トヨタ車の“信頼性”なぜ高い? 新車販売台数でトップな「自動車メーカー」の“起源”を「産業技術記念館」と「国内初の乗用車専門工場」で知る
世界の新車販売台数でトップを走るトヨタの起源
トヨタグループ発祥の地「豊田自動織布工場」の跡地に立つトヨタ産業技術記念館(名古屋市西区)。赤レンガ造りの大正時代の工場が色濃く残された何ともノスタルジーな気分になる空間に、日本の発展を支えた繊維機械と自動車技術の変遷を体験できる施設が詰め込まれています。
世界の新車販売台数でトップを走るトヨタグループの原点とはどのようなものなのか。その一片を知ることができる同博物館を訪ねてみたので、レポートします。
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トヨタ産業技術記念館は、トヨタ自動車を創業した豊田喜一郎氏の生誕100年にあたる1994年6月に開館しています。今年、2024年は30周年を迎える年でもあるのです。
そんな歴史ある同記念館は、大きく分けて“繊維機械館”と“自動車館”の2つに分かれています。
トヨタグループの起源を知る
順路としてまずはじめに入るのが、繊維機械館。ここは前述した赤レンガだけでなく、柱や梁までもがそのまま使用された広大な空間が広がっています。
この中に配されるのが、様々な繊維機械たち。中でも注目なのは、トヨタグループの創始者、豊田 佐吉氏が作り上げた、初代の自動織機から最新の自動織機まで、歴代の自動織機が並べられその進化を感じられるコーナーです。
ほぼ木材で組み上げられた“カラクリ”のようなものから、超高速で織物を編み上げる最新の機械までにたどり着くまでに、どのような“改善”が行われてきたのかが良くわかります。
なかなか、機械だけを見ていてもわからないモノですが、記念館のスタッフが実演をしてくれたり、解説をしてくれたりするので、理解度が高まります。
ここではっきりするのが自動織機は、緻密な産業機械であることです。工場の中で稼働するもので、効率性やコスト、そして何より“信頼性”が重視されます。
トヨタが自動織機を起源とするからこそ、今日生産される自動車たちも“高い信頼性”を有するのだと感覚的に理解できます。
また、繊維機械館には、“自動織機”自体の量産の風景が再現されたコーナーもあるのですが、ここでも現代の自動車生産にも通ずる“ライン生産”が当時から行われていたことがわかります。
苦難の末たどり着いた“量産車”
繊維機械館を抜けると、いよいよ自動車館が見えてきます。一番最初に目に入るのは、自転車に取り付けて使用する「スミス・モーター・ホイール」を参考にした小型ガソリンエンジンの試作風景です。トヨタも、ホンダ等と同様、今で言う自動二輪車のようなものからエンジンづくりに挑戦したことがわかります。
ここでは、トヨタ自動車の起源である豊田自動織機製作所の自動車部開設当時のことが描かれています。中には、自動車づくりの参考のために1933年式のシボレー車を分解調査したことも解説されており、彼のトヨタも最初は“見様見真似”で自動車づくりに挑戦していった様子が見られます。
順路を進んでいくと、当時の“材料試験室”を再現したコーナーに当たります。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎氏は自動車の生産を始めるにあたり、材料に関する問題を最も重要視していたといいますが、当時の日本の製鋼業界には自動車用鉄鋼材料を安定して作ることは出来なかったため、自身で材料から研究していったようです。
ここでわかるのは、当時の自動車開発は本当に手探りで進められていたということです。どのような材料を使えばいいのかすらわからないとなると、国産の量産車を作るその道程がいかに途方も無いものであったかがうかがい知れます。
さらに歩みを進めると、トヨタが最初に量産を行った「G1型トラック」の誕生や、販売体制の構築、最初の量産乗用車「AA型」に関する展示が行われています。
ようやっとメーカーの形をなしてきたトヨタ自動車が、どのような展開を行ってきたのかが見られます。
このコーナーを抜けると、戦時下に行ってきた航空機やガソリンに代わる代替燃料の研究など、当時の先進的な研究や、戦後行ってきたミシンやプレコン住宅といった、自動車以外の新規事業の研究といった、トヨタがその後の可能性を模索してきた布石が見られます。
これより後の展示は、1955年(昭和30年)発売の初代「トヨペット クラウン」から、燃料電池車「ミライ」まで、時代を見据えた車両開発がどのように行われてきたのかということが描かれています。
このほか、自動車に関する国産技術や、生産技術の進化などがわかるコーナーが用意されており、トヨタ車を事例として自動車が誕生してから現在までどのような進化を遂げたのか学ぶことが出来ます。
現在は世界の新車販売台数でどのメーカーをも凌ぎ、盤石とも思えるトヨタも、ここまで来るのに、数多くの苦難を乗り越えて、“改善”と挑戦を続けてきたことが感じられました。
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トヨタ産業技術記念館の館長、大洞和彦氏は、同記念館について、以下のようにコメントしています。
「コロナ禍等で先の見えない今だからこそ、当館の原点を尊重しつつ、新しいミッションに挑戦したいと考えています。
それは、『技術の変革と産業の発展が未来を築く』ことを館全体で表現し、『モノづくりの歴史から未来を展望する学びの館』として、持続可能な社会づくりへの貢献を目指す、というものです。
壮大なミッションですが、トヨタグループ発祥の地で博物館を構える私たちには、それを成し遂げるべき使命があると信じます」
現状でも学びたっぷりなトヨタ産業技術記念館が、今後どのような変化を見せるのか注目です。
トヨタ自動車の最初の工場「元町工場」とは
トヨタ産業技術記念館のある名古屋市から40分ほどクルマを走らせると、同社の“元町工場”(愛知県豊田市トヨタ町)があります。この工場にも立ち寄って、工場内を見学させていただきました。
元町工場は1959年に操業を開始し、前述の初代クラウンを皮切りに、「トヨペット コロナ」(1960年生産開始)など、トヨタ創業期を支えたクルマたちを送り出してきた国内初の乗用車専門工場。
現在では、「クラウン セダン」、「クラウン クロスオーバー」、「MIRAI」、「センチュリー セダン」、「bZ4X」、レクサス「LC」、「RZ」、スバル「ソルテラ」、「クラウンパトロールカー」といった様々なクルマを生産しています。
また、GRファクトリーも内包されており、「GRヤリス」、「GRカローラ」といったクルマもここで生産されています。
そんな元町工場では、前述の車種たち…セダン、SUV、ミニバンと、ボディタイプの違いだけでなく、ガソリン車、ハイブリッド車(HEV)、電気自動車(BEV)、燃料電池車(FCEV)といった様々なパワートレインや駆動方式のクルマも含め、“混流生産”を行っています。
これだけ多種多様なクルマを混流生産しているのは、トヨタの中でも異例だといいますが、その実現のため、工場の中では多種多様な“改善”の痕跡が見られます。
トヨタの公式メディア「トヨタイムズ」によれば、内閣総理大臣 岸田文雄氏(訪問当時)が同工場を訪問した際、以下のようにコメントしたようです。
「製造工程に手づくりのさまざまな工夫を凝らす“カイゼン”という言葉が世界中で使われていますが、まさにその現場を見させていただいたと感じ、感銘を受けました」
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産業記念館と元町工場をあわせて見学すると、創業当初からトヨタはブレずに“モノづくり”と向き合ってきたことが良くわかります。
日本を支える一大産業である自動車業界のトップを走り続けるトヨタが“何を考えているのか”…その一片を理解することができるので、機会があればぜひ皆様にもご覧いただきたいところです。