トヨタの「おやじ」、辞めようと思った鍛造工配属…「もっといいものを作ろう」気づけば生産現場一筋60年
[おやじの教え(上)]
トヨタ自動車で「おやじ」として親しまれている河合満・元副社長(78)が6月に役員のエグゼクティブフェローを退き、読売新聞のインタビューに応じた。
生産現場一筋で過ごし、トヨタの発展や技術の進化を見続け、将来を担う人材育成にも取り組んだ60年間を振り返った。「おやじの教え」を3回に分けて紹介する。(鞍馬進之介)
好きじゃなかった勉強
中学校の時は学校の勉強があまり好きじゃなかった。ただ、夢中になって物を作るのは大好きだった。高校は行かずに大工か、すし職人になるって希望していた。おふくろからは高校行けって言われた。トヨタで働いていて、45歳で亡くなった親父のあとを継ぐということで、トヨタ技能者養成所へ入りたいと伝え、受けたらたまたま合格できた。
1年生の時の工場見学で見た鍛造と鋳造の製造現場は、めちゃくちゃ汚かった。すすだらけで、10メートル先がかすんで見えないくらいひどい。ものすごく暑くて火の粉がいっぱい出ていて怖くて、鍛造と鋳造だけは絶対行かないと決めていた。ただ、2年生になる前に、鍛造部鍛造工への配属が決まり、もう会社を辞めようと思った。
叔父と父親の上司が説得に来て職場を替えてくれようとしたけど、人の手を借りるのは嫌だったので、鍛造をずっと続けると決めた。
過酷な現場
鍛造の現場は、夏はすごく暑い。丸い鉄の材料を炉の入り口に入れて、真っ赤に焼いたものを出して、プレスやハンマーを使って手作業で打つ。本当に熱風が来る。当時クーラーもあるわけない。30分仕事をすると、もう汗も出きって出ない。額や体を触ったら塩でザラザラする。
そのときに、大きなモーターがついた扇風機の羽根にホースから水を落として「ミスト扇風機」にした。僕は60年前に、特許を出しておけば、特許権を取れたね。ただ環境は今では想像できないくらい過酷だった。
もっといいものを…鍛造一筋
なんで今まで60年も鍛造をやれたのかと聞かれるけど、それはもの作りって、本当に面白いからだ。奥が深い。手作業で作ると、人によって出来がみんな変わる。「もっといいものを作ろう」といろいろ考える。
僕は結局、勉強が大嫌いだったけど、その道その道に行くと、できないことを何とかできるようになるために、人に聞きに行ったり、マニュアルを読んだり、本を読んだり、勉強する。あんなに勉強が嫌いだったにもかかわらず、勉強した。今はネットとかで調べられるけど、昔はなかった。だからみんなに聞いたり、昔の技術の資料を読んで調べたり。そういうことをずっとやってきた。
鍛造って一品一様で、同じ手順で作ったって同じものができない。だからその度ごとに、そういうものを考えなきゃいかん。品質も設備もそう。材質もアルミへと変わり、昔は全部手作業だったプレスも自動機になり、工法も変わる。今も、アルミの溶接なんか、鍛造からいうと考えられない仕事をやっている。
毎日が挑戦
周りの人は、「単に打っているだけの単純な仕事」と言うけど、単純な仕事なんて一個もない。単純に思うかどうかは、その人の問題意識だ。探究心があったら毎日、挑戦なわけよ。宇宙に行くという夢や挑戦とは違うけど、日々、時間ごと、もう全て挑戦。
うまくいったときは楽しい。一つの目標や挑戦がうまくいくと、自分が成長できたような気がする。自分が成長すると、やりがいが生まれる。うまくいくまでは苦しいけど、できたときの心地良さを考えたら、いろんなことをする。それが、むしろ楽しい。
お風呂が「スイッチ」
僕のスイッチは朝6時にこの工場に来て「鍛造温泉」に入ること。1時間みんなで風呂に入る。それがスイッチなんだよ。だから、朝風呂から出たら全力で仕事をする。それはもう60年以上ずっと変わらない。今考えると、このルーチンをよくここまでやってきたと思う(笑)。
