被害者の女性は昼は会社員、夜は娼婦という二重生活、そして未だに捕まらない犯人…。1997年3月に起きた「東電OL殺人事件」に残された謎、その後の社会に与えた影響を、ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

【写真を見る】東電OLがカラダを売っていた「現場のアパート」


昼は会社員、夜は娼婦という二重生活をしていた被害者。なぜか彼女の定期券は、巣鴨で発見された ©八木澤高明

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1997年の東電OL殺人事件

 1997年3月、渋谷区円山町にある時代に取り残されたような木造の古ぼけたアパートの一室からひとりの女性の遺体が発見された。遺体には首を絞められたような跡があり、その部屋で殺害されたのだった。

 アパートは京王電鉄井の頭線駅前にあって、人通りが途切れることはない。アパートは、玄関を開けると、台所、その奥に和室が二部屋並んでいる。彼女は、台所に隣接した部屋で発見された。

 その女性は東京電力の会社員だった。なぜそんなところで、彼女は遺体となって発見されたのか。

 彼女は、会社員と娼婦という二つの顔を持っていて、円山町界隈で交渉がまとまった男と、この部屋へ足を運び、何らかのトラブルに巻き込まれ殺害されたのだった。

 大手企業のエリート会社員が、娼婦として体を売っていたという事実は世間に衝撃を与えた。この事件の容疑者として逮捕されたのが、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリーさんだった。

 裁判は一審無罪、控訴審無期懲役、最高裁では上告が棄却され、有罪が確定したが、一貫して無実を主張してきたゴビンダさんの再審請求が認められ、2012年に無罪判決が下されたことを記憶している読者も多いことだろう。

 裁判で、被害者の膣内から発見された体液が、ゴビンダさんのものではなく、第三者のものであるということがDNA鑑定によって明らかとなり、無罪が言い渡された決定的な理由となった。部屋に残されていた陰毛や被害者の爪からも、膣内に残されていた体液と同じDNAの皮膚片が発見され、真犯人は被害女性の体内に体液を残した男ということが明白となった。

 果たして、被害女性を殺した真犯人はどこに潜んでいるのか。

 この事件で、犯人と結びつくのは、体液以外に巣鴨で見つかった被害女性の定期券だ。巣鴨は被害女性の通勤経路から外れていて、まったく土地勘の無い場所だ。彼女の定期券が発見されたのは、殺害されてから4日後の3月12日の午前中のことで、とある民家の庭先に落ちていた。

 巣鴨にある定期が発見された民家は、土地勘のある人物でなければ、来ることはない細い路地の奥にある。発見者の女性が貴重な証言をしてくれた。

「朝、花に水やりをしていたら、壁際に、黒い定期入れが落ちていたんだよ。名前を見たらカタカナでワタナベと書いてあったんだ。近所にワタナベなんて名前の人はいないから、警察に届けたんだよね。水やりは毎日の日課でね。前の日は定期券なんてなかったよ。酔っ払いが間違って捨てていったんじゃないかと思っていたら、まさかこんな大きな事件に関係あるとは思わなかったよ」

 この界隈に当時住んでいた人物か、もしくは友人、知人が住んでいた人物が捨てたということが考えられないか。

ゴビンダ犯人説を崩す「定期券」の存在

 地元の住民に話を聞いてみると、事件後警察がこの界隈で聞き込みなど、した形跡はないという。警察にしてみれば、定期券を持った人物の存在は、ゴビンダ犯人説を崩す邪魔でしかなかった。当時、この付近を徹底的に捜査していれば、定期券に関連ある人物を見つけることができたのではないか。

 ちなみに、定期券が発見された場所の周辺には、1997年当時、イラン人やバングラデシュ人などが多く暮らしていた。特にイラン人は、違法テレフォンカードを販売したり、不法滞在をしながら暮らしている者も少なくなかった。

「当時は、ちょっと夜になると物騒なところはあったね。イラン人が店を閉めたあとの夜中に酒を売ってくれって来たんだけど、売らなかったら、自動販売機を壊されたなんてこともあったな」

 今も定期券が発見された現場周辺で酒屋を経営する男性が言う。そうした話がこの事件と結びつくわけではないが、何らかの事件の温床となり得る空気が、この町の周辺には間違いなく漂っていた。

その後のゴビンダさん家族

 現在、ネパールの首都カトマンズで暮らしているゴビンダさんは家族と水入らずの生活を続けている。

 ゴビンダさんが、日本に旅立ったのは、事件を遡ること3年前の1994年のことだった。

 その当時乳飲み子だった娘さんは、すでに結婚し、ネパールから海外に嫁いでいる。2000年に初めて来日したゴビンダさんは、写真を見る限り、心労から解き放たれ、日本に滞在していた時と比べ、ふっくらとし、健康的な表情をしている。

 彼らは冤罪の被害者として失ってしまった時を、日々懸命に取り返している。

 一度は地獄を見て、そこから抜けだすことができたゴビンダさん。その一方で、事件の被害者である女性会社員の魂は、真犯人が捕まらない限り救われることはない。

 果たして、真犯人はどこに消えたのだろうか。

 警察は、今も犯人逮捕のため捜索を続けている。

 私は、日本に暮らして30年以上、日本語も堪能なネパール人の男性から思わぬ話を聞いた。

「日本は好きだが、警察は…」今もネパール人への厳しい視線が止まらない「東電OL殺人事件」“第2の被害者”たちの悲痛(1997年の事件)〉へ続く

(八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))