広島テレビ放送

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 戦後の広島サッカーを支えた下村幸男さんが、13日、94歳で亡くなりました。13歳で被爆し、戦後に出会ったサッカーとともに歩み続けた人生でした。

■下村幸男さん
「戦後の人生の始まりも、ある意味サッカーみたいなものもあるのでそこからずっと続いている。生涯サッカーになるのではないか。」

 戦後のサッカー界をけん引した下村幸男さん。13日、老衰のため94歳で亡くなりました。

 下村さんは自動車メーカー・マツダの前身、東洋工業でゴールキーパーとして活躍。日本代表にも選ばれ、引退後は指導者として代表監督も務めました。その人生を支えたサッカーとの出会いには、被爆の経験がありました。

 13歳の時、爆心地からおよそ1キロの地点で被爆。木陰にいたため大きなけがはありませんでしたが、一緒にいた同級生の多くが命を落としました。

■広島テレビ 有田 優理香アナウンサー
「生き残った同級生と原爆投下当時の話になる?」

■下村幸男さん
「全然しない。同級生に申し訳ない。自分で考えて生き残ったわけじゃない。たまたま色んな機会が巡りあって助かっている。」

 戦後、無気力な日々を過ごしていた下村さんが高校で出会ったのがサッカーでした。仲間とボールを追う時間が生きる希望になりました。

■下村幸男さん
「おおナイス!」

 自らを支えてくれたサッカーへの恩返しを続けた下村さん。80歳を超えても母校・修道高校のグラウンドに足を運び、後輩たちを見守りました。

 2024年、平和の象徴として誕生した広島サッカーの新たな聖地、エディオンピースウイング広島を初めて訪れました。

■下村幸男さん
「すごいなあ、考えられないなあ。選手はやりがいがあるでしょうね。」

 サッカーを生きる力に変え、その発展に生涯を捧げた下村さん「サッカー王国・広島」の復活を願い94年の生涯を閉じました。葬儀はすでに近親者のみで行われ、後日偲ぶ会が開かれる予定です。

【スタジオ】

■有田 アナウンサー
 戦前から続くサッカー王国広島の歩みが止まらなかった、これは下村さんをはじめ、多くの被爆を乗り越えた方々が頑張ったからこそ、いまの広島の高校サッカーがあるんだと感じました。

■森 アナウンサー
 広島が、旧サッカー御三家と言われていて、先人たちが今の日本サッカーにつながるような活躍をしてくれた。まさに礎を作った方々のそのおひとり。

■有田 アナウンサー
 下村さん自身は青春を取り戻そうとサッカーに打ち込んで、80歳を超えて取材していてもサッカーの話になると少年時代の戻ったかのように、キラキラしていてピースウイング広島に入ったときも「今の子たちも羨ましいな、これからもがんばってほしいな」そういった願いも話されていました。下村さんの思いはこれからも受け継がれます。

【2026年8月17日 放送】