくると浩樹さんは言った。壊れた家族は、浩樹さん言うところの「いちばんまっとうな」父の死をきっかけに、なんとなくまとまるようになったそうだ。
「あの時点で、女性の不気味さというか女性のわけわからなさみたいなものを、僕は心にたたき込んだはずだったんですけどね……」
出遅れた就活
そんなこんなで就活に身が入らなかった。というのは言い訳みたいなものだけど、と彼はつぶやく。父のようにサラリーマンになっても定年を待たずに命の火が消えることもあるし、母のように事業主になっても自ら手放すこともある。何を信じたらいいかわからなかった。
「まあ、それでもとりあえず食べていかなくてはいけない。仕事に人生を賭けるのではなく、生活のために仕事をしようと思いました」
出遅れた就活だったので大手企業を望んでも無理な話。中堅企業で、これから伸びそうなところ、高すぎず低すぎない給与を出してくれるところを探した。ようやく内定をもらったのは卒業3ヶ月前だった。
「入社した会社は、当初、新卒を採らない方針だったようです。でも新卒を採らないのは企業としてどうなのかと社内で議論が起こって、結局、ひとり採ることにした、と。『今からじゃいい学生はいませんよね』と思わず面接で言ってしまったら、役員たちが『そちらも同じ思いでしょう』って。なんだか和やかな面接を終えた瞬間、『来てくださいよ、うちに』と言われたんです。え、そんな簡単でいいのと思いましたが、他に行くあてもないのでその場で『ありがとうございます』って。これも縁なんでしょうね」
すんなり決まった就職だったが、「仕事」というものはそう甘くはなかった。アルバイトはいくつも渡り歩いたが、正社員として雇われた限りは期待に見合うだけの仕事をしなければならない。社会人って大変だと改めて感じたという。
それでも次第になじんでいき、里緒さんのグループに配属されたときには「それなりに期待されていたと思う」と言った。やる気いっぱいの若いチームは言いたいことを言い合って切磋琢磨を繰り返していた。
交際ゼロ日婚
そんな中で、里緒さんとはよく一緒に食事をしたり飲みに行ったりした。彼女の仕事のやり方は時として無謀だったが、ゴール設定からの逆算の計画性がすごいと彼はいつも思っていたという。
「強引だし無茶だしという側面はありましたが、それをみんなで埋めあいながら進めていく快感がありました。彼女自身、現実主義というよりは少しロマン派なんですかね、常に理想に一歩でも近づきたいという生き方をしているように見えて、そこはけっこう影響を受けました」
ともに仕事を重ねていくと、相手の人間性も見えてくる。大胆にして繊細、決断は早いけどあきらめが悪いと彼女は自己分析をしていた。「おもしろい人」という興味から、「大事な人」に変わるのはそう時間がかからなかった。
「僕が30歳になったとき、チームと課長が誕生日を祝ってくれてみんなで一緒に食事をしたんですが、『ほしいものはないのか』と課長に聞かれて、『里緒さん』と答えたんですよ。みんな冗談だと思って笑ってたし、僕も冗談交じりだったんだけど、当の里緒さんが『いいよー』って。そこから一気に結婚が決まっちゃいました」
交際ゼロ日婚である。数日後には婚姻届を提出した。さすがにチーム内に夫婦がいるのはどうかと彼は考え、異動願いを出したが却下された。
「大人だから職場でべたべたするわけでもないだろと課長に言われて……。そういえば僕たち、同居の計画もなかったので、周りは偽装結婚かと笑っていましたね」
ただ、偶然、ふたりの住まいは近かった。自転車で15分ほどだ。いきなり同居するより、まずは恋人関係を楽しもうということになり、別居婚がスタートした。
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記事後編では、浩樹さんが妻の「重大な秘密」に直面するまでを紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
