「失業手当193万円もらえるはずが…」年収1,100万円・40歳SE、退職後にハローワークで告げられた“まさかの一言”【社労士が解説】
副業解禁から早8年、本業とは別に収入源を持つ会社員も珍しくなくなりました。リスク分散や生活防衛の観点からも、副業には多くのメリットがあります。しかし、本業を「退職」することになった場合まで想定している人は、多くないのではないでしょうか。特に、副業が軌道に乗り、法人化を検討している場合、注意が必要です。SEであるAさんの事例をとおして、副業と失業給付の関係、そして見落としがちな注意点についてみていきましょう。社会保険労務士・岡佳伸氏が解説します。
副業と本業で年収1,100万円…順風満帆だったAさん
「会社を辞めても、しばらくはなんとかなる」
システムエンジニアのAさん(40歳・男性)はそう考えていました。大手IT企業に入社して10年。月給は50万円、賞与を含めた年収は約800万円あります。さらに会社は副業を認めており、Aさんは本業の傍ら、夜間や休日にシステム開発の仕事を請け負っていました。
副業の稼働時間は月40〜60時間ほど。月の売上は20万〜30万円で、年間では約300万円に達していました。本業と副業を合わせると、年収は1,100万円前後です。Aさんは妻と小学生の子ども1人との3人暮らしで、会社の借り上げ社宅に住んでいたため、生活には比較的余裕がありました。
「このまま会社員を続けながら、副業の売上も伸ばしていけばいい」と、将来に不安はありませんでした。
個人事業主のままでもよかったが…2年前に法人化を決断
Aさんは副業については当初「個人事業主」として仕事を受けていました。
しかし、取引先が増えるにつれて、インボイス制度への対応や請求書の発行、契約書のやりとりなど、少しずつ面倒なことも増えていきます。さらに、個人事業主への支払いは「個人への外注費」として扱われるため、取引先によっては源泉徴収の処理を嫌がるところもありました。
「法人にしてもらえると、こちらとしては支払い処理がしやすいんですがね……」
ときには取引先からこうした嫌味を言われることもありました。
こうした経緯から、Aさんは2年前に株式会社を設立することを決めました。自ら代表取締役に就任し、他に社員はおらず、実態はAさん1人の会社です。
とはいえ、業務は以前と同じシステム開発です。平日は本業、夜や土日は副業というスタイルも変わりません。ただ、請求書は法人名で発行し、売上は法人に入ります。Aさんの感覚では、法人化は節税目的というよりも、取引先のための配慮に近いものでした。
ところが、この「代表取締役」という肩書きが、あとになって思わぬ形でAさんに重くのしかかることになります。
生成AIの導入で、会社からまさかの「退職勧奨」
このように、本業も副業も順調だったAさんでしたが、状況が一変します。勤務先が、生成AIを活用した開発体制の見直しを始めたのです。Aさんの所属部署では、定型的なコード作成やテスト業務の一部がAIツールに置き換えられ、外部委託や人員配置の見直しが進みました。
上司との面談で、Aさんはこう告げられました。
「Aさんのスキルは高いんだけど、今後この部署で同じポジションを維持するのは難しいかもしれない。退職金の上乗せもあるし、外で活躍する道も視野に入れてみてはどうかな」
突然の退職勧奨です。人手がいらなくなり、会社は表向き「解雇」ではなく、「今後のキャリアを考えた選択肢」として早期退職を促しました。もちろん腑に落ちない面も多かったものの、会社に残ったとしても先行きは不透明です。また、副業で年間300万円程度の売上があることも、Aさんの判断を後押ししました。
「副業を続けながら、次の転職先を探せばいい。失業手当もあるはずだ」
思わぬ出費にヒヤリも、心の支えとなった“皮算用”
Aさんは、雇用保険についても一定の知識がありました。
「40歳で会社都合の退職勧奨、勤続10年、月給50万円であれば、基本手当日額(失業手当)は上限に近いはずだ」
ハローワークの給付日数表を調べると、所定給付日数は240日とあります。基本手当日額は8,055円程度。総額約193万円になる計算です。
「毎月の副業収入が20万〜30万円くらいある。そこに失業手当が入れば、焦って転職しなくてもいい。むしろ、この機会に自分に合う会社をじっくり探せる」
Aさんは、そう皮算用していました。ところが、退職後すぐに、避けられない支出が発生しました。人事部から会社の借り上げ社宅について、「退職日以後は退去するか、自己契約に切り替えてください」と連絡があったのです。
これまでは会社契約の社宅として家賃負担が抑えられていましたが、自己契約に切り替えれば、礼金・敷金・保証会社の費用、毎月の家賃負担が一気に増える可能性があります。妻も、「失業手当って、いつから入るの? 家賃も上がるなら、貯金を取り崩すことになるよね」と不安そうです。
それでもAさんはどこか余裕の表情で、こう言い切ります。
「大丈夫。今回の退職は会社都合みたいなものだし、俺の計算では240日分もらえるはず」
ところが、ハローワークの窓口で、その自信は崩れることになるのでした。
基本手当の受給はできません…担当者のひと言にあ然
その後、失業給付の手続きを進めるため、離職票を持ってハローワークを訪れたAさん。職員から現在の就労状況を聞かれ、Aさんは正直に答えました。
「本業は退職してしまったんですが、副業でシステム開発をしています。売上は月20万〜30万円くらいかな。2年前に法人化して、私が代表取締役です」
その瞬間、職員の表情が変わりました。
「なるほど。代表取締役に就任されている場合、原則として基本手当の受給はできません」
Aさんは耳を疑いました。
「え? でも、本業は辞めましたし、副業はあくまで副業です。会社員として再就職する意思もあります」
そう説明しても、職員の回答は変わりませんでした。
「個人事業主であれば、就労時間や収入、求職活動の状況を確認したうえで判断できる場合があります。しかし、代表取締役として法人の登記がある場合は、扱いが異なります」
Aさんにとっては、納得しがたい説明でした。Aさんの感覚としては、法人化は単なる取引上の都合です。社員を雇っているわけでもなく、事務所を借りているわけでもありません。やっていることは、個人事業主時代となんら変わりません。
雇用保険の実務で重くみられる「副業」の扱い
しかし、雇用保険の実務では、「本人が会社の代表取締役である」という事実は重くみられます。
「失業等給付」は、会社を辞めた人すべてに支給される制度ではありません。「就職したい」という積極的な意思があり、いつでも就職できる能力があり、求職活動をしているにもかかわらず、職に就けない状態にある人を支援するものです。
そのため、すでに自分の会社の代表者として事業を行っている場合、「失業している」といえるのかが問題になります。
特にAさんのように、代表取締役として登記され、実際に月20万〜30万円の売上があり、月40〜60時間程度の開発業務を続けている場合、雇用保険上の“失業”には該当しないと判断されます。
「失業手当をもらいながら、副業も続ける」
Aさんにとっては合理的なプランを立てたつもりが、「制度の壁」により、Aさんはその計画を見直しを余儀なくされました。
個人事業主のままなら、結論は違った可能性
Aさんが特にショックを受けたのは、職員からこう説明されたことでした。
「個人事業主のままであれば、受給できる可能性があったかもしれません」
もちろん、個人事業主であれば必ず基本手当を受けられる、という意味ではありません。自営業に専念していて、ハローワークからの職業紹介に応じられない状態であれば、やはり失業状態とは認められません。
ただし、個人事業主の場合は、実際の就労時間や収入、求職活動の意思、週20時間以上の就職に応じられるかなど、実態を踏まえて判断される余地があります。
Aさんの副業は月40〜60時間で、単純に週換算すれば10〜15時間程度です。案件の納期によって波はあるものの、日中は転職活動に使える日もあります。そのため、個人事業主のままであれば、「副業として一定の就労・収入申告をしながら、それ以外の日について基本手当の対象となるか」を検討できた可能性があります。
この点、Aさんのように法人を設立し、代表取締役になってしまうと、これは単に「副業をしている人」とは違う扱いになりやすい立場です。
法人化には、信用力の向上や取引先対応・会計処理のしやすさといったメリットがあります。しかし、会社員が副業を法人化する際、退職後の雇用保険との関係まで含めて考える必要があります。
「受給期間の特例」は使えるが…
Aさんが落胆していると、担当者は言いました。
「ですが、Aさんの場合は『受給期間の特例』を申請できる可能性があります」
雇用保険の基本手当は、原則として離職日の翌日から1年間の受給期間内に受ける必要があります。所定給付日数が240日あっても、受給期間を過ぎれば受け取れません。
一方で、2022年7月1日から、離職後に事業を開始等した人について、事業を行っている期間等を最大3年間、受給期間に算入しない特例が設けられました。これにより、離職後に起業した人が、すぐに基本手当を受けずに事業に挑戦しうまくいかなかった場合に、あとから求職活動へ戻る道が残されることになりました。
ただし、ここで重要なのは、この特例は「事業を続けながら基本手当をもらえる制度」ではないという点です。
受給期間を延ばす、あるいは事業を行っている期間を受給期間に算入しないという効果はありますが、実際に基本手当を受けるためには、「失業状態」に戻る必要があります。
つまり、Aさんの場合でいえば、副業を廃業(または少なくとも休業)し、代表取締役として事業に専念していないことを示したうえで、改めて求職の申込みをし、いつでも就職できる状態であることを確認してもらう必要があります。
Aさんは、また言葉を失いました。
「つまり、会社を畳まないと受給できないということですか」
窓口では、個別事情による確認が必要としつつも、Aさんのように代表取締役として事業を継続し、実際に売上もある状態では、基本手当の受給は難しいと説明されました。
Aさんにとって、副業法人は生活を支える重要な収入源です。月20万〜30万円の売上を捨ててまで最大約193万円の基本手当を受けるべきか……。
Aさんははじめて、自分が難しい選択を迫られていることに気づきました。
退職、失業手当なし、社宅退去…Aさんを襲う“三重苦”
退職後のAさんの家計は、想像以上に厳しいものになりました。給与収入800万円が消え、副業法人の売上だけが残りました。
しかし、年間300万円の売り上げをそのまま生活費に充てられるわけではありません。経費や税金、社会保険料、法人の維持費で、手元に残るお金はわずかです。さらに、借り上げ社宅からの退去で住居費もかさみました。
Aさんは、退職前にはこう考えていました。
「副業収入があるから安心」
「失業手当もあるから安心」
「社宅も、しばらくはなんとかなるだろう」
しかし、実際にはその3つが同時に崩れました。
高収入の会社員ほど、固定費も高くなりがちです。Aさんのように年収1,100万円の生活に慣れている家庭では、月々の支出も大きく、収入が急減したときの衝撃は想像以上でした。
副業時代に見落としがちな「退職後」の落とし穴
副業を認める会社は増えています。システムエンジニア、デザイナー、ライター、コンサルタントなど、専門性の高い職種では、会社員として働きながら副業で収入を得る人も珍しくありません。
副業自体は、キャリア形成や収入源の分散という意味で有効です。Aさんのように、将来の独立を見据えて取引先を増やしておくことも、決して悪いことではありません。
問題は、「法人化」の影響を十分に理解しないまま進めてしまうことです。法人化すれば、社会的信用が増し、取引先との契約がスムーズになることがあります。インボイス対応や源泉徴収の問題でも、法人のほうが都合がよい場面はあります。
しかし、会社員として雇用保険に加入している人が、副業法人の代表取締役になった場合、退職後に「失業者」として扱われるかどうかは慎重に判断されます。特に、実際に売上があり、継続的に業務を行っている場合、「会社を辞めたから失業手当が出る」と単純に考えることはできません。
個人事業主であれば実態に応じて判断されるケースでも、代表取締役という形式があることで、判断が厳しくなる可能性があります。
「副業で稼げる人」ほど、失業給付を過信してはいけない
Aさんのような事態に陥らないためには、退職を決断する前にいくつかのポイントを確認しておくことが重要です。
まず、副業を法人化している場合は、自分が代表取締役として登記されているか、実際にどの程度事業を行っているかを確認しましょう。売上が小さい、稼働時間が少ない、という自己判断だけでは不十分です。
また、退職後に基本手当を受ける可能性がある場合は、退職前にハローワークや社会保険労務士などの専門家に相談しましょう。退職後に窓口で初めて「受給できません」といわれても、法人化や契約関係は簡単には戻せません。
そして、借り上げ社宅や会社経由の福利厚生を利用している場合は、退職後の住居費を必ず試算しておくべきです。失業手当を前提に家計を組んでいたのに、その手当が受けられないとなれば、生活設計は大きく狂います。
Aさんは、決して無計画な人ではありませんでした。むしろ、会社員として高収入を得ながら、副業でも収入を増やし、法人化まで進めた行動力のある人です。
しかし、雇用保険の基本手当は、収入が減った人を一律に救済する制度ではありません。副業で稼げる人、法人を持っている人、自分の名義で事業をしている人ほど、「自分は失業者として扱われるのか」を丁寧に確認する必要があります。
Aさんは、後日、妻にこう話しました。
「会社を作ったときは、取引先とのやり取りが楽になることしか考えていなかった。まさか、失業手当に影響するとは思わなかった」
副業を認める会社が増え、以前より会社員の働き方は多様になりました。しかし、制度の側はいまだに「会社員」か「事業主」かという線引きを前提に動いている部分があります。
退職後に後悔しないためには、副業の収入額だけでなく、事業の形態、法人の役員登記、社宅などの福利厚生、そして雇用保険の受給可能性まで含めて、退職前に一度立ち止まって確認することが欠かせません。
岡 佳伸
社会保険労務士法人 岡佳伸事務所
特定社会保険労務士/1級ファイナンシャル・プランニング技能士
