交通事故と入院を乗り越え…アルツハイマー病の東大教授が参列した、波乱まみれの「感動的な」結婚式

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「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。

だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第23回

『「島流しだ!」と嫌がっていたのに…アルツハイマー病になった東大教授が、沖縄で見つけた「新しい居場所」』より続く

結婚式3日前のこと

南国で暮らし始めて2年目の夏、晋と私の旅は、思わぬ方向へ進み始めました。きっかけは、次男の結婚です。弘前大学を卒業した次男は、その後、北海道に移り、札幌の病院で研修医として働いていたのですが、その後現地で式を挙げることになったのです。私たちは沖縄からいったん栃木に戻り、そこから札幌へと旅立ちました。

忘れもしない、2007年7月25日、結婚式3日前のこと。

新千歳空港から乗った車が、最初の交差点で横から来た車と衝突したのです。事故が起きた瞬間は何が何だかわからず、私はただ、ぼんやり外を見るばかりでした。

救急車のサイレンが近づいてくる……。

その後のことはまったく記憶になく、気がついたときは千歳市民病院のベッドの上にいました。すでに頭部のCT検査が終わっていて、ふたりとも異常なし。ただ、全身打撲に加えて、晋は右腕を複雑骨折する重傷で、

「手術後に後遺症が残ります」

担当医からそう告げられました。晋も私も、後部座席に座っていてシートベルトをしていなかったのです。私は自分の不注意を恥じました。

結婚式は延期かと思われたが…

病室は男女別々です。私はちょくちょく、晋の部屋をのぞきに行きました。

「大丈夫」

本人はそう言いますが、応急処置が施された右腕は、何とも痛々しい。見かねた次男はついにこう申し出ます。

「こんなことになったから、『結婚式は延期しよう』とふたりで話し合ったんだけど……」

「パパのことは心配しないでいいから、予定通りやったら?もう準備はぜんぶできてるんでしょ?」

晋の気持ちも同じだと感じていたので、迷いはありません。先のことを考えると、できるときにやっておいたほうがいい―私にはそう思えたのです。

黒いダブルのスーツに、真っ白な布でつるしたギプスつきの右手。思いがけない姿となりましたが、晋は結婚式に出席できました。嬉しそうに次男夫婦を見つめる傍らで、私はというと、ときどき痛みで顔をしかめる夫に気持ち半分、次男夫婦に気持ち半分、といった具合でなんとも落ち着きません。

次男も父親のことが気になるようで、

「お父さん、大丈夫かなあ」

式の合間に小声で尋ねるのです。事故の傷のこともありましたが、終わりに予定されている挨拶ができるかどうかも気がかりな様子。

「大丈夫だよ」

彼にはまだできる−私はそう信じていました。

ちょっとした「事件」

晋は人前に立つと、かえって度胸が据わるタイプです。第一、本人は挨拶する気でいるのですから、なおさら親として「普通の」役割を果たさせてあげたい。

「みなさん、ご列席ありがとうございました。どうぞこのふたりを、よろしくお願いします」

晋の挨拶はこんなふうに始まりましたが、今となっては全文を思い出すことができません。ただ、堂々たる口調で、最後は目に涙を浮かべつつ語りかけていました。

「挨拶は簡単がいいね」

そう話し合っていたので、長くはありませんでしたが、彼らしいものになっていたと思います。

こうして結婚式は無事に終わり、晋は次男に付き添われて右腕の手術のため入院。私は札幌市内のホテルに滞在することとなりました。

病院では、ちょっとした「事件」がありました。晋が深夜の病室で騒いだ、というのです。

夜中に目覚めたら、いつもそばにいる私がいない。おまけに見ず知らずの場所にいる。そんな急な変化に、理解が追いつかなかったようでした。外泊して目覚めたとき「ここはどこだろう」と思うことが、私にもあります。次の瞬間には状況を思い出すのですが、アルツハイマー病の晋の場合、それがうまくいかないのでしょう。

ともかくその晩は、病院から連絡を受けた次男が駆け付け、本人に事情を説明して落ち着かせたそうです。そして翌日からは病室に簡易ベッドを入れてもらい、私が泊まり込むことにしました。同じ場所で、同じ人と、同じように暮らす−それが、晋にとって最もストレスの少ない生活なのだと痛感した出来事でした。

『政府の高官がアルツハイマー病に…苦難を乗り越え「世界一有名な認知症患者」となった女性と私の「奇跡のような出会い」』へ続く

政府の高官がアルツハイマー病に…苦難を乗り越え「世界一有名な認知症患者」となった女性と私の「奇跡のような出会い」