60代が考える「親との関係」。92歳で大往生した父の人生から学んだ唯一のこと
夫の引田ターセン氏とともに、2003年より東京・吉祥寺でギャラリー「フェブ」とパン屋「ダンディゾン」を営む60代の引田かおりさん。今回は、引田さんの親子関係のこと、亡くなった父への思いについてご紹介します。
※ 記事は『LOVE MYSELF』(大和書房刊)より一部抜粋、再構成の上作成しております。

夫婦も親子関係も一朝一夕ではない
夫婦よりも厄介なのは親子関係かもしれません。夫婦は所詮(しょせん)他人です。理解できない大きな問題をどうしても解決できなければ離婚という選択肢があります。でも親子はそういうわけにはいきません。
国際結婚などで海外に長く住む友人たちの一時帰国はまさに久しぶりに会う親たちとの葛藤の日々です。年々年老いていく親たち、せっかく一年に一度の再会なのに、どうして優しくできないんだろうと、彼女たちは反省しきりです。
親の期待値と彼女たちの現実がまさに嚙(か)み合わない時間の連続、お互い大事なときに理解を深める努力を放棄してきた結果、どちらに非があるわけでもないんだけどギクシャクした日々に。
私は還暦になったときに、人の心配はもうやめると決意しました。でも悩み多き友人たちの話を聞いていると、ついつい自分の考えや経験が少しでも役に立てばいいなと思ってしまい、話を聞いたり、アドバイスしたりしてしまいます。
夫婦も親子関係も決して一朝一夕ではありません。時間ができたらと思っている間に子どもは成長し、共通言語も話題も見つからない寂しい関係になってしまうのです。
なるほどそうかもしれないと危機感を持ってくれた夫は、時間が自由になる海外出張に息子を同行させたり、娘とふたり旅を計画するようになりました。振り返ると、やっぱり重ねた時間が今をつくっていると思います。
お互いそこに愛があったことだけは信じよう

前述の親子のひとりも、お母さんがとても優秀な仕事人間で、小さい頃はずいぶん放っておかれた記憶があるそうです。スーパーのレジがもたついたりしているとお母さんがいつどなり出すかとハラハラドキドキしていたことも。
私は私、お母さんはお母さんと割りきって生きてきたのに、今になってゆっくり話を聞いてほしい、バタバタ出かけないで家にいてほしいと自分に要求する親に、なにを今さらと当時の怒りが再燃しているようです。
できれば優しくしたいのにそうできない彼女の苦しみを、そばでただ聞くことしかできない私ですが、「これが最後になるかもしれない」「もう先は長くない」というような脅し文句を子どもたちに言うのだけは絶対やめようと心に刻んでいます。
かくいう私もどうして離婚しないんだろうという親のもとで育ちましたから、結婚後は距離をおき、遠くから愛と金銭的な援助でつじつまを合わせていました。ほしかった形とは違うかもしれないけど、お互いそこには愛があったことだけは信じようと思っています。
92歳で大往生した父の人生を思う

父が死んだ。92歳、大往生と言っていいのだろうか。大好きだった父、というわけではないのと、いつもどこかでこの世は仮の世みたいな気持ちが私にはあるので、「お疲れ様でした」というのが正直な気持ちです。
父の人生は、婚外子として生を受け、実母の母親と実母の兄の元で暮らすことになるというスタートでした。
そのあたりのことを詳しく聞いたことはありませんが、びっくりしたエピソードに、実母が嫁いだ先に先妻の同い年の息子がいて、大学受験になったとき、父の方が優秀だから息子と同じ大学を受けないでほしいと実母が言いにきたという話があります。
第二次世界大戦、東京大空襲のときに中学生だった父です。父が長野へ疎開して間もなく、この空襲では随分同級生が亡くなったと最近聞くことができました。そういう時代に自分の思うように生きるのは難しかったのかもしれません。
でも、なんでもかんでも大人のいうこと聞きすぎだよ、と私にとっては歯がゆいエピソードでしかないのです。母との再婚もはたして父の本意だったのか知る由もありません。
淡々と生きた父から学んだ唯一のこと

私が20歳で結婚するときに父に言ったことは、私はもう大丈夫だからパパはパパの人生を生きてほしいという言葉でした。ずっと私には父がなにかに耐えている世捨て人のように見えていたから。
思春期だった私は父親の理想像みたいなものに憧れて、これだけは読んでおけみたいな本はある? なんて聞いてみたりしました。これと渡されたのが『宮本武蔵』上下巻、思い出しても笑えますよね。
お父さんがいて、お母さんがいて、みんなでごはんを食べて、という暮らしに私が強く憧れるのは、間違いなく自分の生い立ちに起因していると思います。娘にどう接すればよいのか、どう声をかければよいのか、されてこなかったことを人にするのは本当に難しいことだったのかもしれません。
とにもかくにも父は流れに逆らわずに淡々と人生を生きた人だったと思います。ぐちもぼやきも聞いたことがありませんが、父の口から夢や希望も聞いたことがありません。真面目でがんこな自分のなかにときどき父を感じることはあっても、私にとっての父はやっぱり反面教師です。
おかしいことはおかしい、いやなことはいやだと言って生きていきたい。「だってしょうがないじゃない」という父の声が聞こえてきそうですが、そのことが父から学んだ唯一のことかなと思います。
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
