《超年の差婚》18歳で41歳年上の“伝説的漫画家”と出会い→結婚後に認知症が発覚→10年以上介護生活…女性漫画家(44)が明かす、馴れ初め秘話〉から続く

 28歳のとき、41歳年上の伝説的漫画家・真崎守氏と結婚した漫画家の恋池りもさん(44)。結婚から3年後には真崎氏が認知症を発症し、10年以上、介護と仕事の両立を続けている。

【画像多数】「見た目はヤクザみたい」41歳年上の“伝説的漫画家”と、“可愛らしい”女性漫画家の貴重な夫婦2ショットを見る

 そんな2人の「年の差婚」のリアルや、認知症が判明してからの日々を綴ったエッセイ漫画『だからわたしは41歳年上の夫と暮らしてます』を上梓した恋池さんに、「大家と下宿人」として生活を共にした結婚前の日々などについて、話を聞いた。(全5回の2回目/3回目に続く)


漫画家の恋池りもさん ©佐藤亘/文藝春秋

◆◆◆

すごい父親っ子でお母さんが目の前にいるのに「お父さーん」と叫んでいた

――夫の真崎守先生は恋池さんの41歳上とのことですが、昔から年上の男性の方が話しやすかったとかってありますか。

恋池りもさん(以下、恋池) どうだろう。でも、すごい父親っ子ではありましたね。

 小さいときから父に懐いていて、2歳くらいのとき、どっかに頭をぶつけて「わーん」って泣いたらしいんですけど、お母さんがすぐ目の前にいるのに「お父さーん」って叫んでいたそうで、母は「ショックだった」と言ってました(笑)。

――恋愛面でも、年上の方に惹かれることが多かったですか。

恋池 あんまりお付き合いしたことがなかったんで、それはよくわからないです。

 ただ、私は長女で下に3人きょうだいがいるんですけど、クラスの男子が騒いでいると自分の弟みたいに見えちゃって、幼く感じてしまうことはありましたね。

「お前それ、おれんちの隣じゃねえか!」真崎先生の家の近くに引っ越した理由

――漫画の専門学校を卒業後、講師だった真崎先生の家の近くに引っ越しされたそうですが。

恋池 先生に引っ越したことを話して拒絶されたら困るので、勝手に決めました(笑)。どう考えても先生は私より先に死んじゃうから、「とにかくずっと一緒にいなきゃ」と勝手な使命感に駆られていて。

――真崎先生の反応は?

恋池 卒業後は学校の近くに住む卒業生が多かったので、先生が「お前も学校の近くに越してくるのか?」って訊くから、「いや、遠いんですよ。●●駅なんです」と言って。

――●●駅というのは、真崎先生の家のすぐそばの駅。

恋池 いきなり近くに住んだら怯えるかなと思ったんで、あえて隣の駅に越したんですけど、そしたら先生が一瞬固まって、「●●駅……お前それ、おれんちの隣じゃねえか!」って、初めて見るくらい動揺してて。

「先生には妻子もありました」離婚してると思い込んでいたが…

――驚きつつも嬉しそうというか。

恋池 まあそうですね。嬉しそうではありましたけど、ちゃんと線を引く人だったんで。私から先生のことをいろいろ聞くことはあっても、向こうは一切、学生である私のプライベートには踏み込んでこなかったです。

 当時は20年くらい家庭内別居していたそうですが、先生には妻子もありましたし。

――結婚されていることは前から知っていたんですか。

恋池 専門学校のときの授業でもちょいちょい、「俺は結婚、失敗してるから」みたいなことは言ってたんです。だから私は離婚してると思い込んでて、「先生がこの先1人だなんてかわいそうだから、私が絶対に一緒にいよう」という感じでした。

「今思うと、先生は浮かれてたんだと思います(笑)」

――真崎先生の家の近くに引っ越したことで、より頻繁に会うようになる。

恋池 引っ越した日に高熱が出ちゃったんですけど、ちょっと可哀想ぶって先生に、「今引っ越してきたんですけど、熱が出ちゃって……」って連絡したんです。

 そうしたら食べ物とか、熱があるのにお祝いのケーキとかいろいろ持ってきてくれて。で、その家がすっごい狭かったんですけど、家を見た先生が「お前は寝てろ」と言って、棚を買ってきて狭い台所に取り付けてくれたんです。今思うと、先生は浮かれてたんだと思います(笑)。

――そうでしょうね。

恋池 わりとすぐ先生のお家も紹介してくれて。まさに今、その家で一緒に暮らしているんですけど、2世帯住宅みたいな作りになっていて、「1階に家族がいるけど、2階は仕事部屋だからいつでも来ていいよ」と。

 そんな感じで卒業してから5年くらいは、相談がある度に先生の家にチャリンコで行ったりしてたんですけど、そのうち、下に住んでいるはずの家族の気配が感じられなくなって。どうやら先生のご家族が出て行っちゃったんですね。

引っ越そうと考えていたら「家の下が空いているからそこに住め」と言われ…

――先生のご家族とは面識はあったんですか?

恋池 1回、ばったり会ったような気がします。でも、私以外にも卒業生とか仕事関係の人とか、いろんな人が先生をたずねてきてたので、全然気にしてるような感じではなかったかな。

 その後、私が猫を飼える家に引っ越そうと考えていたら、先生が「だったら家の下が空いているからそこに住め」と言ってきて。

――先生が大家さんで、下宿人として恋池さんが同じ家の階下に住む形なわけですね。

恋池 そうです。「家賃はいらない」と言ってくれたんですけど、それはちょっとなと思って、「家賃として月4万円は入れます」って。

 先生は「払いたきゃ払えば」って感じだったんですけど、私が渡していた家賃をずっと使わずに取っていたみたいで、結婚したときに先生から全額返されました。

「いつか突然戻ってきたらどうするの?」に「大丈夫だから!」の一点張り

――先生からの下宿の提案は嬉しいものでした?

恋池 嬉しいというより、戸惑いましたね。だって、下に住んでいたご家族がどうなったのか、こちらは全然わからないんで、「いつか突然戻ってきたらどうするの?」と。

 引っ越しの手伝いにきてくれた両親も、「うちの娘は下の住人の方が帰ってきたら放り出されるんですか?」って先生に聞いてましたから。

――はっきり説明してくれないわけですか。

恋池 「大丈夫だから!」の一点張りで、全然説明してくれなくて。「大丈夫って何が?」なんですけど、言葉が強いから説得されちゃって。私もうちの親も、なされるがままの人たちって感じでした(笑)。

 先生は現役時代もすごく押しが強かったみたいで、「この表現はちょっと……」って交渉に来た編集さんが、最後はいつも先生に言いくるめられて帰っていったらしいんで。

「ご飯は一緒に食べてましたけど…」“2世帯住宅”での先生との生活

――では1階に恋池さん、2階に先生と、それぞれ別に生活をしているような感じだったのですか。

恋池 本当に2世帯住宅って感じで、階段も家の中にはなくて外階段しかないので、別居に適した家っていうか(笑)。

 ご飯は一緒に食べてましたけど、掃除とかも各々やっていました。2階の先生の家には洗濯機がなかったんで、先生はいつも手洗いしてて。

――手洗い。

恋池 1階の私は優雅に洗濯機を使って、先生は台所にタライを置いて洗濯してました。料理も上手だったし、モノは捨てられないタイプではあるけど整理整頓もちゃんとしてて。生活力はめちゃくちゃありました。認知症になってしまった今でも足腰は強いですね。

「とにかくいつ妻子が戻ってくるのか…」下宿人生活での不安

――先生、戦中生まれですよね。

恋池 小さいときの記憶で印象に残っているのは、横浜大空襲を受けて、自分の育った町が真っ赤に染まった光景なのだそうです。だから漫画評論家としてのペンネームが「峠あかね」なんです。

 戦時中はヘビも食べてたらしく、その名残なのか、ハツの煮込みとかあんこう鍋とか、作ってくれる料理も独特でした。

――下宿人としての生活は快適ではあった?

恋池 先生との関係は変わりなかったですけど、とにかくいつ妻子が戻ってくるのか不安でしたね。すごく広い部屋だったんですけど、大きい家具とかテレビとかを買い揃えることもできなくて。

――急に退去する可能性も考えて。

恋池 そうそう。いつ1Kの部屋に引っ越してもいいように、タンスも買わず、ポリプロピレンの安っぽい衣装ボックスでずっと過ごしてて。だから部屋がスッカスカで、ずっとさみしいうえに寒い(笑)。

 さすがに耐えかねて、下宿をはじめて2年くらい経った27歳のとき、ご飯を食べながらご家族のことを何気なく聞いたら、「ああ、出ていくときに離婚届を置いてったなあ」とか言ったんですよね。

「籍を入れませんか?」と先生に打診したワケ

――恋池さんが下宿する前には、離婚が成立していた?

恋池 そうみたいです。早く言ってくれれば家具もすぐ揃えられたのにって(笑)。

――離婚がわかったことで、結婚を考えるようになった?

恋池 「結婚」とか「夫婦」とかって発想がもともと全然なくて、とにかく一緒にいようっていう強い意思だけがあったんです。

 で、「奥さんと離婚した」っていう言葉を先生から聞いたときに初めて、「一緒にいるためには“結婚”って形がいいんじゃないか」とひらめいたというか。

 それで「籍を入れませんか?」と先生に打診したんですけど、先生にとっての「籍を入れる」っていうのは、「養子縁組」だったんです。

撮影=佐藤亘/文藝春秋

〈69歳の“伝説的漫画家”に逆プロポーズ、相手からは「結婚は無理。常識を考えろ」と…“41歳差婚”をした女性漫画家(44)が、それでも結婚できたワケ〉へ続く

(平田 裕介)