岸信介、佐藤栄作…「昭和の政治家」にあって「令和の政治家」にはない、「超重要な資質」をご存知ですか

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古今東西の政治リーダーは、誰もが「悪い奴ら」だった。トランプ、オバマ、ヒトラー、スターリン、プーチン、金正恩……数え上げていったらたらキリがない。

「悪い奴ら」の5要件とは、(1)極端な自己中心主義、(2)「建前」と「本音」の異常な乖離、(3)倫理・道徳観の欠如、(4)軍事力を軸とした「力」への信仰、(5)強い猜疑心。

日本でも、昭和期の政治家の中にはこの条件に合う政治家が何人もいた。だが、残念ながら今はほとんど消滅してしまった。

永田町取材歴35年、多くの首相の番記者も務めた産経新聞上席論説委員・乾正人は、いまこそ「悪党政治家」が重要だと語る。「悪人」をキーワードに政治を語る『政治家は悪党くらいでちょうどいい!』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集してお送りします。

「悪い奴ら」の五要件--悪い奴らほどよく眠る

巨匠・黒澤明の作品に『悪い奴ほどよく眠る』という映画がある。

60年安保闘争が盛り上がった直後の昭和35(1960)年に封切られた現代劇で、黒澤プロダクションが制作した記念すべき第一作なのだが、復讐に燃える三船敏郎演じる主人公の行動が観客には自分勝手すぎるようにみえるのと、結末の苦さが災いしてか興行的には失敗した。

それでも『ゴッドファーザー』を監督したフランシスコ・コッポラなどが絶賛しているように、黒澤映画らしいといえば、らしい映画でもある。

あらすじを簡単に書くと、公団汚職の巻き添えを食って自死を強要された父の仇(かたき)を討つため、主犯である公団副総裁の娘と結婚した主人公は、仇を取る寸前で身元がわかり、逆に殺されてしまう。ラストでは、副総裁が何者かに「外遊でもして、ほとぼりが冷めるのを待て」と電話で指示され、「お休みなさいませ」と返事してエンドとなる。

汚職の黒幕は、ついに明らかにされることなく終わるのだが、映画を見たほとんどの観客は、黒幕を政治家、いや「悪党政治家」だと直感したことだろう。

映画が封切られたときの首相は、池田勇人でその前は岸信介。当時からわずか6年前には、池田は造船疑獄の渦中にあり、吉田茂の指示で法務大臣が指揮権を発動していなかったら政治生命は完全に断たれていたはずだった。岸も「昭和の妖怪」と称されていた通り、叩けばいくらでも埃が出た政治家である。

もっと「悪い奴ら」が出てくるのは、石川達三が昭和41(1966)年に書いた『金環蝕』だ。

9年後に山本薩夫がメガホンをとって映画化されたが、ダム建設汚職事件を縦軸に、実弾(カネ)飛び交う自民党総裁選を見事に活写した。

登場する政治家のモデルは、池田をはじめ佐藤栄作、田中角栄、黒金泰美、田中彰治ら「悪い奴ら」揃いで、仲代達矢、三國連太郎、中谷一郎らが「悪い奴ら」になりきって熱演し、いま見ても十分面白い。

その後、戸川猪佐武が書いた『小説吉田学校』を森谷司郎が監督して昭和58(1983)年に映画化された。吉田茂や池田、佐藤、田中らが実名で登場するが、「自民党ヨイショ映画」にならざるを得なかったため、森繁久彌が吉田を好演していた以外はよく覚えていない。

以降、日本映画から実在の「悪い奴ら」(政治家)をモデルとした人物は描かれなくなった。

日本のテレビ・映画業界が、政治に直接切り込むことに消極的なばかりでなく、政治家自体が小粒になってしまい、映像で表現したくなる「悪」の臭いがしなくなったのかもしれない。

日本とはスケールが違う世界の「悪い奴ら」

だが、世界の「悪い奴ら」は、スケールがまったく違い、現在も跳梁跋扈している。

古今東西の政治リーダーの中で、「悪い奴ら」の特徴を分類するとこうなる。

(1)極端な自己中心主義

(2)「建前」と「本音」の異常な乖離

(3)倫理・道徳観の欠如

(4)軍事力を軸とした「力」への信仰

(5)猜疑心の強さ

第一の「極端な自己中心主義」と常識にとらわれない行動力は、「悪い奴ら」だけでなく、「成功者」と呼ばれる人々の最大公約数といっても過言ではない。

ソフトバンクを瞬く間に巨大企業に成長させた孫正義をはじめ、一代で財を成した経済人に共通している。財を成したあと、あるいはその過程で利他主義に目覚めたのが、松下幸之助であり、稲盛和夫であるが、こちらは少数派だ。

世界の現役政治家のうち、最も自己中心主義的とみられているのが、ドナルド・トランプだ。

米民主党の機関紙的存在である「ニューヨーク・タイムズ」は、彼を「言動が危険で、国家より自己を優先し、われわれが従う法律を嫌う。指導者にふさわしくない」(2024年7月11日付社説)とこきおろした。

確かに2020年の大統領選では、自身の敗北を認めず、トランプ支持者の米議会議事堂乱入事件を煽ったとして「国家を欺いた罪」などで起訴された。

第二の「建前」と「本音」の歴然たる乖離を何ら恥じることなく堂々と使い分け、演じきったのが、元米大統領、バラク・オバマだろう。

「イエス、ウイ、キャン(そう、我々はできる)」「チェンジ(変革)」を合言葉に、ワシントンやウォール街の既得権益者に媚を売ることをやめ、国民本位の政治に変えると訴えて大統領選挙を戦ったオバマだが、大統領就任式の「特等席」に座ったのは、ウォール街の重鎮たちだった。

「核兵器のない世界」を訴え、ノーベル平和賞も受賞したが、オバマ政権の八年間で世界から核兵器がなくなるどころか、ますます核戦争の脅威が高まっているのは言うまでもない。

オバマは、理想は理想、現実は現実と割り切って大統領職を終えたわけで、確信犯的な「悪い奴ら」なのである。

第三で挙げた「倫理・道徳観の欠如」は、「悪い奴ら」なのだから当たり前といえば当たり前の話。

独裁者と呼ばれているアドルフ・ヒトラーにしろ、ヨシフ・スターリンにしろ、毛沢東にしろ、ユダヤ人や自国民を百万、1000万人単位で虐殺しても恬として恥じるところがなかった。

スケールこそ違え、ロシア大統領のプーチンもウクライナ侵攻で無(む)辜(こ)の市民を虐殺し、ロシアと「軍事同盟」を結んだと主張する金正恩も反逆した自国民の弾圧のみならず、軍人の粛清も続けている。

さらに【つづき】「いま日本の政治に足りないのは「悪人」かもしれない…「悪党政治家」がもっと必要な「納得のワケ」」につづきます。

いま日本の政治に足りないのは「悪人」かもしれない…「悪党政治家」がもっと必要な「納得のワケ」