《ティアラもお借りに》愛子さま 伊勢神宮伝統行事ご参加の陰に…指標とする叔母・黒田清子さんからの勧め
8月1日、伊勢市にある近鉄宇治山田駅に到着された愛子さまのお姿に、駅頭で待っていた人々から大きな歓声が上がった。愛子さまは、ほほ笑み、手をふられたが、その瞳には強い覚悟が秘められているようだった。
皇室担当記者はこう話す。
「愛子さまは8月1日・2日に三重県を訪問されました。2日には伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)や皇大神宮(内宮)を参拝し、行事『御木曳(おきひき)』を視察されたのです」
御木曳とは、社殿などを建て替える20年に一度の式年遷宮に向け、ヒノキなどの御用材を内宮と外宮へ曳き入れる伝統行事だ。’07年には天皇陛下も参加し、人々といっしょに法被姿で御用材を載せた木ぞりの綱を曳かれた。
愛子さまは8月2日午後、御木曳行事の「川曳(かわびき)」をご視察。その後、内宮の参道で、陸揚げされたヒノキを木ぞりで運ぶ列に加わり、白い法被姿で綱を曳かれた。
前出の皇室担当記者が続ける。
「愛子さまは’14年に伊勢神宮を参拝された際に、資料館『式年遷宮記念せんぐう館』にも立ち寄られていますので、そのころから遷宮関連行事にも興味を持たれていたのではないでしょうか。
また今回の御木曳ご視察については伊勢神宮の祭主を務めている叔母の黒田清子さんからのお勧めもあったと聞いています。清子さんは、大きな祭祀の後には皇居に参内し、天皇陛下にご報告しており、ときどき自ら車を運転して皇居の門をくぐる姿も目撃されています。愛子さまも宮中祭祀には非常に熱心ですし、清子さんの伊勢神宮での祭祀にまつわるお話を参考にされているそうです」
今回の愛子さまの伊勢神宮での祭事参加について、神宮に詳しい文筆家で皇學館大学非常勤講師の千種清美さんは次のように語る。
「御用材を五十鈴川の水を利用して木のそりに載せ、川の中を引っ張って内宮へ運び入れる行事が『川曳』です。
皇室の祖先神である天照大御神を祀る内宮への川曳に、内親王である愛子さまが参加されたことにはとても大きな意義があると思います。帰京後には天皇陛下にも、御木曳が滞りなく行われていることを報告されたことでしょう」
■政治家たちが考慮しなかった“皇室の祈り”
愛子さまのご訪問が決まった一報に、地元の人々も盛り上がっていたという。
「愛子さまが川曳を視察されることがわかったとき、地元の伊勢市民は大変光栄に感じていました。
川曳の話題になると、決まって愛子さまのお名前を口にしていたほどです。川曳に携わる人のなかには、ひょっとしたら聞いていただけるのではと、木遣り(重い木や石を大勢で運ぶときに息を合わせるための歌)の稽古に励んだり、道具を新しくしたりした人たちもいました」(千種さん)
木遣りで「敬宮さま 二十歳ごとの神の御柱 曳き給う」と歌われると、愛子さまは笑顔を見せられたという。
地元の人々同様に、愛子さまも今回の伊勢神宮参拝には、並々ならぬ意欲を持たれていたようだ。
その背景について、ある宮内庁関係者はこう語る。
「この数カ月間、注目を集め続けた皇室典範改正にまつわる議論ですが、“天皇の男系の血脈をどう守るのか”という点ばかりに保守派が拘泥していたことに、皇室の方々も違和感を覚えていらしたそうです。
皇室の私的行事という側面もあり、宮中祭祀については写真が公開されることもほぼありません。ただ国民にとってなじみが薄いとはいえ、皇室の本質ともいえる“祈り”について、政治家たちがまったく考慮することなく議論を進めていたことに、日ごろから宮中祭祀に励まれている愛子さまは複雑な思いを抱かれているようです」
皇室史に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは次のように話す。
「天皇家は、五穀豊穣と国家安寧を神々に祈ることを歴代の使命にしてきました。天皇家に生まれ育った方々は、幼いころから、長い伝統のある皇室の祭祀や祈りの世界にふれられてきたのです。また結婚して皇族となった妃殿下方も、祈りを自身のものにするために励まれてきました。
しかし皇室典範改正に関する議論では、養子縁組の制度化による男系男子の皇統維持に固執する発言ばかり目立ちました。皇室の祈りをどう継承していくのか、また継承するにふさわしい人物がいるのか、といった視点がほぼ抜け落ちていたように思います。
戦後に一般社会のなかで暮らしてきた旧宮家の方々が、養子として皇室に戻っても、祭祀や祈りの伝統を担えるかどうかについては、私は疑問に感じています」
国家安寧の祈りで欠かせないことの一つが、災害を防ぐこと、早期の復興を願うことだという。
前出の宮内庁関係者によれば、
「愛子さまは、2年ぶりに伊勢神宮を参拝することで、皇室の祭祀とあらためて向き合いたいとお考えだったそうです。そしてご出発4日前の7月28日に、令和8年熊本地震が発生しました。
天皇皇后両陛下、そして愛子さまは、熊本で甚大な被害が生じていることに深くお心を痛め、また断水や40度近い厳しい暑さや余震によって、不安な気持ちで避難生活を送っている人たちのことを案じておられます。
愛子さまは『被災地の人々を救うために』と、伊勢神宮参拝へのご覚悟をさらに強められたに違いありません」
さらに祈りを深めるために、愛子さまが、かねて見習われているのが、叔母・黒田清子さんなのだという。
「清子さんは、愛子さまと同じく、“天皇の娘”として生まれ、“天皇の背中”を見ながら成長し、いまも上皇ご夫妻を支え続けています。また’12年からは伊勢神宮の臨時祭主として、さらに’17年からは祭主として、皇室の祈りを守り続けているのです。
愛子さまは成年皇族となられてからずっと清子さんからお借りしたティアラを着用されています。愛子さまにとって清子さんは、信頼できる人というだけではなく、“指標となるべき人”であることは間違いありません」(前出・宮内庁関係者)
愛子さまは御木曳に参加されたが、もちろん清子さんも、7年後の’33年まで行われる式年遷宮の関連祭事に携わっている。
「式年遷宮の祭事は昨年5月から始まっています。1カ月後の6月には長野県で『御杣始祭(みそまはじめさい)』が営まれました。御木曳と同じように、御用材に関する行事です。
式年遷宮で、ご神体を納める器(御樋代・みひしろ)の御用材となるヒノキを斧で切り出す様子を、祭主として清子さんは見守っていました」(前出・皇室担当記者)
■愛子さまと清子さんの共通点とは――
結婚前の清子さんは35歳の誕生日に際して、宮内記者会の質問に文書で次のように回答していた。
「国際、国内情勢、災害や大きな事故などに加え、宮中祭祀にかかわる全てが日常に反映されるため、家族での楽しみや予定が消えることもしばしばで残念に思うことも多々ありましたが、そのようなことから、人々の苦しみ悲しみに心を添わせる日常というものを知り、無言の内に両陛下のお仕事の重さを実感するようになりました」
前出の宮内庁関係者は、
「’08年に写真展『皇后さまと子どもたち』が開催された際に出版された図録は、一部の原稿を清子さんが執筆したそうです。
その文章でも、天皇陛下や秋篠宮さま、そして清子さんが子どものころから《両陛下がお祭を大切にされているご様子を間近にご覧になってきた》と書いています。
ご両親のおふるまいによって、人々の苦しみ悲しみに心を添わせる日常というものを知り、宮中祭祀の大切さを体感した、という清子さんの姿勢に、愛子さまも強く共感されているのでしょう」
小田部さんは愛子さまと清子さんの共通点について、「天皇家の長女であり、お人柄や祈りへの姿勢によって、多くの国民から人望を集めていること」と語る。
共通点も多い“先達”清子さんの姿勢に学びながら、ご自身の祈りをさらに深めようとされている愛子さま。その“被災した人々を救いたい、寄り添いたい”という懇願のような祈りは、きっと熊本の人々にも届くに違いない。

