〈部屋の中の写真アリ〉首相官邸を襲撃した“こども部屋おじさん”臼田容疑者の父親が重大証言「5年以上前から灯油のポリタンクが届くようになった」

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衆院選公示後最初の週末を迎えた10月19日、東京・千代田区の自民党本部に火炎瓶を投げ込んだ男が、首相官邸前の防護柵に軽自動車を突っ込ませた。車は炎上し、男は公務執行妨害の現行犯で警視庁に逮捕された。火を消し止めた車の中にはタンクに入った大量のガソリンがあり、引火していたら日本の政治の中枢で大惨事が起きかねなかった。粗暴で危険な襲撃の動機について男が黙秘する中、同居する父親は、息子は5年以上前から犯行を準備していた気配があったと重大な証言をした。

〈画像〉臼田容疑者の部屋。パソコン机に残された3つのモニターと“味ポン”、六法全書も…

 

ガソリンは京アニ事件以上の量を車に積んでいた

男は埼玉県川口市に住む職業不詳、臼田敦伸(あつのぶ)容疑者(49)。

「19日午前5時43分ごろ、軽自動車で自民党本部前に乗りつけ、高圧洗浄機で液体を噴射した上、火炎瓶を5回程度投げ込みました。

党本部の門扉の一部や機動隊車両のバンパーが焼け、火炎瓶は党本部敷地内にも落ちました。その後、約600メートル離れた首相官邸まで車を走らせ、柵に突っ込んだ後発煙筒のようなものを機動隊員に投げつけたところで取り押さえられました。その時に車が炎上しています。火をつけた疑いもあります」(社会部記者)。

臼田容疑者は身柄を確保された際にはガスマスクと防護服を着用しており、さながら生物・化学兵器戦に投入される特殊部隊のようないでたちだった。現場で対応に当たった機動隊員3人がのどの痛みを訴えているという。

SNSに投稿された事件現場の映像では、軽のワンボックスカーは花火のような閃光に包まれており、何らかの可燃性の物質が燃やされたとみられる。

「火を消し止めた車内からは灯油用の18リットル入りのポリタンクが約20個見つかり、うち16個にはガソリンが入っていました。ガソリンの量は合わせて数十リットルあった可能性もあり、これに引火しなかったのは本当に幸運でした。

36人が亡くなった2019年の京都アニメーション放火事件では死刑判決が出ている青葉真司被告が現場でまいて火をつけたガソリンは10リットルで、あれだけの大規模火災になりました。今回も非常に危険な状況にあったと言えます」(社会部記者)

 政治の中枢部分に強力な攻撃を仕掛けた臼田容疑者は取り調べに黙秘し、声明文も発表されていないため、動機ははっきりしない。

埼玉県川口市で臼田容疑者と2人で暮らしていた歯科医の父、臼田篤伸(とくのぶ)さん(79)は、臼田容疑者が以前、原発の再稼働反対運動に携わっていたため「原発政策を進める自公政権に不満を持っていたためではないか」と推測している。

だが詳しく聞いていくと、篤伸さん自身、臼田容疑者とは何年にもわたって思いを語り合ったことがなく、臼田容疑者は原発反対運動の仲間とは数年前から関係を断っていることがわかった。

福島第1原発の復旧工事にも携わっていた

臼田容疑者はどのような人物なのか。篤伸さんが話す。

「息子は、2歳の時に私が離婚し、すぐに再婚した後妻のもとで育ちました。地元の公立小学校から中高一貫の私立へ進みました。成績は悪くなかったと思いますがイジメを受けていたようです。私は医者になってほしいという希望があって2回ほど話をしましたが、息子は大学に進学しようとしませんでした。親の方針に従いたくないということだったんじゃないですかね」

高校を卒業した臼井容疑者は川崎市の運送会社で長距離トラックの運転手として働き、会社の寮で8年間生活していたという。バスの運転手をしたこともあるという。

30代になってから、父篤伸さんが後妻と離婚した後に、生家である今の家に戻り父との二人暮らしを始めている。

「あまり友達をつくる性格ではなかったですね。それでも一緒に暮らし始めたころは死刑反対運動に熱心に取り組んで廃止を求めるグループに入っていました。彼なりの正義感を持っていて、死刑は残酷だということだと思うのですが、理由について話をしたことはありません。

その後、東日本大震災の後は反原発運動に取り組むようにもなりました。東京電力福島第1原発事故を受け日本中の原発が止められましたが、震災翌年の2012年に野田佳彦政権が関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を図った時の抗議運動に参加し、現地へ行ってテント生活を1年か、もっと長く続けるなど抗議をしていました。

実は私も、原発は危険極まりないと思っていて運転には反対で、テント生活をしていた息子を訪ねカンパをしたこともあります」

福島事故の後、臼田容疑者は福島第1原発の復旧工事にも携わっていたという。「反原発の一環だったんでしょうけど、そういう思想は隠して行ったと思いますよ。現地で作業員を運ぶバスの運転手をしたみたいです」

大飯原発の再稼働は震災直後の「原発ゼロ」を終え、日本で再び原発を使う岐路となった。これを阻止できなかった臼田容疑者は再び川口の生家での父との二人暮らしに戻る。だが、以前と違ったのは、それまでの友人との付き合いをやめたことだった。

「再稼働阻止がならず家に帰って来た時、息子は挫折感を抱えていたと思います。付き合いを全部断ち切り、友達は誰もいなくなりました。人間関係が面倒くさくなったんじゃないですか。自分一人でやるのが一番楽だっていうこと。それで部屋にこもって、ホームページの制作の仕事をしながら勉強を始めました」

「5年以上前から準備していたと思います」

臼田容疑者は、まず司法書士の資格に挑み、これは断念して後に行政書士を狙い、合格して資格を取っているという。ただ、行政書士になる気はなかったようだ。

2021年1月、臼田容疑者のSNSには、以前勤めた運送会社で給料の未払いがあったとして労働基準法違反で刑事告訴したものの「非常に残念ながら不起訴になりました」との書き込みがある。篤伸さんは「そういうこと(刑事告訴)をするために勉強したわけです」と言う。

反原発運動の現場をともにしたこともあった父子の関係は、臼田容疑者が部屋にこもるようになったあと変化し、近年は会話がなくなっていた。「聞いても言わないですし、必要なことはメモ用紙にメッセージを書いて息子の目に留まるように置いておくんです」と篤伸さんは話す。

そして、二人の間がこうした関係になってしばらくしてから、家の中に“異物”が現れるようになる。

「5年以上前からだったと思います。ポリタンクや何に使うのか分からない工具を見るようになりました」

そのポリタンクこそ、首相官邸前で炎上した車の中にあったガソリン入りのポリタンクと同じものだった。

「あの時から今回の事件の準備をしてきたんだと思いますよ」

そう篤伸さんが見る臼田容疑者は、今年に入ってさらに動きを見せる。

「息子はコロナ禍の時から、複数のサービスを掛け持ちして飲食の宅配をやっていました。週に5、6日は終日働いていました。

それが、半年ほど前までにこれらの仕事を全部やめたんです。以前は心配するほど毎日酒を飲んでいたのですが、同時期に酒量もかなり減りました。このころから計画を具体的に練っていたんじゃないですかね」

友達付き合いをやめ、同居する父との会話も拒んでいた臼田容疑者。周囲との対話がもしあれば、事件の兆しが表れるか、襲撃自体を思いとどまったかもしれないが、そうした機会はなかった。

父の話に耳を傾けると、その背景に、幼少期からの体験が暗い影を落としている可能性が見えてきた。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班