横浜高名将・渡辺元智氏死去 81歳 甲子園春夏5度制覇 教え子の村田監督、突然の訃報に「気が動転」
横浜(神奈川)を率いて春夏合わせて5度の全国制覇に導き、歴代5位タイの甲子園通算51勝を挙げた名将・渡辺元智(わたなべ・もとのり)さんが死去したことが17日、分かった。81歳だった。神奈川県松田町出身。葬儀・告別式は近く近親者で執り行う。1968年に母校・横浜の監督に就任し、73年選抜で初優勝。98年には松坂大輔(スポニチ本紙評論家)を擁して春夏連覇を達成するなど数多くのプロ野球選手を育て、日本野球界に多大な功績を残した。
希代の名将が横浜の7度目の日本一を見届けることなく、天国へと旅立った。あまりに突然の訃報。夏の甲子園大会でベスト8に残っているチームには、17日午前中に伝えられた。18日の花巻東との準々決勝に備えて午後に大阪市内のグラウンドで練習したナインは練習前に全員で黙とう。横浜を全国区の強豪に育て上げてくれた亡き名将へ手向けの日本一を誓った。
教え子の村田浩明監督は「本当に気が動転してます」と言葉を詰まらせた。高校時代から語り尽くせないほどの教えを授かり、厳しくも熱いサポートを受けてきた。「本当に助けてもらってばかりだった。監督さんの分まで甲子園に思いを持って、覚悟と使命感を持ってやっていきたいです。きっと天国で見守ってくださっていると思います」。夏は98年以来の日本一へ思いを新たにした。
渡辺さんは横浜から神奈川大へ進み、肩を痛めて野球を断念して大学も中退。野球への情熱は消えず、24歳になる68年秋に若くして横浜の監督に就任した。横浜時代に厳しい指導で知られた笹尾晃平監督の薫陶を受け、熱血指導でチームを鍛え上げて73年選抜で初優勝を飾った。
76年には教職を取るため関東学院大の夜間部に通い、後に社会科教諭として教壇にも立った。「大学に通って多様性を身につけたことでチームの和を大切にした」と教壇に立つことで唯我独尊の「渡辺野球」からも脱却。指導者として一回りも二回りも大きくなり、80年夏の甲子園で愛甲猛(元ロッテ)を擁して優勝した。
94年に野球部長に就任した小倉清一郎氏とは長年にわたって名コンビを組み、98年には松坂大輔を擁して無敵のチームをつくり上げ春夏連覇を達成。愛情を持って選手を育てて、和をもって最強のチームをつくった。
15年夏の監督勇退まで胃潰瘍や脳梗塞などを患ったが、体力強化を図って指導を続けてきた。退任後も度々グラウンドを訪れ、熱心に指導。この夏も神奈川大会準決勝などの観戦で横浜スタジアムを訪れ、野球、そして選手を育てることへの情熱は少しも衰えぬ姿を見せていた。数多くの教え子がプロ球界へ羽ばたき、名将が日本野球界へ残した功績は永遠に輝き続ける。(秋村 誠人)
◆渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日生まれ、神奈川県出身。横浜(神奈川)で外野手として活躍も在学中は甲子園出場なし。進学した神奈川大を右肩故障のため中退し、一度は工業会社に就職。65年から母校・横浜でコーチを務め、68年秋に監督就任。73年選抜で初出場初優勝し、80年夏に愛甲猛を擁して初優勝。98年は松坂大輔らで甲子園春夏連覇。神宮大会、国体も含め4冠、無敗の44連勝を記録した。06年の選抜で3度目の優勝。94〜95、04、11年には高校日本代表監督。甲子園通算51勝22敗。15年夏の神奈川大会を最後に勇退し、終身名誉監督を務めた。
