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「父が認知症になったら、実家も預金も何も動かせなくなってしまうのではないでしょうか」──。15年前、80代の両親を案じた50代の長男・Eさんは、そんな不安を抱えて相談に訪れました。父親の資産は1億4,000万円超。しかし、その大半は自宅不動産で、自由に使える現金はわずか約300万円でした。そこで始めた「認知症対策」は、その後の家族の相続を大きく左右することになります。相続実務士・曽根惠子氏が実例をもとに解説します。

【相談者の事情】15年前に始めた「認知症対策」

「父が認知症になったら、実家も預金も何も動かせなくなってしまうのではないでしょうか」

今から15年前、50代だった長男のEさん(仮名)が相談に来られたときの第一声でした。

Eさんは県外で会社員として働いており、妹さんも結婚して別世帯で暮らしています。ご両親は80代となり、長年2人で生活していました。

ある日、久しぶりに帰省したEさんは、お父さんの変化に気づきます。歩行が不自由になり、物忘れも目立つようになっていました。医師から認知症のリスクについても話があり、「今のうちに何か手を打たなければ」と強く感じたそうです。

当時、多くの人が「認知症になったら成年後見制度を利用すればよい」と考えていました。しかし、成年後見制度を利用すると家庭裁判所の監督を受けることになり、不動産の売却や資産活用にも一定の制約が生じます。

Eさんが心配していたのは、まさにその点でした。

「父が認知症になったら、介護費用が必要になっても実家を売れなくなるのではないか」

「母だけで財産を管理できるだろうか」

「将来、子どもたちに迷惑をかけたくない」

相談は「認知症対策」から始まりました。

しかし、この時点では誰も、15年後、この準備が家族全員を支えることになるとは想像していませんでした。

1億4,000万円超の資産を保有、それでも「お金がない」理由

当時、お父さんの財産は自宅不動産が大半を占めていました。

・自宅土地 約1億2,500万円 ・建物 約150万円 ・預貯金 約300万円 ・生命保険 約1,200万円

財産総額は約1億4,000万円を超えます。一見すると、十分な資産を持っているように見えます。

しかし、実際に自由に使える現金は約300万円しかありませんでした。

財産のほとんどが「自宅」という、すぐには現金化できない資産だったのです。

さらに相続税を試算すると、約2,374万円。将来の納税資金にも不安がありました。

「土地はあるのに、お金がない」

これが、このご家族が抱えていた大きな問題でした。

父の認知症だけでは終わらない…家族を待ち受ける4つの課題

現在の問題だけではなく、10年後、20年後まで見据えて課題を整理しました。

第1の課題は、認知症です。

認知症などによって本人の判断能力が失われると、本人が自ら不動産を売却したり、契約を結んだりすることが難しくなります。

第2の課題は、老後資金です。

将来、介護施設へ入所することになれば、まとまった費用が必要になる可能性があります。

第3の課題は、空き家です。

将来、お父さんが亡くなり、その後お母さんも施設へ入所すれば、実家には誰も住まなくなります。

第4の課題は、二次相続です。

お父さんの相続でお母さんが財産を相続すれば、配偶者の税額軽減によって一次相続の税負担を抑えられる可能性があります。しかし、その財産をお母さんが持ったまま亡くなると、今度は子どもたちが相続する二次相続で、大きな税負担が生じる可能性があります。

つまり、

認知症」⇒「相続」⇒「空き家」⇒「老後資金」⇒「二次相続」

という一連の流れを、最初から考えておく必要があったのです。

目の前の税金だけを見るのではなく、家族の将来まで含めて財産のあり方を考える。そこが、単なる節税対策と「相続設計」との大きな違いです。

父から母へ、その先までつなぐ「民事信託」を設計

そこで、提案したのは、お父さんを委託者、長男のEさんを受託者とする民事信託契約でした。

契約では、

・お父さんが認知症になっても、長男が財産管理を続けられること

・必要に応じて不動産を売却・活用できること

・売却代金をお父さんの生活費や介護費に充てられること

・お父さんが亡くなったあとも信託を終了させず、お母さんを受益者として承継すること

・お母さんの生活や介護を支えながら、将来の二次相続まで見据えて財産を管理すること

までをあらかじめ設計しました。

その後、お父さんが亡くなり、信託契約で定めたとおり、財産から利益を受ける権利である受益権はお母さんへ承継されました。

お父さんの相続では配偶者の税額軽減を適用したため、一次相続での相続税の納税はありませんでした。

ここで重要なのが、信託財産の名義と権利関係です。

信託した不動産は登記上、受託者である長男の名義になります。しかし、財産を長男が自分のものとして取得したわけではありません。

長男はあくまで財産を管理・運用する立場です。一方、財産から利益を受ける権利である受益権は、お母さんが持っています。

つまり、長男が管理しながら、お母さんのために財産を活用できる状態になっていたのです。

【母の施設入所】空き家になった実家を約1億1,500万円で売却

さらに年月が経ち、お母さんも施設へ入所することになりました。

実家は空き家となりましたが、信託契約が継続していたため、長男は受託者として速やかに売却を進めることができました。

売却価格は約1億1,500万円。譲渡税などを差し引き、約9,944万円を確保しました。

しかし、私たちは「自宅を売って現金化できたから終わり」とは考えませんでした。

売却代金は、あくまでお母さんのために管理される財産です。

そのまま預貯金で保有すれば、お母さんの二次相続時には、現金としてそのまま相続税評価の対象になります。

そこで、売却代金の一部を使い、都心の区分マンションへ資産を組み換えることを提案しました。

この資産組み換えは、お父さんの相続対策として行ったものではありません。

お母さんの二次相続を見据えた対策です。

介護費用として使える資金を確保しながら、家賃収入も得る。そして同時に、相続税評価額を圧縮する。

老後資金の確保と相続税対策の両方を目的とした資産設計でした。

相続税は約2,374万円から約116万円へ

今回の相続設計によって実現したのは、単なる節税ではありません。

お父さんの認知症対策から始まり、お母さんの老後、さらに二次相続まで、約15年にわたって財産管理を切れ目なく続けることができました。

具体的には、

・お父さんの判断能力が低下しても、信託した財産の管理を継続できる体制を整えた

・成年後見制度を利用せず、長男が受託者として信託財産を管理できた

・お父さんの相続では、配偶者の税額軽減により一次相続の相続税負担を抑えることができた

・お父さんの死後も信託を継続し、お母さんを受益者として財産管理を続けた

・お母さんが施設へ入所して実家が空き家になったあとも、受託者である長男が売却を進めることができた

・売却代金をお母さんのために管理し、その一部を収益マンションへ組み換えることで、介護費用に備えながら家賃収入を確保できた

・さらに、お母さんの二次相続を見据えて資産を組み換えた結果、当初約2,374万円と試算されていた相続税を約116万円まで圧縮し、約2,258万円の節税効果が期待できる設計となった

という成果につながりました。

15年前に始めた民事信託は、単なる認知症対策にとどまりませんでした。

父から母へ、そして次の世代へ。

財産を守りながら活用し、円滑に承継するための仕組みとして機能したのです。

認知症対策」⇒「配偶者への相続」⇒「空き家対策」⇒「介護資金の確保」⇒「資産組み換え」⇒「二次相続対策」

15年前に結んだ1つの信託契約が、その後の家族の変化に合わせた相続設計の土台となりました。

相続実務士の視点

私は30年以上、相続相談に携わってきました。そのなかで確信していることがあります。

相続対策とは、単に「税金を減らすこと」ではありません。

認知症になっても、財産の管理に困らない。介護が必要になっても、その費用に困らない。空き家を残さない。子どもが争わない。

そして、次の世代へ安心して財産を引き継ぐ。これらすべてを設計して初めて「相続設計」と言えます。

今回の事例では、認知症対策から始まり、父親の相続、配偶者相続、施設入所、空き家売却、資産組み換え、そして相続税対策まで、一つ一つが切れ目なくつながっていました。

どれか一つだけでは、この結果は生まれません。

曽根 惠子
公認不動産コンサルティングマスター
相続対策専門士
相続実務士®

株式会社夢相続 代表取締役

「相続対策専門士」は問題解決の窓口となり、弁護士、税理士の業務につなげていく役割であり、業法に抵触する職務を担当することはありません。