新宿“唯一の”ボウリング場が閉店。指のない客、トイレに注射器…最後の支配人が見た歌舞伎町の変遷
一方、2000年代初頭には東京都の石原慎太郎知事(当時)が「歌舞伎町浄化作戦」を掲げ、違法営業や反社会的勢力の排除を進めた。街の姿も徐々に変わっていった。
「25年ぐらい前は反社会的勢力の方も多くいました」
当時、新宿コパボウルではボール販売も行っていた。
「小指や薬指がない方もいて、3本の指で投げられるように特殊な開け方をしたこともありました」
トイレに注射器が落ちていることもあったという。
ただし尾見さんは、当時を単純に美化するつもりはない。
「昔は怖さやディープさがありました。でも今は誰でも来やすい街になったと思います」
◆映画館が変えた街並み…境界線が消えた
歌舞伎町が変化するきっかけの一つになったと尾見さんが考えているのが、2015年に開業したTOHOシネマズ新宿だ。
「TOHOシネマズができたことは大きかったと思います」
かつて新宿コマ劇場があった場所に映画館ができたことで、歌舞伎町を訪れる層も変わったという。
「アルバイト面接で『歌舞伎町によく来るの?』と聞くと、『映画館には来ます』という答えが返ってくるんです」
以前は高校生が歌舞伎町へ遊びに来ること自体が珍しかったが、現在では映画や食事を目的に訪れる若者も多い。
「僕が高校生の頃だったら、歌舞伎町でボウリングなんて考えられなかったですよ」
尾見さんは、街が安全になった一方、かつてあった独特の境界線も薄れたと感じている。
「昔は一歩踏み込むのが怖い感じがありました。でも今は、新宿と歌舞伎町の境目もなくなっている印象があります」
◆「最後のボウリング場」が消える意味
かつて歌舞伎町には、シネシティ広場を中心に4店舗のボウリング場があった。しかし、時代とともに次々と閉店し、最後に残ったのが新宿コパボウルだった。
「寂しいですよね。ボウリングって、家族でも職場でも学生でも、夜の街で働く人でも、みんなが楽しめるものなんです」
新宿コパボウルが重視してきたのも、本格的な競技としてのボウリングより、気軽に楽しめるエンターテインメントとしての側面だった。
「うちはスコアを競うというより、みんなでワイワイ楽しむ場所でした」
客層も時代とともに変化している。
「今はオンラインゲームが強いですよね」
尾見さんは、自宅にいながら友人と遊べる娯楽が増えたことも、深夜に繁華街へ遊びに来る若者が減った一因ではないかと感じている。一方、歌舞伎町では「トー横キッズ」と呼ばれる若者たちの存在が社会問題として知られるようになった。
