「フジテレビが手に入るよ」堀江貴文に敵対的買収を仕掛けさせ、特捜部に狙われ逮捕…村上世彰が味わった屈辱《フジテレビとの「20年前の因縁」》〉から続く

 村上世彰は2006年6月に逮捕され有罪判決を受けた。

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 だが彼は、復讐を虎視眈々と狙っていた。

 愛娘を表舞台に立たせ、自らは陰で脚本を描く。

「これは僕の人生の問題です。フジテレビと決着をつけなければ――」

(初出:週刊文春2026年3月5日号掲載の大鹿靖明氏の連載第1回。この記事は第1回の後編/前編を読む)

 フジの港浩一社長(当時)ら経営陣が前代未聞の10時間記者会見をした25年1月27日、長女の野村絢名義で1.03%のFMH株を取得している。5日連続で買い上がり、1月31日には4%弱まで買い集めたが、2月に入るといったん売りに転じ、3%まで保有比率を下げた。だが、3月24日に買い付けを再開してからは、ひたすら買い上がった。1週間後の31日の第三者委員会報告書の公表を見越してのことだろう。決戦を交えよう、と腹をくくったのだ。

 FMHは3月27日、40年余りも君臨してきた日枝と、彼の息のかかった役員、社外取締役らが一斉に退任することを明らかにした。

 すると、村上の中核的な投資会社レノは同じ日、FMHの株主総会で議決権を得る単元株(100株)を取得した。こうして代表企業が株主総会の参加権を取得しておくのは、近年の村上の典型的なやり方である。

 さらにその日、レノ、野村絢、エスグラントコーポレーション、シティインデックスファーストの4つの共同保有者を合わせると、関東財務局に大量保有報告書を提出しなければならない義務が生じる5%を超えた。つまり日枝の退任が告知された3月27日は、彼らがFMHに対して宣戦布告した日でもあった。


娘の絢氏 ©時事通信社

 日枝を放逐し、FMHの新たなリーダーとなった金光修社長や清水賢治フジ社長(後にFMH社長)は、村上からすれば御しやすい相手であった。なぜならば普通の人だからである。

「俺を塀の中に突き落とした」

 村上はFMH株の買い占めを始めてまもなく、彼らとの話し合いの場を求めている。村上の灘中高の同級生でかつて番組づくりに名を馳せたフジのOBや、見城らフジ側にパイプをもつ有力者を頼ろうとした。日枝との会談を企てたことといい、伝手を頼ってターゲットに迫るのも、村上がよくやる手法である。

 日枝体制が瓦解して間もないころ、村上はこうした仲介者を通じてフジの清水と会談している。仲介者はそのときの模様をこう打ち明ける。

「村上さんは終始和やかで『フジテレビと対決するようなつもりはまったくない』ということでした。FMHの上場企業としてのあり方や放送局としての使命について言いたいことがあり、株主としてじっくり話し合いたいと言っていました」

 だが、穏やかな低姿勢で臨んだかと思うと、相手を罵倒し、追い込むのも村上ならではの戦術である。

 金光や清水の代わりに面談したグループ幹部は、絢を同伴した村上がいきなり激高するのに面食らった。

「あなたたちのせいで俺は逮捕されて、臭い飯を食わされたんだ。俺はすべての調書を読んで、お前たちがどうやって俺を陥れたか知っているぞ」

 娘の面前で、そう大声で罵倒しまくった。彼女は学生時代、母親と一緒に法廷に通い、父の公判の傍聴を欠かさなかった。村上の口惜しさを、そして一家を襲った悲劇をよく知る娘であった。

「この人だからね、俺を塀の中に突き落としたのは」

 村上は絢の目を見つめながら、幹部を指さしてそう罵った。

 FMHやフジの重役たちは、彼の原動力が私怨と知って恐怖しただろう。

 だが、村上のやり方を熟知するものからすれば、相手を怖がらせる意図をもった彼一流の芝居だったようにも見える。

「臭い飯」「塀の中」と言うが、事実ではない。村上は執行猶予付き判決だったので刑務所に収監されてはいないからだ(ただし、拘置所には3週間ほど収容された)。彼なりの誇張と言えよう。そもそも逮捕されたのは、欲をかいてライブドアを誘惑したからである。身から出た錆であって、フジのせいにするのは逆恨みもいいところであった。

 FMHは6月の株主総会を前にして、村上に加えてSBIホールディングスの北尾吉孝会長兼社長(傘下のレオス・キャピタルワークスが5.12%保有)、それに米国系投資ファンドのダルトン・インベストメンツ(同7.51%余を保有)の攻勢に遭っていた。村上はもちろん強敵だが、むしろ独自の役員候補を擁立し、株主総会で雌雄を決しようというダルトン対策が焦眉の急を告げていた。

 北尾という、かつてライブドアの攻勢からフジを擁護してくれたホワイトナイト(白馬の騎士)である恩人を、向こう側に追いやってしまったのは、日枝をはじめフジ歴代経営陣の失策だった。日枝はライブドア騒動後に1回だけ、吉兆で北尾にご馳走したに過ぎない。「僕は孫(正義・ソフトバンク社長。当時)さんと親しいから」と、孫の部下だった北尾を軽く見る。日枝はそうした「格」で人を判断したがるところがある。かくして北尾のプライドを傷つけてしまった。

 FMH内にはダルトン側を分断しようと、いったん北尾を社外取締役として遇する案が浮かんだが、まとまらなかった。これも北尾を怒らせる結果となった。

 とはいえ、北尾が4月に行った記者会見は大衆受けはせず、むしろ逆効果となった。FMH経営陣はホッとしたものの、6月の株主総会で彼らに同調する投資家が増えないよう、投資家向けに宥和策を打ち出して乗り切らざるをえないと考えた。このころは村上よりも、まずはダルトン&北尾対策が優先された。そのためには一にも二にも株価を上げる必要があった。

「御社の株を33.3%まで」

 そうしてまとめたのが、5月に公表した「改革アクションプラン」だった。そこには3年以内に1000億円超の政策保有株(持ち合い株)を売却し、29年度までに1000億円超の自社株買いを実施することを盛り込んでいる。

 通常の株価対策であれば、それでもよかった。金光や清水ら経営陣がどれだけ意識していたかはわからないが、この方針はつまり、決戦を控えたフジにとって“不利”になる方策だった。自社株買いをすれば、発行済み株式総数という分母は小さくなる。持ち合い株の解消によって、援軍となる与党株主の割合も減る。半面、強い意志を持って攻勢を強めるアクティビストの保有比率は相対的に高まる。結果的に、襲撃する相手に対して守りを弱めることになってしまうのだ。

 さらにフジは「アクションプラン」で、ROE(自己資本利益率)8%以上を目指すことを公約に掲げた。一連の不祥事発覚前の2024年3月期でさえROEは4.37%しかなく、直近の2025年3月期に至ってはスポンサー離れによってマイナス2.4%という、体たらくである。

 8%を実現するのは容易ではない。やがてこれが村上らが付け入る隙となり自らを縛ることになる。

 フジ幹部によると、雇ったボストン・コンサルティング・グループの助言を反映したものだったらしい。主幹事証券会社の大和証券や、長い付き合いの大手ローファームの長島・大野・常松法律事務所も含めたチームでことに当たったが、フジの対応は常に後手に回っていく。傭兵たちは高い報酬を得る割には、実戦経験があまりにも乏しかった。

 6月25日に有明アリーナで行われた株主総会は4時間半にも及ぶ異例の展開となったが、結局は現経営陣が乗り切った。ダルトンが担いだ北尾ら12人の取締役候補は、最も票を集めた北尾でさえ27%しか支持が集まらず否決された。

 だが、フジの経営陣が一安心したのも束の間、村上はすぐさま牙をむきだしにする。

 村上は娘の絢と連れ立って1週間後の7月2日、お台場の本社で清水社長と面談している。

「御社の株を33.3%まで買い進むつもりです。そのために1500億円ほど用意しました」

 村上はそう言って、放送法が定める上限規制いっぱいまで株を買い占めることを宣告した。3分の1も買い占められては、株主総会で特別決議が必要な、合併や事業譲渡、定款変更などの重要事項を覆される恐れが出てくる。

 実は村上は、25年4月から6月にかけて「フジに人生をかけたい」と言って、それまで手がけていた三井住友建設や愛知製鋼、クレハなどの株を相次いで売却していた。

 こうして得た資金を元手に、1171億円を投じてFMH株の17.95%を買い占め、事実上の筆頭株主に躍り出ようとしていた。

 東京地検特捜部に逮捕されてから19年と1カ月。村上の壮大な復讐劇は、ここからさらに加速していくことになる。

(文中敬称略、続く)

【前編とあわせてお読みください】

(おおしかやすあき/1965年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1988年、朝日新聞社入社。『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』で講談社ノンフィクション賞を受賞。ライブドアや村上ファンドを描いた『ヒルズ黙示録』でデビュー。ほかに『金融庁戦記』『東芝の悲劇』など。38年間、現場記者ひとすじ。朝日新聞社を退社し、フリーに。)

(大鹿 靖明/週刊文春 2026年3月5日号)