大河ドラマ『豊臣兄弟!』織田信孝、市、柴田勝家はなぜ秀吉に敗れたのか、「敗者」から見える天下人の強さ

岐阜城(写真:years/イメージマート)
2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長にスポットライトが当てられ、そのユニークな視点で話題を呼んでいる。天下人となる秀吉(演:池松壮亮)を、秀長(演:仲野太賀)は右腕としていかに支えたのだろうか。第31回「これで、お別れにございます」では、清須会議後に勢いが増すばかりの秀吉を警戒し、織田信長の妹・市は柴田勝家のもとに嫁ぐことに。また信長の三男・信孝は幼い織田家当主・三法師を岐阜へ連れ去るなど、主導権争いが激化し……。今回の放送の見どころについて、『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)
織田家の主導権を狙った信孝、「三法師留め置き」という勝負手
「歴史は勝者が作る」とはよく言ったものだが、歴史の教科書などで後世に広く伝えられるのは、どうしても勝者となった側の動きが中心となる。
だが、1年を通じて特定の人物にスポットライトを当てて、生涯を描く大河ドラマでは、主人公に立ちはだかる困難として、知られざる敗者側の動きも描かれやすい。『豊臣兄弟!』も例外ではない。
従来は「本能寺の変を受けて、後の織田家の当主を決める」ことが目的だとされてきた清須会議だが、実は次期当主については三法師(織田信忠の嫡男)に確定しており、その名代(みょうだい:後見人のこと)を決めるための会議だった──というのが近年の見方となっている。そう考えれば、三法師が滞在する清洲城で会議が開かれたことも納得がいく。
名代には、信長の次男である信雄や三男の信孝が有力視されたものの、話し合いの結果、後見役は置かずに、4人の重臣がまだ幼い三法師を補佐するかたちが決まった。
*前回記事【『豊臣兄弟!』三法師は「武田信玄の孫」なのか?清須会議とお市・柴田勝家の再婚に隠された史実を読み解く】参照
ところが、新体制は発足早々に瓦解した。象徴的な出来事が、三男の信孝による「三法師の留め置き」である。清須会議の話し合いによって「三法師は安土城へ移す」ことが決定。それまでは、三法師は一時的に岐阜城の信孝のもとに預けられることになった。
三法師を巡る信孝の誤算、秀吉に「攻める理由」を与える結果に
信孝のもとに預けられた理由として、今回の放送で信孝が「安土城は先の戦で焼け落ち、修繕もままならぬ様子。そのようなところに、織田家の当主たる三法師様にお住みいただくわけにはまいらぬ。しばらくの間、この岐阜城でわしがお守りいたしますれば、ゆるりと過ごされよ」と、三法師に説明。三法師が「うむ」と応じる場面があった。
実際に、丹羽長秀が天正10(1582)年8月11日に秀吉に書状を出して、三法師の安土移送が遅れていることへの意見を求めたときに、秀吉がこんな趣旨の返事をしている。
「信孝が預かっている三法師の安土城への転居がいまだになされていないのは、安土の普請ができていないからだと聞いている。貴所は安土に近いので、地元の普請はひとまず止めてでも安土の普請をすべきだろう」
信孝からすれば「安土城の普請が終わっていない」というのは理由づけに過ぎず、岐阜城下に、若き織田家の当主を置くことで、自身の影響力を高めようと考えたのだろう。ドラマでは黒田官兵衛が「おそらく信孝様はこのまま三法師様を手なずけ、その名の下に織田家を思うがままにするおつもりでしょう」と推測している。
もし、思惑通りに信孝が織田家で実権を掌握できれば、このときの判断は後世で広く伝えられたかもしれない。だが、そうはならなかった。
なにしろ相手は大局観に優れた秀吉である。そっちがそのつもりならば、と秀吉は大胆な手に出る。清須会議での決定を覆して、三法師が成人するまで、織田家の当主を次男の信雄へとスイッチすることにしたのだ。
放送の終盤では、秀吉が「これより岐阜に向けて、出陣いたす!」と宣言。史実においても、秀吉は信孝のいる岐阜城を包囲。信孝側は三法師を引き渡したうえで、信孝の母や乳母らまでを人質として、秀吉側に送ることになる。
三法師を手元に置くことで、起死回生を狙った信孝だったが、秀吉に攻める理由を与えただけとなった。
信孝・勝家を上回った秀吉、実力行使を支えた周到な政治手腕
これまでは信長のムチャ振りに兄弟で応える展開だったが、今回の放送では、矢継ぎ早に手を打つ兄に、秀長が戸惑う場面が多かった。
実際の秀吉も実権を掌握すべく、着々と事を進めていったようだ。天正10(1582)年8月、それまで目付として京都に置いていた桑原貞也(さだなり)を罷免。自らの縁者である浅野長吉・杉原家次を京都奉行として送り込んでいる。
そして前述したように信孝が三法師を安土へ移さないとなると、清須会議での決定を覆して、信雄を三法師が成長するまでの暫定当主に据えている。柴田勝家が堀秀政に宛てた書状で「清須会議の決定事項がたびたび変更されている」ことへの不満を表明し、秀吉の「独断専行」を名指しで批判しているが、当然だろう。
ドラマで、秀長が「このままでは孤立してしまうぞ!」と心配するのも無理はないが、その一方で、ステップを踏むべきところは踏んでおり、秀吉は天正10(1582)年10月18日、信孝方の家老に書状を送り、実質的に信孝へ自らの主張を突きつけている。
その書状は、信孝サイドの秀吉と勝家との間を取り持とうとする申し出を拒絶するものであると同時に、清須会議での決定を確認しながら、取り決め通りに、三法師を安土城に移さない信孝の行為を弾劾している。
さらに、信雄を暫定的に当主に据える際には、丹羽長秀と池田恒興の2人と会談をした上で、既定路線から変更している。勝家を外したことについては、11月1日に徳川家康の家老である石川数正に「柴田勝家が取り決めに背いて、織田信孝が謀反を企てたため」と説明している。
上記のように秀吉の行動は確かに大胆かつ早急なものだが、完全に周囲を無視したともいえず、その点は「三法師を自分のもとに置く」という信孝の強引さとは、一線を画するといえよう。
三法師を信孝から取り返したあと、秀吉は「新しい当主である信雄にくみしない」という理由で北伊勢の諸城に攻め込んでいく。そして勝家が江北に兵を出してくると、それを討つべく、「賤ヶ岳の戦い」の幕が切って落とされる。秀吉勢は勝家軍を撃破し、勝家を自刃に追い込むことになる。
賤ヶ岳の戦いで、勝家の敗北を決定づける一因となったのが、前田利家の戦線離脱だ。今回の放送の時点では、秀長から「我らは敵ではございませぬ。同じ織田家のお仲間でございます」と協力を求められても、利家は「明智を討ったからといって図に乗るではない! とサルに伝えよ」と冷淡な態度をとり、秀吉側と敵対する姿勢を見せた。
史実においても、利家は「賤ヶ岳の戦い」が始まった当初まで、勝家サイドに味方していた。だが、勝家は利家の心を最後までつなぎとめることができなかったようだ。そうした求心力の差も、勝敗を分けた一因だったとみることができるだろう。ドラマで利家の苦渋の決断がどう描かれるのかに注目したい。
「市」も秀吉に対抗していた、信長の法要を巡るもう一つの主導権争い
大河の解説記事を書いているため、ストーリーの進み具合や予告から、次回の内容を想像するが、今作の『豊臣兄弟!』はなかなか展開が読めない。
今回の放送では、信長の葬儀を秀吉が行うに当たって、秀長の裏方としての活躍が存分に描かれるだろうと考えていた。実際に葬儀の会場となった大徳寺には大勢の兵が警備にあたり、秀長がそれを率いたとされている。
だが、ふたを開けてみれば、むしろ秀吉の決断と実行力が強調される内容となった。
ドラマでは、秀長が「わしら上様のご葬儀を執り行うのじゃ。その喪主を三法師様とすれば、信孝もお連れせぬわけにはいくまい」と信長の葬儀を思いつき、秀吉が「ええ考えじゃの」と乗り気になったため、準備が進められる。
秀長からすると「三法師も含めて皆を一堂に集めて、いま一度、協力し合う」という目的からの発案だったが、意外な展開が待ち受けていた。
秀吉が葬儀を行うと知った市が、法要を先に妙心寺で決行。重要な人物たちは皆そちらに出席し、秀吉が主宰する葬儀には欠席する旨の書状が相次いだ。
事態を受けて「三法師様が来られぬのなら、取り止めるしかあるまい」とする秀長に対して、秀吉は「ならぬ。葬儀は行う」と動じることなく、あくまでも葬儀を行う決意を表明。織田信長の子で秀吉が養子として迎え入れた羽柴秀勝(於次秀勝)を喪主とすることを、秀長に告げて驚かせている。
「何のためにやるのじゃ。ただ力を見せつけるだけなら敵が増えるだけじゃ」という秀長に、秀吉は「葬儀を行うわけはただ一つ。上様への弔いにきまっておろう。わしは上様を盛大に弔いたい」と揺るぎない意志を見せた。
そして、史実と同様に、秀勝を喪主として葬儀を大々的に行い、自身の存在を広くアピールすることに成功する。
実際にも、天正10(1582)年10月に秀吉が大徳寺で信長の盛大な葬儀を執り行う前に、信長の妹・市が施主となって京都・妙心寺で信長の百箇日法要(卒哭忌)を営んだとみられている。
市は勝家とともに自害することになるため、勝家や信孝と同様に「秀吉に圧倒された側」ということになるが、市も事態を静観していたわけではなかった。
織田家の正統な弔いを誰が主導するかという、清須会議後の政治的駆け引きに市も関与していた可能性が高い。秀吉もまた判断を一つ間違えれば「織田家の乗っ取り」だと周囲からそっぽを向かれたかもしれず、油断できない状況だったといえよう。
敗者側の動きを描くことで、勝者側のすごみもまた際立つ。「信長の志を継ぐ」という秀吉の決意は並々ならず、もはや秀長すら止められないほどになりつつあることが、よく伝わってくる放送回となった。
次回「賤ヶ岳の決闘」では、今回解説したように、秀吉は信長の次男・信雄を味方にしながら、信孝との戦に圧勝。柴田勝家の軍勢と賤ヶ岳で対峙することになる。
【参考文献】
『豊臣秀吉』(藤井讓治著、ミネルヴァ書房)
『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』(和田裕弘著、中公新書)
『信長と消えた家臣たち 失脚・粛清・謀反』(谷口克広著、中公新書)
『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(河内将芳著、戎光祥出版)
『豊臣秀長』(シリーズ・織豊大名の研究14、柴裕之編著、戎光祥出版)
『豊臣秀長のすべて』(新人物往来社編、新人物往来社)
『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(真山知幸著、日本能率協会マネジメントセンター)
筆者:真山 知幸
