「長崎の原爆ですべて焼けてしまった」と思ってた…「わたくし97歳」に届いた「90年前の写真」が示すもの

写真拡大 (全4枚)

今、Xである一枚の写真が話題を集めている。その写真には楽しそうな4人の子どもの姿が写っている。この写真をXに投稿したのは、現在97歳の森田富美子さんで、写真の中には、子ども時代の富美子さんがいたのだ。

富美子さんは、16歳のときに長崎に投下された原爆で、両親と3人の弟を失った。その後、長い間原爆について語ることはなかったという。しかし、総理の長崎平和祈念式典でのスピーチの誠意のなさに批判が殺到した。当時、さまざまな問題を抱えた政治家たちが、のらりくらりとかわす不誠実な姿勢への怒りも相まって、「何も知らないから、知ろうとしないから」と被爆体験を投稿した。その後も毎朝毎晩「戦争反対」「核兵器廃絶」のメッセージを発信し続け、現在では9.6万ものフォロワーを持つインフルエンサーでもある。2025年6月、96歳のときに娘の森田京子さんと共著で『わたくし96歳#戦争反対』を出版。2026年に入ってからは国会議事堂前をはじめ、都内で行われているデモに複数参加している。

今回、子ども時代の写真をXで公開したいきさつとともに、富美子さんにとってとても大切な8月9日、2026年はどう過ごされたのか、娘の森田京子さんが寄稿する。

※以下より、森田京子さんの寄稿です。森田富美子さんは娘である京子さんだけでなく、多くの方から「ハハ」と呼ばれていることもあり、原稿内で名称を「ハハ」と称しています。

ハハの表情が少女時代に戻った

8月5日、宛名が筆で書かれた速達がハハに届いた。怪訝そうな顔で宛名書きをしばらく見たハハはゆっくりと送り主を見た。私の妹(ハハの娘・次女)からだった。

「開けてよ」

封筒を渡され、丁寧に開封した。「暑中お見舞い申し上げます」と書かれた花柄の綺麗な便箋と一緒にセピア色の古い写真が出てきた。「速達だなんて何事か!?」と思っただけに、内心ホッとしながら、ハハに写真を渡し、数行だけの短い文面を読み上げた。写真を手に取ったハハは、読み上げも耳に入らない様子で、時間が止まったように写真に見入っていた。

夏草の上で4人の子どもが寝転んで頬杖をつき、カメラに向かって笑っている写真だった。

「父が笑って笑ってと何度も言って」

ハハはそう言いながらも写真から目を離さない。

「父は釣りとか野球とか、とにかく趣味が多かったけど、カメラも自分で現像するほど凝っててね」

ハハは変わらず写真から目を離さず、話を続ける。

「このカメラは箱式で、腰をかがめた父がカメラを上から覗きながら、笑って笑って、とにかく笑って笑ってと何度も言いながら写していた。私たちは笑ってと言われなくても、楽しくてたまらなくて、笑っていた。父も笑っていた」

ハハの父親は玄関からすぐの小さな部屋を現像室にしていたそうだ。

「今思えば、ちょっとしたカメラマンくらいの道具はあったと思う」

写真を撮った場所は唐八景下の合戦場(現在は、長崎県長崎市にある唐八景公園。ハタ揚げ会場として知られている)。そして、ハハは左の子どもから順番に指差しながら、

「よっちゃん(戦後、両親を長崎の原爆で失ったハハとハハの妹を育ててくれた叔父叔母の一人息子)、私、カズオちゃん(原爆で川に飛ばされ亡くなったハハの従弟)、右端がサチコ(ハハの妹)」

「たぶん、私が(国民学校)3年生、みんなは1年生だったと思う」

やっとハハが写真を手から離したので、それを受け取りスマホで撮った。そしてAIでカラーにしてみた。仕上がりに驚いた。セピア色だった遠い昔の写真が一気に現実味を帯びた。ハハも唖然として「すごい!」と、また写真に見入った。

今年の8月9日はどこで黙祷するか

2026年6月23日、沖縄の「慰霊の日」――沖縄戦の最後の激戦地である沖縄県糸満市の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開催された。ハハと私はテレビの前で静かに中継を見ていた。中学生が原稿を見ず、しっかり前を向いて『平和の詩』を朗読した。静かな式典だった。しかし、総理が挨拶に立った途端、「戦争反対!」「9条守れ!」の叫びが聞こえた。

ハハは翌日、Xにこうポストした。

おはようございます☀グッモーニン♪♩♫

沖縄戦没者追悼式での声が耳から離れない。

#世界平和

#戦争反対

#核兵器廃絶

#核兵器禁止条約

#メディアの仕事は権力の監視

2026年6月24日(「わたくし97歳」@ポストより)

そして、ハハのiPadからは沖縄の式典後の総理会見映像が流れてきた。総理は目を見開いてこう言った。

「戦争やめろって? 今日本は戦争をやっておりません」

追い打ちをかけるようにXからは防衛大臣のポストも流れてきた。そのポストを引用し、ハハはこうポストした。

沖縄の切実な叫びを「ヤジは残念なものでした」と言う残念な防衛大臣。全国で行われているデモで叫ばれている「#戦争反対」も「#9条守れ」も、この人にはヤジの集まりでしかないのか?

2026年6月24日(「わたくし97歳」@ポストより)

この1ヵ月ほど前から、今年の8月9日(長崎原爆忌)をどうするか、ハハは迷っているようだった。昨年の2025年は、6月に出版した『わたくし96歳#戦争反対』の出版記念イベントを長崎のメトロ書店が8月10日に計画してくださったこともあり、9日に平和公園で開催された平和祈念式典にも参列を決めた。このときハハにとって長崎は16年ぶりだった。2007年ハハは東京に出てきた。2009年に兄(ハハの息子・長男)が亡くなり、いったん長崎に戻ったものの、再び上京、そして都民になった。16年ぶりの長崎ではたくさんの人たちの再会があり、「また来年8月に来るからね」とみんなと約束して別れた。

そのハハが「長崎行き……やめようかな」、そう言った。私は「そうね」と答えた。ハハが長崎に行く気満々ではないことはすでにわかっていた。

「きっと8月の6日、9日あたり、どこかでデモがあるなら、そこに行く。みんなと一緒に『戦争反対!』を大声で叫びたい」

東京に来てから、毎年8月が近づくとハハと「9日は、どこで黙祷しましょうか」の話になる。しかし、今年は黙祷ではなく、「戦争反対!」を大声で叫ぶ、それがハハの考えだった。

それから、ほぼ毎日「デモカレンダー」(全国で開催されるデモ開催予定が記されている)をチェックした。なかなか8月の予定が上がらない。8月3日、やっと8月6日に行われる「キャンドル・デモ」の情報が出た。場所は江戸川区の滝野公園だ。ここには原爆犠牲者の慰霊碑がある。2年前の2024年8月9日、私たちは長崎に原爆が投下された11時2分、そこで黙祷した。

「キャンドル・デモ」の主催者は江戸川・生活者ネットワーク。もしかして静かな追悼式典……のような集まりではないのかと思い、電話で問い合わせた。その電話で、ハハがキャンドル・デモ当日、被爆体験を話すことが決まった。

国会議事堂前などのデモと違い、多少の時間がいただけた。それをハハに知らせると、「山で一晩明かしたところから話す」と言った。

ならば、私はハハを紹介し、81年前の1945年8月9日長崎に原爆が投下された後、報告隊(学徒動員)で市内の島の工場にいたハハが自宅に向かうも熱風で先に進めず、一晩明かすまでのいきさつを簡単に話そうと決めた。ハハがデモで被爆体験を話すのはこれが初めてのことだった。とはいえ、あらかじめまとめた原稿などを読んで話すのが嫌いなハハ、任せるしかない、ぶっつけ本番だ。

さっそくハハはこうXでポストした。

今年の原爆の日は長崎へは行かず、都内のデモに参加しようと思っていた。先日からデモカレンダーで調べてくれていた娘が「8月6日18時、原爆犠牲者追悼の碑がある葛西の滝野公園で集会デモ」と言うので、そこに行こうと決めた。

2026年8月3日(「わたくし97歳」@ポストより)

今を生きる人に伝えたい、ハハの想い

8月6日、葛西は遠かった。東京の気温は31.7℃、連日の猛暑日からそれでも少しだけ気温は落ち着いていた。ハハを車椅子に乗せて出発した。電車でのバリアフリーコースを調べてから乗車したが、移動は予想以上に時間がかかった。かなり早めに家を出たが、着いたのは17時45分、始まりが18時なので30分前の17時30分に到着し、主催者の方々に挨拶しておく予定だった私たちは少々焦った。何とか挨拶を済ませた私たちは、始まる5分前に慰霊碑の前に行き、手を合わせた。

今年は長崎に行かず、滝野公園慰霊碑の前で被爆体験を語ることを選びました。 そこで知り合った淺雄望さんが撮影した動画を私の今の思いとして公開します。

2026年8月9日(「わたくし97歳」@ポストより)

被爆体験の話の後は、他のデモでも読み上げた「97歳、魂の訴え4箇条」、そしてコールの先導。ここでは「非核三原則」も加えた。

ハハ「核は」、皆さん「持つな!」

ハハ「核は」、皆さん「つくるな!」

ハハ「核は」、皆さん「持ち込むなーーっ!」

毎年集まっていらっしゃる方々の静かなキャンドルの灯りに、ハハのフォロワーさんたちが掲げる色とりどりのペンライトが加わった。

集会が終わると滝野公園から西葛西駅まで平和行進をした。

「戦争反対!」「核兵器廃絶!」

歩道から「戦争反対!」と一緒に声を挙げてくださる方、通り過ぎる車の窓を開け「デモの皆さん、頑張れ!」と応援してくださる方もいた。

西葛西駅に着くと、全員で記念撮影、そして「また来年」の言葉で解散となった。すると、そこから個々の撮影会が始まった。たくさんの方がハハの周りにも集まった。ひとりひとりと言葉を交わし、一緒に写真を撮り、握手をするハハは終始満面の笑みだった

「うまく話せなかったけど、よかったと思う」

帰りの電車の中でハハは静かに言った。

そして、8月9日、ハハは、私がAIでカラー再現した4人の子どもの写真をXにポストした。

次女(春から再び長崎に住んでいる)から、突然セピア色の写真が送ってきました。それを長女がAIでカラー再現しました。 左から戦後一緒に育った従弟、次が私、原爆で亡くなった従弟、そして一番右が妹です。みんな、笑顔でした。写真を撮る父も笑顔でした。

2026年8月9日(「わたくし97歳」@ポストより)

8月13日現在、そのポストはインプレッション110万超え、「いいね」4万7000、コメントも120を超えている。いただいたコメントのほとんどが「当たり前の幸せを奪われることがあってはならない」「この笑顔が一瞬で失われた。胸が苦しい」「戦争反対!」といったもので、写真を撮ったハハの父親の笑顔に触れたコメントも多かった。インプレッションの数も「いいね」の数も増え続けている。

ハハは取材を受けるたび「当時の写真や子どものころの写真をお借りしたい」と言われる。「残念ながら全部原爆で焼けてしまいました」とハハは、そう答える。

ハハは、8月12日に写真に関して下記のようにポストした。

9日に出したこの写真、いまだにいいねが増え続けている。今はいつでもどこでもスマホで写真が撮れる。家族、友達、恋人、ペット、誰のスマホにもたくさんの写真が入っている。ひとつずつ見返して欲しい。失いたくない人達、可愛いペット達、誰も不幸にしない世の中にしたい。

#戦争反対

#核兵器廃絶

2026年8月12日(「わたくし97歳」@ポストより)

母は小さく手を振った…1945年8月9日長崎、16歳の「わたくし96歳」母との最後の朝