学歴差別発言で大炎上するYouTuberを批判した九大教授がまさかの“逆炎上”…「学歴差別はエンタメ」と主張する学歴厨が分かっていない事実とは
みなさんは「学歴差別」を受けたことがありますか?
もしくは、誰かを学歴で差別した経験があるでしょうか。
先日、Xにて九州大学の岡崎晴輝教授が、大学紹介や学生インタビューを中心に動画を発信するwakatte.TVを痛烈に批判しました。
最近では鳴りを潜めたものの、彼らもかつては「法政大学第一志望者0人説」(2019年4月18日投稿「法政大学の入学式、第一志望の新入生0人説を検証!法政ニキが…まさかの…【wakatte.TV】 #172)や「高卒の作った単純なパン」(2020年8月4日投稿「ふーみんに天罰が下る?宮島・厳島神社でアホ街ック天国!【wakatte.TV】 #401」)など、過激な企画・発言で度々物議をかもしていましたから、炎上自体は日常茶飯事だったはずです。
教育の結果は遺伝要素も影響しますが、生育環境も多分に関わることは、周知の事実。
それでもなお、18歳周辺時点の大学合格歴程度にこだわり、人を馬鹿にし続ける彼ら「学歴厨」の振る舞いには、無知以上の何かが隠されているように感じます。
どうして学歴差別が起きるのかを考察します。
◆諸悪の根源=偏差値
私は、大学入試における偏差値の存在が、学歴差別の主要因だと考えています。
高校生の狭い視野の中では、「同じ環境で」育った同年齢の人間が、「平等な」スタートを与えられて、「公平な」ペーパーテストでの選別を受けた結果としての「大学合格」が、人間の価値を証明するように見えても仕方がないでしょうから。
確かに、試験に受かるためには、一定の勉強は必要です。だからこそ、努力を積み上げなくてはいけない。
就活などで「高学歴の学生が通りやすい」とされるのは、「少なくとも努力はしてきました」と保証するからでしょう。
ただ、先ほど指摘した通り、「教育の成果」には得てして本人の資質以外の要素が多く入り込みます。
例えば、「勉強したら褒められる家で育った子ども」と「勉強したら怒られる家で育った子ども」では、どちらの方が成績を上げやすいと思いますか? もちろん、「褒められる家」ですよね。褒められるからこそ、精神的な達成報酬として「やりがい」を得られるからです。
もしくは、「東京23区に住む世帯年収3,000万超の家庭出身者」と「人口数百人規模の町村に住む世帯年収400万円程度の家庭出身者」とでは、両方ともが「平等な教育機会を得られた」と言い切れるでしょうか?
昨今ではインターネットが普及しましたから「情報は平等にある」と言い切りたくなりますが、実際には「検索手段がある」ことと「知っている」ことは全くの別物です。
世帯年収が低くても、十分な才能があれば、進学塾へ特待生待遇で入れたり、給付型の奨学金をもらえたりするかもしれない。でも、それすら知らないので「自分たちには無理」と受験自体を諦める子どもが存在するのに、「学歴・受験は平等」といいきれるものでしょうか。
同じような文脈では「推薦・総合型選抜」(いわゆる指定校推薦やAO)が「不平等受験」の象徴として叩かれがちですが、一般受験にも「完全なる公平」とは言い切れない側面があることを、忘れてはいけません。
◆わかりやすすぎる偏差値評価
しかし、いくら学歴や大学受験を重視している人々だとしても、「受験の結果は不平等である」ことなんて、わかっているはず。
