じつは「ゾウ天国」だった日本…なんと、出土した化石が「妙薬の材料」として珍重されていた「衝撃の事実」

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新生代は、今から約6600万年前に始まって、現在まで続く、顕生代の区分です。古生代や中生代と比べると、圧倒的に短い期間ですが、地層に残るさまざまな「情報」は、新しい時代ほど詳しく、多く、残っています。つまり、「密度の濃い情報」という視点でいえば、新生代はとても「豊富な時代」です。

マンモスやサーベルタイガーなど、多くの哺乳類が登場した時代ですが、もちろん、この時代に登場した動物群のすべてが、子孫を残せたわけではありません。ある期間だけ栄え、そしてグループ丸ごと姿を消したものもいます。

そこで、好評のシリーズ『生命の大進化40億年史』の「新生代編」より、この時代の特徴的な生物種をご紹介していきましょう。今回は、日本における「長鼻類」の繁栄についてお届けしよう。じつは、かつての日本列島では多くの長鼻類が繁栄していたのです。

*本記事は、ブルーバックス『カラー図説 生命の大進化40億年史 新生代編 哺乳類の時代ーー多様化、氷河の時代、そして人類の誕生』より、内容を再構成・再編集してお届けします。

ステゴドン類以前に来日した「長鼻類」

前の記事では、「日本へやってきた長鼻類」として、ステゴドン類を紹介したが、ステゴドン類はその後、日本で大いに繁栄していく。ただし、「日本に最初にやってきた長鼻類」は、実は、ステゴドン類ではない。

中新世の前期にあたる約2000万年前、日本に最初にやってきた長鼻類は、「ゴンフォテリウム類」と呼ばれるグループに属している。

ゴンフォテリウム類は、当時の世界で栄えていたグループである。上下の牙が発達、頭が前後に長いという独特の顔つきをしていた。

日本最古の長鼻類として知られるゴンフォテリウム類には、「ゴンフォテリウム・アネクテンス(Gomphotherium annectens)」という学名がある。

「アネクテンスゾウ」とも呼ばれるこのゴンフォテリウム類の化石は、岐阜県御嵩町で発見されたものだ。

ステゴドン類にゴンフォテリウム類、そして、これらのグループに属さない長鼻類の化石も日本各地から発見されている。かつての日本は「長鼻類大国」であり、ごく普通にこの巨獣たちを見かけることもできたのかもしれない。

しかし、やがて長鼻類は日本から消える。各地に残された長鼻類の化石は、のちに発見されると「龍骨」として扱われるようになった。妙薬の材料として重宝されることもあったという。江戸時代には、龍骨の正体を巡って、識者たちによる論争も行われた。その論争は、「龍骨論争」として、記録に残されている。

さて、話を再びゴンフォテリウム類の繁栄に戻そう。前の記事で「ツダンスキーゾウ」こと「ステゴドン・ツダンスキー」を紹介したが、その肩高は、3.8メートルに達した。鮮新世になると、日本におけるステゴドン類の進化は、“一歩”進む。

日本の化石固有種で最大の長鼻類

ツダンスキーゾウこと「ステゴドン・ツダンスキー」を祖先として、「ステゴドン・ミエンシス(Stegodon miensis)」が登場した。「ミエンシス(miensis)」の「ミエ(mie)」は、「三重」である。この化石が最初に発見された場所が三重県であることから、この名前がついた。

和名を「ミエゾウ」という。

最初の化石こそ三重県で発見となったけれども、このステゴドンは日本でかなり成功したらしく、その化石は長崎県、福岡県、大分県、島根県、東京都などでも発見されている。肩高は約3.6メートルと推測されている。ツダンスキーゾウと同等、あるいは、やや小さいという体軀である。

もっとも、「約3.6メートル」という肩高は、既知の日本固有の古生物の中では最も大きい。そして、このミエゾウから、日本のステゴドンの進化はさらに続いていくことになる。

カラー図説 生命の大進化40億年史 シリーズ

全3巻で40億年の生命史が全部読める、好評シリーズの新生代編。哺乳類の多様化と進化を中心に、さまざまな種を取り上げながら、豊富な化石写真と復元画とともに解説していきます。

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