(※写真はイメージです/PIXTA)

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母から自分、そして嫁へ――。そんな思いを込めて受け継がれた指輪。しかし、贈った側にとっては大切な家族の歴史でも、受け取った側には違う価値があることもあります。「使わないなら売る」という合理的な判断と、「受け継いでほしかった」という気持ち。そのすれ違いから見えてくる価値観の違いを見ていきましょう。

指輪を嫁へ…「受け継いでいってくれたら」

「もらった指輪を売るって、普通なんでしょうか……私には理解できなくて」

そう話すのは、神奈川県に住む63歳の女性、由里子さん(仮名)。その指輪は、由里子さんが母から譲り受けたものでした。

18金の台座にダイヤモンドがあしらわれた、ひと昔前によく見られた立て爪のリング。母から「あなたのために買ったの。大事にしてね」と渡されたものです。由里子さん自身、若い頃に何度か身につけたものの、徐々に出番は減少。それでも、手放そうとは思ったことは一度もなかったといいます。

「母がしてくれたように、私も同じことをしたかった。でも娘がいないので……息子がお嫁さんを連れてきたら、渡したいと思っていたんですよ」

昨年、長男が36歳で結婚すると、その思いを形にしました。

「これ、母からもらった指輪……あなたにあげたいの」

そう言って、指輪を長男の妻(29歳)に譲りました。母から自分へ、そして自分からお嫁さんへ。そして、さらにその次の世代へ。そんなふうに受け継がれていったら素敵だと、由里子さんは思っていたのです。

「もう売っちゃいました」…サラッと報告された衝撃事実

事実を知ったのは、今年に入って家族で食事をしたときのこと。長男夫婦が友人の結婚式に出席するという話題になったため、由里子さんは何気なくこう言いました。

「あら、それなら、あの指輪をつけるといいんじゃない? 結婚式とかパーティだと浮かないし、クラシックで素敵じゃないかしら」

すると、お嫁さんはあっさりと答えたのです。

「お義母さん、実はあの指輪、もう売っちゃったんです。サイズも少し合わなかったし、デザインも今の感じじゃないので、出番もなさそうで……」

そして、こう続けました。

「ちょうど金が高くなっていたので、いいタイミングだったんです」

買取店で査定してもらったところ、ダイヤモンド自体には大きな値段が付かなかったものの、18金がたっぷり使われた指輪だったため、買い取り額は27万8,000円になったとのこと。その現金を元手に、自分が欲しかった指輪を購入したといいます。

「実は今も付けてるんですよ。ほら、これ……実はずっとほしかったんです。結婚指輪と組み合わせても素敵で、すごく気に入っています。お義母さん、ありがとうございます!」

笑顔のお嫁さんに、悪気はないのかもしれません。もちろん、渡した時点で本人のものとわかりつつ、由里子さんの胸には複雑な思いが残りました。

「自分の好きな指輪のほうが、そりゃあ使いやすいでしょうけど。金額がいくらとか、デザインがどうとかじゃないんです。……私の感覚が古いんでしょうか」

「モノ」か「思い」か

由里子さんが直面した、ちょっとした事件。しかし、こうした価値観の違いがあっても、おかしくはありません。

例えば、着物や雛人形、五月人形などでも似たようなすれ違いは起きがちです。親世代は「受け継いでほしい」と願う一方で、子世代は「置き場所がない」「自分では使わない」と考える。世代の違いだけでなく、一人ひとりの価値観の違いもあります。

ある人にとっては「家族の歴史を象徴する大切な品」であっても、別の人にとっては「使わないものは手放し、必要なものに変えたほうがいいもの」。どちらが正しく、どちらが間違っているという話ではないのでしょう。

さらに近年は金価格の高騰も続いています。由里子さんが母から指輪を受け継いだ30年前、1996年頃の金価格は1グラムあたり約1,500円でしたが、2026年1月29日には29,815円と最高値を記録。その後はやや調整したものの、依然として高値圏で推移しています。

お嫁さんからすれば、「売るなら今」「使わないまま眠らせるより、自分が本当に身につけたいものに変えたい」と、合理的に考えたとしても不思議ではないでしょう。

一方で、由里子さんにとって、その指輪は単なる貴金属ではなく、亡き母との思い出があるもの。お嫁さんから「もう使わないから、売ろうと思うんですが」と事前に聞かれていたら、受け止め方は違ったでしょう。

そもそも、由里子さんから渡すときに、母との思い出と自分の想いをきちんと言葉にして伝えていれば、結果は違ったかもしれません。「言わずとも、指輪を持っていてくれる、受け継いでいってくれる」というのは、由里子さんの願望であって、お嫁さんには知りようのない気持ちだった可能性もあります。

物に込められた思いの価値は、人によって大きく異なります。ただ、家族だからこそ、お互いの価値観を少しだけ想像してみることが必要だったのかもしれません。