NHKスペシャル『白い旗 水木しげると硫黄島』が問いかける「生」と「死」
8月16日の夜9時、NHKスペシャルにて『白い旗 水木しげると硫黄島』が放送される。太平洋戦争末期の激戦地として知られる硫黄島では、日本軍は圧倒的な物量と兵力を誇る米軍に徹底抗戦することを命じられ、2万人あまりの守備隊のうち、ほとんどの将兵が命を落とした。
しかし、この硫黄島で、部下を生かそうとして米軍に白旗を振り、日本軍将校に射殺された人物がいたという。自身も太平洋戦争での従軍経験を持つ漫画家・水木しげる氏は、繰り返しこの人物を自身の漫画で描いてきた。この物語は、果たして真実なのか――。
番組は、水木しげる氏の作品『白い旗』をアニメ化するとともに、モデルとなった人物の遺族への取材、また戦争当事者の証言や新しく発掘された資料をもとに、81年前の「白旗事件」の真相を追う。今回、番組を中心となって制作した、長年戦争番組にプロデューサーとしてかかわっている横井秀信さん、実際に硫黄島での取材を担当した宮島優さん、番組の立ち上げ人となった服部竜馬さんに、お話をうかがうことができた。
『白い旗』に着目した原点
――水木しげるさんの作品は『ラバウル戦記』『総員玉砕せよ!』など、従軍経験をもとにした戦争関連の著作も多いですが、その中で『白い旗』に着目された理由は何でしょうか。
横井:終戦から80年経ち、体験者が少なくなる中で、視聴者の方々に「戦争」を伝える難しさは年々増していると感じます。戦争体験を継承するためには何が必要か、自分なりに考え続けてきたのですが、戦時下の人々が自分たちの「生」や「死」をどう捉えていたのか、現在と大きく違うところもあれば、重なるところもあります。戦時下の時代と地続きであることを感じられれば、想像が広がり、共感につながるのではないかと考えました。
今回、さまざまな水木しげるさんの作品を読む中で、戦場における「生」と「死」をテーマにした『白い旗』に出会いました。当時の人々の「生きたい」という思いの背後にある複雑さ、「死」を求める人たちが背負っているものの重さ、失われた、あるいはつながれた「命」を考える上で、重要な作品であると思いました。ちなみに水木作品については、『鬼太郎』シリーズをはじめ代表的な作品は読んではきましたが、今回、改めて水木作品と出会いなおしたような感じでした。
――今回、『白い旗』のパートは、アニメーションで構成されるとお聞きしました。それは、服部さんのアイデアだったというお話ですが、アニメーションによる表現を選択された理由について、改めてお話をいただけますか。
服部:戦争体験をアニメで伝える企画の構想が生まれたのは3年ほど前のことです。それは「戦後80年」という節目を見据えるなかで、戦争を伝える番組づくりにも新たなアプローチが求められているのではないかと感じていました。
というのも、戦争を実際に経験された方々のお話を直接うかがう機会が年々少なくなるなかで、次の世代にどのように戦争の記憶や教訓を受け継いでいくかが、より重要なテーマになっていると考えたからです。そうした中で、より多くの方に自然に作品へ入り込んでいただく手法の一つとして、アニメーションの活用というアイデアが生まれました。
誰が白い旗を掲げたのか
―― 『白い旗』の主人公は、部下の命を救おうと、降伏の白い旗を振る「隊長」です。「隊長」が実在の人物であったことは水木さん自身が語られています。
宮島:『白い旗』のあとがきには、物語の主人公は、水木さんのお兄さんの親友で「西大條(にしおおえだ)さん」という海軍陸戦隊の中尉だった方がモデルとなったと記されています。
このあとがきを出発点に、遺族や関係者を辿っていく取材がスタートしました。取材を進めると、実際に西大條さんと水木さんのお兄さんは海軍の同期であり、同じ班で訓練を受けていたことがわかりました。また、海軍の同期生が残した手記や西大條さんのご遺族が大切に保管してきた遺品から、その人柄も浮かび上がってきました。最終的には西大條さんが硫黄島でどのような最期を迎えたのか、詳しくは番組をご覧いただければと思いますが、日米で取材を行い、事実に迫っていきました。
――硫黄島の戦いに従軍した方の中で、現在ではもう存命の方はいらっしゃらないとは思うのですが、今回の番組では、その肉親の方を中心に取材をされたとお聞きしています。その中で、最も印象的だった言葉やエピソードをお聞かせください。
宮島:2つあります。まず、西大條さんの甥御さんにお話をお聞きできたことですね。その方は戦後生まれで、実際に西大條さんに直接会ったことはないのですが、西大條さんが硫黄島で白い旗をあげたという行為については、幼少期から聞かされてきたそうです。そして、自分だったらどうするか、人生の中で折に触れて考えられてきたことを語ってくださいました。伯父の行為が、その後のご遺族の人生にも深く影響を与えていたことを知り、とても印象に残りました。
もう一つは、硫黄島から生還した兵士の息子さんのお話です。息子さん曰く、お父さんは晩年まで家族に戦争体験を語ることはなかったそうです。一方で、時間ができると戦友たちの出身地を訪れては、慰霊参りを続けていました。その際、毎年必ず戦友たちに伝えていた言葉があったそうです。それは、「きょうまで戦後○○年、日本は戦争しなかったぞ」という報告でした。1年1年かみしめるように報告していたといいます。「戦後」は決して当たり前のものではないという事実にハッとさせられたとともに、「戦後」をこれからもつないでいくために、自分たちができることを考え直す重要な契機にもなりました。
漫画『白い旗』の最も印象的な言葉
――漫画『白い旗』の中で、最も印象に残った場面についてお話をいただけますか。
横井:『白い旗』では最後、生き残った兵士が「我々はいま生きている。そう内地で真水をのむことができるのだ」と言うんですね。今回の番組ではまた違った描き方をしているのですが、漫画の『白い旗』においては、さまざまな戦闘シーンとともに、兵士たちが水不足に苦しんできたことも随所で語られます。従軍経験がある水木先生が書かれた言葉として、リアルに感じられ、それは特に印象的でした。
――考えると、最後のセリフを抽象的な希望や絶望を表す言葉ではなく、「水が飲める」という肉体のリアルに即した言葉にすることは、実際の戦争経験者だからこその選択であるようにも感じられます。
横井:吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』という記録があるのですが、その中で印象に残る場面があります。米軍の攻撃を受け、沈没が間近に迫った大和の中で、吉田さんは一人、サイダーとお菓子を口にするんですね。次の瞬間には肉片になっているかもしれないという状況の中で、それでも何かを口にすることを選ぶ。そこに人間的な肌触りを強く感じ、心に残りました。吉田さんも戦艦大和の生還者のひとりですし、水木さんも激戦地からの生還者です。そうした方々が残した作品に息づくリアルを感じ取り、伝えていけることができたらと考えています。
硫黄島を訪れての思い
―― 宮島さんは、今回実際に硫黄島で取材をされたとお聞きしました。現地で浮かんできた思いや、新たな発見についてお話をいただけますでしょうか。
宮島:私は6月下旬から約2週間、初めて硫黄島を訪れました。そこで実感したのは、まず島の小ささです。米軍によって星条旗が立てられた場所としても知られる摺鉢山に登ったのですが、その頂上からは、島のすべてを見渡すことができます。こんなに小さな島で、数万人にも及ぶ日米の兵士たちが戦ったということにまず驚きました。
また、地下壕に入ったことも大きかったです。当時、日本軍は総延長18キロとも言われる地下壕の中にこもって米軍を迎え撃ったわけですが、硫黄島は火山の島ということもあり、その内部は40度から50度という高温でした。5分も中にいられないような地下壕に籠もって戦った兵士たちの過酷さを、ほんのわずかでありますが肌で感じることができました。
さらには、遺骨の問題です。今回の取材は、国が主体となって行っている戦没者の遺骨収集に同行させていただいたのですが、硫黄島においては、終戦から81年が経った今でも、1万人以上の将兵の遺骨が帰らないままになっています。遺骨収集団には高齢のご遺族も参加しており、炎天下、黙々と作業される姿は、本当に頭が下がる思いでした。一方で、いまだに続くこうした活動に戦争の深い傷が現れているようにも思いました。
戦争体験の継承――硫黄島の戦い
――太平洋戦争においては、原爆投下や東京大空襲をはじめ、さまざまな語り継がなければならない出来事が存在しますが、その中で、硫黄島の戦いからは特に何を学ぶことができるとお考えでしょうか。
横井:なかなか難しい質問ですが、硫黄島は「死んではいけない」戦場であったことが、苦しかったと体験者が語っていたことが印象に残っています。より正確に言えば、兵士にとって死は避けられないものではありましたが、できる限り戦闘を長引かせて相手を苦しめるために、食べ物や水がなくても少しでも長く生きて戦う必要があった。「死から逃れられない一方で、どんなに苦しくても、死んではいけない」という状況の中で日々を過ごすことは、想像を絶する苦しみであったと思います。
―― 「生きて虜囚の辱めを受けず」とはよく知られる戦陣訓ですが、軍隊では敵に捕らえられて生かされることが恥とされた一方で、硫黄島ではむしろ極限状態に置かれながらも、「死ぬ自由」すら許されなかったということですね。
横井:戦闘の末期には、同胞たちの死体に紛れて、水や食料もない中で、何日も生きていた方も少なくはなかったようです。死体に紛れるというのは、自分たちの近くに死体を置いておくということではなく、自分の体に被せて、自分の死をカモフラージュするということです。ですので、生き残りの兵士は、すでに死んだ仲間の血や、時には内臓も体に浴びなければなりませんでした。弾よけになった遺体を見て「死んでも戦争をしなくてはいけないのか」と思ったという証言もありました。
――生還した捕虜たちは「裏切り者」とみなされたり、その後の人生でさまざまな苦難を余儀なくされたりしたと思いますが、彼らは戦後、どのような道のりを歩んだのでしょうか。
横井:戦地から帰ってきた方々は、帰還後に直接的な誹りを受けたということもあるとは思いますが、内面における葛藤の問題も大きかったと考えています。硫黄島では日本軍の将兵2万人あまりが戦ったと言われますが、そのうち生き残った将兵は1000人ほどに過ぎませんでした。帰還した人たちには、自分たちだけが生き残ったことへの後ろめたさはあったでしょうし、戦友の遺族と会った時などは、苦しい思いをされたと聞きます。戦争から歳月を経ても、そうした苦しみはずっと心の中に残っていたと思います。だからこそ、先ほど宮島が話した生還者の方も、生涯を通して慰霊の旅を続けられたのかもしれません。
NHKの番組だからこそできたこと
――最後に、番組の見どころや視聴者へのメッセージをお聞かせいただければ幸いです。
服部:『白い旗』のひとつの核となるのは、ふたりの軍人が、それぞれ異なる「正しさ」を抱えながら対立する点です。「部下の命を守るために降伏を選ぶべきだ」と考える者と、「軍人として最後まで任務を全うすべきだ」と考える者。アニメでも、その葛藤の描写には重点を置いています。
ただ、私たちはどちらか一方の立場の正当性を強調し、単純な善悪の物語として描くつもりはありませんでした。近年のエンターテインメントでは、善悪の構図が明快な作品も少なくありませんが、戦争を描くうえでは、そうした単純化はできないと思っています。
極限状況のなかで人々がどのような判断を下したのか、複雑なものを複雑なままに描くことが、水木さんの作品に通ずる姿勢ではないかと想像するので、番組でもそれはずっと意識していましたし、視聴者の方にも、そうした簡単に割り切れないものを感じ取っていただければと思っています。
宮島:今回の番組に登場する方は、ほとんどが戦争を経験していない世代の方々です。一方で、そうした方々が白旗を振った士官の行動や肉親の戦争体験を辿っていく中で、「自分だったらどうしたか」「そのときどんな気持ちだったのか」などと想像しながら硫黄島や戦争のことを掘り下げています。
戦後81年が経つなかで、この先戦争を「どう伝えていくか」という視点以上に、その体験を私たちが「どう受け取っていくか」という視点に力点を置いて取材を続けてきました。そういう意味では、ふだん戦争にあまり関心がないという方にとっても、考えるきっかけを得られる番組になったのではないかと思います。若い世代の方にも、ぜひ見ていただけたら嬉しいです。
横井:今回大きかったのは、声優の方も含め、アニメーションの第一線にいる方々の力をお借りできたことですね。水木作品を通して「戦争」を描くことに大きな意味を感じ取って下さっていて、それだけにアニメのパートは、大きな見どころになっていると思います。
またアニメのパートには、これまでの取材の蓄積も活かされています。NHKでは、2006年に「硫黄島 玉砕戦 〜生還者61年目の証言〜」という番組を作っていたのですが、当時は従軍された方でご存命の方もいらっしゃって、その時に記録させていただいた証言も、今回のアニメには反映されています。終戦の時期に戦争の番組を放映することは、「8月ジャーナリズム」などと言われることもありますが、NHKが何十年も続けてきたことでもあり、それだけに多くの蓄積があります。新しい取り組みに加えて、そのような蓄積も番組には反映されるはずなので、そちらもぜひ、ご期待をいただければ幸いです。
【プロフィール】
横井 秀信:1999年NHK入局。太平洋戦争に関する番組を中心に制作。現在、報道局チーフ・プロデューサー。
服部 竜馬:2005年NHK入局。NHKスペシャル、ドラマ、紅白歌合戦などを中心とした番組のデザインを担当。
宮島 優:2012年NHK入局。戦争、安全保障などのテーマを中心に番組を制作。現在、報道局社会番組部ディレクター。
