知らぬ間に妻が他の男との子供を妊娠し…それでも夫が大喜びする「衝撃の理由」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

なぜ「不義」を許すのか

トロブリアンド諸島の母系社会では、人は死ぬと「トウマ」と呼ばれる死者の島へ行き、幸福な生活を送ると考えられています。死者の霊は、トウマでの生活に飽きると、現世に戻るために「霊児」になるとされます。そしてトロブリアンド諸島に戻り、女性の体内へと入っていくのです。つまり、女性が妊娠して子どもを出産するのは、霊児が彼女の身体に宿ったからだと考えていたわけです。血液は子どもの身体をつくるのを助ける働きがあります。だから、妊娠すると月経が止まるのだとトロブリアンド諸島の人々は説明します。

このように、マリノフスキの調査当時のトロブリアンド諸島では、霊児が体内に入ることで女性が妊娠すると考えられていました。そこでは、父親の精液は妊娠には関係ないとされていたのです。トロブリアンドの人たちにとって、精液が受胎にたいしてなんら価値を持たなかったのです。もちろん妊娠にあたって、トロブリアンド諸島の女たちは男たちと性交渉を行っていたはずです。しかし彼らは性交渉を妊娠の直接的な原因とは考えていませんでした。それに関して、マリノフスキは、幾つかの興味深い事例を紹介しています。そのうちのひとつは、以下のようなものです。

ライセタは私の友人で、シナケタの立派な舟乗りであり呪術師であった。彼は青年期の後半をずっとアムフレット諸島で送っていたが、帰ってみるとその間に妻が二人の子どもを生んでいた。彼は子供達も妻も非常に可愛がった。私がこの件を他の事と一緒に論じている際、少なくとも二人の子供のうち一人は彼の子ではないと暗示したのだが、彼は私のいうことを理解できなかった。

男はしばしば、別の島に出稼ぎに出ます。夫が長期間留守にするわけです。その後、夫が出稼ぎから帰ってくると、いつの間にか妻は子どもを出産している。そのような場合、私たちなら妻は不義を働いたと考えるでしょう。しかし20世紀初頭のトロブリアンド諸島では、人々はそうは考えなかったのです。

夫は妻を咎めず、むしろ大喜びをしてかわいがり、自分の子どもとして慈しんで育てました。彼らにとって、生殖は性交渉の結果だとは考えられていなかったからです。

私たちの「常識」は覆される

彼らの生殖理論はまた、母系社会の論理に密接に関わっています。そこでは家族の成員は母系の系統だけであり、父親は家族の成員ではありません。父親の代わりに子に対して法的な権利を持つのは、母のキョウダイ、すなわち母方のオジなのです。そうした社会的な現実に対応するかたちで、トロブリアンド諸島では、父親が提供した精液が受胎になんら価値を持たないのだと考えられていたのです。

驚くべきことかもしれませんが、こうした異文化の現実を知ると、日本人である私たちの考えだけが正しいのではないことが分かります。私たちが普段、常識だと思っていることだけが、常識ではないのです。自分たちとはまったく違うルールの中で生きている人たちの生き方、あり方を知る。それこそが人類学の醍醐味です。

マリノフスキはライセタという友人などを取り上げて、トロブリアンド諸島の人たちの性愛生活にまで踏み込んで記述し、それを親族関係や人々の暮らしとの関係の中に描き出しています。こうしたマリノフスキの課題探究には、『マリノフスキ日記』の中で綴られた彼自身の性愛生活に対する関心が色濃く反映されているのです。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

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