――今作では3人それぞれが歌詞を書いていますが、それぞれが書く歌詞の特徴や癖のようなものはありますか?

高橋:えっちゃんの歌詞は、見たら絶対えっちゃんって分かるのが多くて、チャットモンチーのロックな部分を歌詞として担ってるのは、えっちゃんかなって。自分の思ってることだったり、ぐつぐつしてる部分を出すのが、えっちゃんの歌詞だなって思います。

福岡:久美子のは、シーンが思い浮かぶ。あと、「〜だよ」とか語尾につけることで、もう久美子って分かるんですけど、私にはそれが徳島弁でしゃべってるように聴こえてるんですよ(笑)。方言が出てきそうなくらい、身近な感じがするような、しゃべりかけるような歌詞を書く人。えっちゃんの歌詞は久美子が言ったみたいに、自分の中にあるものしか書いてないんじゃないかな?って思うんですけど。「ぐつぐつしてるもの」っていうのは当たってると思います。

橋本:うん、その通りですね。お話を考えて書くというのが出来なくて、想像では書けないのがいつも悔しいなぁと思うんですけど。本当に体験したことじゃないと書けないですね。

――自分で作曲もする橋本さんから見て、二人の歌詞はどう感じていますか?

橋本:前までは手書きで、自分の持っているノートの端とかでもらってたんですけど、最近はメールでもらうことが多くなって。手書きでもらってた時の方が違いがはっきりしてたんですけど、メールになると整頓されて見えて。特に東京に越して来てからの方が、余分な物がなくなってきたと、二人ともに思います。前までは「詩」っぽかった所があったんですけど、ぐんと「歌詞」っぽくなったと思います。

――初夏に公開となる映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の主題歌に「世界が終わる夜に」が決定していますが、これは台本を見て歌詞を書かれたのですか?

福岡:まだその時は映画が出来てなかったので、映画の原作を見て書きました。このお話を頂いた時に、私は上京したばかりかしてなかったかぐらいの、東京にちょっとずつ慣れていこうとしてる時で、「ちょっと東京って嫌だな」と思っていて(笑)。私はあまり暗い歌詞って書かないんですけど、ちょうど田舎から出てきた時の自分の閉鎖した気持ちとかを書きたかったので、もうどん底に暗いのが書けましたね(笑)。

――それから時間が経って、東京にはもう慣れましたか?

福岡:はい、何であんなに暗かったんだろう?って思うぐらい(笑)。でもその時は強く、サビの「私が神様だったら、こんな世界を作らなかった」って思ってました。

――順番として、先に歌詞があって、それに曲をつけていくそうですが、ふとメロディーだけが先に浮かんで、それに歌詞をつけるということは全く無いですか?

橋本:やろうとしたことはあるんですけど、歌詞が最初にある方がやりやすいので、そうなってしまいます。

――そっちの方が大変じゃないですか?

橋本:いいえ、ものすごく作りやすいです。歌詞が無いと目標が見えないから。歌詞は王様みたいなもので、「はい」も「いいえ」もなくて、「こうです!」というのが歌詞で、それをテッペンにして付けていくから、本当にやりやすいんです。

――歌詞から曲を作られる方って少ないですよね。

橋本:不思議ですよね。バンドを始めた時からずっとそうしてたから、それが普通やと思っていたからなんだと思います。逆に、別のやり方が本当に難しいって思うんです。だから変な感じです。

――聴く側としては、予め決められた譜割りに当てはめられた言葉より、ある程度自由に書かれた言葉の方が、曲の世界観が伝わりやすいと言うか、その世界に入り込みやすいというのはありますね。

橋本:曲の方が色々出来るというか、日本語の方がメロディーに比べるとパターンが少ないと思います。

――日本語と英語とで意識されたりしますか?

高橋:普段もちろん洋楽も聴きますけど、心をグッて打たれるのは日本語の歌詞なので、チャットモンチー自体が歌詞を中心になってる所があるから、日本語は大事にしていますね。