「辞めます」と言えない…SNS時代のコミュニティに潜む“善意の沼”から抜け出す「弱い繋がり」とは
〈「面白そうだから」という軽い気持ちで入った趣味のサークルや勉強会。最初は楽しかったはずが、いつの間にかイベントの幹事や会計を任され、週末は無償の作業で潰れるように。やめたいと言い出せないまま、心身ともに疲弊していく--。いま、こうした「コミュニティ疲れ」を訴える人が静かに増えている。
それに対して「コミュニティがいい場所であるほど、実は特定の人が潰れていく可能性が高まる」と話すのは、ボランティア研究の第一人者である東京大学大学院情報学環の仁平典宏教授である。令和のコミュニティに潜む、「善意」という名の落とし穴とは〉
やりがい搾取? 善意の沼の正体
この「落とし穴」は、一度足を踏み入れると抜け出せない「沼」のような構造を持っている。仁平教授はその理由を、自由と孤独が表裏一体な関係にあるためだと説明する。
「自由であるということは、孤独であることと表裏一体なんです。何かしらの共同体に属していなければ、自分に関するすべてのことを自分で決めなくちゃいけない。ある人にとっては自由かもしれませんが、別の人にとっては苦痛でしかないこともあります。
だからこそ、『ここは自分にとって最適なコミュニティなのか?』という不安も 絶えず 付きまとうんです。『もっと自分に合った場所があるかもしれない』と、いくつものコミュニティを渡り歩く人もいるかもしれません」
それだけに、ようやく「ここだ」と感じる居場所を見つけた時、人はそこに全力でコミットしようとする。自分で選んだ場所だからこそ、期待に応えたい、失望させたくないという気持ちが先に立つ。気づけば、その「沼」から抜け出せなくなっているのだ。
その「沼」が生み出すものの1つが、「やりがい搾取」である。
東京大学の本田由紀教授が’07年前後から提唱し始めた言葉で、「好きだから」という気持ちにつけ込み、労働に見合わない低賃金や長時間労働で働かせる職場の問題を指していた。それが’16年のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』をきっかけに広く知られるようになり、いまや身近なコミュニティ活動全般で使われるようになっている。
では、任意参加のはずのコミュニティで、なぜ特定の人にばかり負担が集中してしまうのか。
仁平教授はまず、負担の集中には2つの種類があると言う。「ポジティブな集中」と「ネガティブな集中」である。
「ポジティブな集中というのは、役割や負担を引き受けることで、それに見合うメリットを享受できるケースです。参加費を受け取っているからこそ、運営者は時間や労力を注ぎ込める。参加者側も、代金を払った分のベネフィットが得られる。お互いにリターンを得ているパターンです」
問題は「ネガティブな集中」である。仁平教授はこれをさらに2つに分ける。1つは権力が介在するケースである。
「他に行くところがない、このコミュニティを離れては自分の将来の道が断たれる、だから自分がやるしかないという状況です。まさにやりがい搾取という言葉にふさわしい状態です」
そして、もう1つがよりタチが悪い。いつでも抜けられるはずなのに、抜けられないケースである。
「『自分がやめると他の人に負担がかかってしまうだろう』『このサービスが終了したら、あの人が困ってしまうだろう』という見立てから、自分が損をするとわかっていながら引き受けてしまうパターンです。他人の苦しみに共感しやすい人ほど、やめるという選択肢は選びにくいのです」
善意や使命感を原動力とする町内会、民生委員、ボランティア活動、子ども食堂といった場は、特にこうした状況に陥りやすい。優しい人ほど気づかないうちに深みにはまり、リターンよりコストが上回っているのに抜けられない。任意参加のコミュニティであっても、看過できない問題だと仁平教授は指摘する。
昔は美徳、いまは搾取に変わるワケ
ではなぜ、コミュニティの中で無償労働が生まれやすいのか。その背景を理解するには、日本社会がもともと無償労働を各所に埋め込んできた社会だったことを押さえておく必要がある。
「かつての日本企業は、定年まで1つの会社で勤め上げることが一般的で、それを美徳としていました。その中で生まれたのがQCサークルです」
QCサークル(Quality Control)とは、自社製品の品質向上を目指して研究に取り組む有志の集まりのことである。自主的に休日を返上して行われることもあった。海外の経営者から注目を集め、日本的経営の象徴の1つとして語られた時代もあった。この構造は、サービス残業や町内会の役員などにも当てはまる。
「ずっと同じ会社にいる前提なら、休日返上しても顔を出すことで人間関係が広がり、その後の仕事がしやすくなるなど、長い目で見れば自分にとってもプラスになります。地域活動も同様で、その土地に骨を埋めるつもりなら、消防団や子ども会などの活動も、回り回って自分や家族へのプラスになる。多少面倒でも、長期的なリターンが見えているからこそ受け入れられていました」
ところが近年、その前提が足元から崩れた。転職が当たり前になり、地域への定住意識も薄れ、コミュニティにおける無償労働への見方がガラリと変わったのである。
「若い世代を中心に、ずっと同じ会社にいることが当たり前ではなくなりましたよね。地域においても、『ここに骨を埋めるんだ』という感覚は薄れてきています。長期的なリターンへの期待がなくなった分、これまで当たり前にやっていたことが、『なぜ無償でやらなければいけないのか』という感覚に変わってしまったのです」
かつては美徳だったものが、いまや搾取に映る。コミュニティにおける息苦しさも、この社会変化の延長線上にある。そしてSNSの普及が、その構造を新たな局面へと押し上げている。
SNSが生む「断れない空気」
SNSを主体としたオンラインコミュニティでは、相手の顔が見えない分、断れない構造に歯止めが利きにくい。加えて、SNS特有の構造が「断れない空気」をさらに強化することもあるという。
「SNSで同じ関心を持つ人たちと繋がると、タイムラインが絶えずその話題で埋め尽くされる状態になります。そこで生じやすいのがエコーチェンバー現象です。同じ信念や好みが仲間内で増幅されていく現象で、コミュニティ内の熱量が加速度的に高まっていきます」
熱量が高まるほど、断ることへの心理的ハードルは上がる。さらにオンラインには、オフラインにはない恐怖が潜んでいる。
「繋がりやすい反面、排除も割と簡単にできてしまいます。それにオンライン上には言葉がすべて残るので、些細な揉め事がどんどん深刻化していき、やがてはコミュニティが分裂してしまうこともあるでしょう」
「抜けたら何を言われるかわからない」「グループから外されるかもしれない」。そうした不安が、断れない構造をさらに強固なものにしていくのである。
搾取を防ぐカギは「弱い繋がり」
では、コミュニティとどう向き合えばいいのか。仁平教授が真っ先に挙げるのが、複数のコミュニティに所属しておくことである。
「その気になったらいつでも脱出できるというのは、強さになります。1つのコミュニティで嫌なことが起こっても、別のコミュニティで相談すると『それはおかしい、こうしたらいいのでは?』と別の視点が得られます。1つにしか入っていないと、そこでの出来事がすべてになってしまうため、そのコミュニティの主(ぬし)のような存在に嫌われたら自分の人生が終わる気がする、といった恐怖や絶望を感じてしまうこともあるんです」
また、できることなら、「質の違う繋がり」も持ちたいと仁平教授は話す。
「好きなアイドルのファンコミュニティやビジネスコミュニティといったものを複数持つのもいいんですが、実は学生時代の友人などのかつての同級生や、たまにしか連絡を取らない友人などの方が意外と大事なんです。そういう質的に違うコミュニティもあるといいと思います」
社会学では、こうした緩やかな関係性を「弱い繋がり」と呼ぶ。アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターが提唱した概念で、親密さや接触頻度が比較的低い緩やかな繋がりは、自分とは違う世界の視点や情報をもたらしてくれる。強ければ強いほどいいと思われがちな繋がりだが、この「弱い繋がり」が人にとって非常に重要だとされている。
「善意で回るコミュニティほど断れなくなり、居心地がいい場所であるほど、気づいた時には身動きが取れなくなっている。そんな沼にハマらないよう、複数の居場所を探しておきましょう。それが、善意に潰されないための第一歩だと思います」
▼仁平典宏 東京大学大学院情報学環/教育学研究科教授。博士(教育学)。専門は社会学。著書に『「ボランティア」の誕生と終焉』(損保ジャパン記念財団賞、日本社会学会奨励賞)、共著に『平成史』『1990年代論』『市民社会論』『労働再審 (5)ケア・協働・アンペイドワーク』など。
取材・文:安倍川モチ子
WEBを中心にフリーライターとして活動。また、書籍や企業PR誌の制作にも携わっている。専門分野は持たずに、歴史・お笑い・健康・美容・旅行・グルメ・介護など、興味のそそられるものを幅広く手掛ける。
