「ほ、死んだですか。よい信者でした」 27歳女性変死「疑惑のベルギー人神父」が見せた“不可解な言動”【昭和の未解決事件】
【写真】白なのか黒なのか…2003年、カナダの教会で取材に応じたベルメルシュ神父
主任警部が明かした捜査の経緯
昭和34(1959)年6月11日夜、ひとりのベルギー人男性が羽田から飛び立った。ルイ・ベルメルシュ神父(2017年没)、当時38歳。同年3月10日の早朝、東京・杉並の善福寺川で見つかった若い女性の遺体について、警察の任意出頭に応じていた人物である。
遺体の女性は英国海外航空(BOAC)の客室乗務員・Tさん、当時27歳。彼女の交友関係を洗った結果、神父への出頭要請は自然な流れだった。だが、神父が突然日本を離れたことで、事件は「昭和の未解決事件」となってしまう。
捜査本部はどこまで真相に迫っていたのか。事件から23年後の昭和57(1982)年、捜査本部の主任警部だった加藤勘蔵氏は「週刊新潮」に対し、捜査の経緯を事細かに明かしていた。神父は結局、白なのか黒なのか。神父が日本を去ってから67年、加藤氏の目線で事件を振り返る。

(全2回の第1回:以下「週刊新潮」1982年8月19日号掲載記事を再編集しました。文中の年齢・肩書き等はすべて掲載当時の44年前のものです)
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当初は自殺と考えられたが
警視庁捜査一課の加藤勘蔵氏に連絡が入ったのは、事件発生翌日の朝だった。所轄の高井戸署によれば、10日の早朝に善福寺川で発見された若い女性の遺体は、当初、自殺と見られていたが、捜査が進むにつれて他殺の疑いが強くなったというのだ。
〈私は、9名の部下を連れて高井戸署へ急行しました。高井戸署では、すでにその女性の身元を割り出していました〉(加藤氏の証言、以下同)
BOACの客室乗務員で、27歳のTさん。3月10日の午前7時40分ごろ、通りかかった会社員が死体を見つけて通報した。
〈被害者は、善福寺川の中で仰向けに倒れていて、顔は水面から露出していた。この川の水深は、2、30センチで、流れもゆるやかでした。被害者の服装は、グリーンのツーピースで、靴ははいてなくて、ナイロンのストッキングの足底がなぜか擦り切れていた。それから左手に婦人用の時計をはめていた〉
足元以外の服装が乱れていなかったことから、高井戸署は溺死と見立てて死体を確認。外傷らしい外傷がなかったため、当初は自殺と考えられたが、所持品が見つからなかった。そこで洋服を調べ直し、ポケットの内側にあった「新宿伊勢丹」という製造マークから身元を割り出していた。
血液型A型またはAB型の男と
検視の結果、死亡推定時刻は3月10日の午前5時ごろ。Tさんの上司にあたるBOAC営業部長とその妻は、Tさんが叔父の誕生日祝いで3月8日の午後3時ごろに外出したと証言した。
〈さらにわかったことは、Tさんがカトリックの信者であることと。前年の12月にBOACの客室乗務員試験に合格して、1月11日からロンドンで講習を受けるためにイギリスにわたり、2月27日に帰国したばかりということでした〉
そうした経緯もあり、上司夫妻はTさんが自殺する原因など思い当たらないという。
〈確かに自殺はおかしいと考え、死因を究明するために、当初は行政解剖をする予定でしたが、急遽、司法解剖に切り替えることにしました。解剖の結果では、首を圧迫されて窒息死したか、首に何らかの外力が加わってショック死したか、どちらかの疑いが濃厚になりました。つまり、たとえば腕で首を絞めたのではないか、ということでした〉
Tさんの体内と下着から検出された体液により、3月8日以降に血液型がA型またはAB型の男と関係を持ったことも判明した。つまり、同日の午後3時ごろに外出した以降である。そこで捜査本部は、この関係した男が事件のカギを握ると考えた。
〈秘密の交際〉の気配
Tさんが外出した際に持っていたコートとハンドバッグ、折り畳み傘は現場から100メートル以上離れた橋の近くで発見された。
〈さらに、被害者の遺体解剖の結果、胃の中から中華料理を食べた形跡が明らかになった。それも、松茸の入った中華料理でした〉
捜査班は松茸を使う中華料理店を絞り込み、松茸の切り方から杉並区天沼の「北京料理 荻窪池畔亭」(現在は閉店)に目星をつけたが、聞き込みの結果は芳しくなかった。だが、他の聞き込みにより、遺体発見日の朝5時頃、現場付近で白っぽいルノーの乗用車が目撃されていた。
捜査本部はTさんの過去にも手がかりを求めた。兵庫で生まれたTさんは、生後間もなくカトリックの洗礼を受け、短大入学のため上京。卒業後は地元に戻り看護師となったが、患者男性との結婚を両親に反対され、再上京していた。客室乗務員の試験を受ける前は中野区の乳児院に勤めたが、異性関係は華やかだった。
〈それにしても、私がびっくりしたのは、カトリック信者として乳児院に勤めている女性にしては、いやに男性関係が多いな、ということだった〉
そこに捜査本部は〈秘密の交際〉の気配を感じたという。その糸口の1つは、足取りがわからなくなる前日、7日の午前9時ごろにTさんが受け取った速達郵便だった。差出人は「ドン・ボスコ社」である。
〈内容まではわからなかったが、手紙をTさんに渡した上司夫妻の話によれば、Tさんは「ドン・ボスコ社」という差出人のところを読むと、一瞬、顔色が変わったようで、さっとハンドバッグにその手紙をしまったという〉
「英字の東京地図をコピーして送った」
高井戸署の刑事2人は、キリスト教布教図書の出版事業を手掛ける「ドン・ボスコ社」本部を、杉並区の教会に訪ねた。対応したのはP神父とD神父、そしてルイ・ベルメルシュ神父である。
当時38歳のベルメルシュ神父は、ベルギーで農家の長男として生まれた。カトリックの司祭(神父)を志し、昭和23年に来日。調布市の神学校で学び、昭和28年に司祭の資格を得た。事件当時は「ドン・ボスコ社」の副社長で、主に会計を担当していた。
2人の刑事が手紙について質問すると、ベルメルシュ神父は「Tさんは知っている。よい信者でした。手紙は私が出しました」と答えた。加藤氏はこの“初対決”に同行していないが、記録されたやりとりを克明に記憶していた。
刑事「何を送ったんですか?」
ベルメルシュ神父「Tさんと会ったとき、地図を送ってくれといわれたので、英字の東京地図をコピーして送った」
刑事「いつごろTさんに会ったのですか?」
D神父「ベルメルシュ神父が留守のとき、Tさんから電話があったので、帰って来たときそのことを話すと、その翌日の3月3、4日ごろ、また私とベルメルシュ神父のところに電話が掛ってきた」
ベルメルシュ神父「Tさんから、ロンドンから帰ったら会いたい。明大のところへ来てくれといってきたので会った」
刑事「いつごろ、どこで会って、どんな話をしたのか?」
ベルメルシュ神父「電話のあった日の午後5時ごろ、自動車を運転して明大前まで行き、道路で会った。車の中や道路を歩きながら、Tさんはロンドンに行ってきてうれしかった、会社(BOAC)の関係で地図がほしいといったので、書いてあげる約束をして、3月6日ごろ送った」
驚かずに「ほ、死んだですか。よい信者でした」
この刑事との会話には引っかかる部分があった。
〈このやりとりの間に、ベルメルシュ神父が「Tさんがどうかしたのか?」と聞くので、刑事の1人が、「Tさんが死んだ」と話すと、別に驚いた様子も見せずに、「ほ、死んだですか。よい信者でした」と、何回も繰り返していた〉
そしてもうひとつ。
〈「どこでTさんと知り合ったのか」と聞くと、「乳児院へ話しにいったとき知り合った」と、素直に答えた。が、「あなたはどこに住んでいるのですか?」と聞くと、「この2階です。アリバイですか」と答えている〉
ただし、この段階での神父は容疑者として浮かび上がっていなかった。
〈しかし、捜査本部に帰って来た刑事は、「あの神父、なんとなくニオうな」といっていた〉
捜査本部はほどなく、Tさんが〈隠れて付き合っていた相手〉はベルメルシュ神父であるとほぼ確信した。その根拠は数々の“状況”にあった。
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一方では、神父のスケベぶりが耳に入ってきた――。第2回【茶も飲まず…27歳女性変死「疑惑のベルギー人神父」が任意出頭で見せた“異様な用心深さ”【昭和の未解決事件】】では、ベルメルシュ神父に関する女性絡みの噂や、最後に残った謎などについて伝える。
デイリー新潮編集部
