西田敏行さんが「自分の好きな人だけ」を連れてきて…名俳優が「日本一」と絶賛する寿司店で過ごしていた「かけがえのない時間」

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10月17日、俳優・西田敏行さんが東京都内の自宅で死去した。享年76。人情味あふれる人物から悪役まで、幅広い役柄と確かな演技で人々を魅了し続けてきた日本を代表する名俳優の一人が、この世を去った。

プライベートでは地元・世田谷区、そして故郷・福島を愛し、街の人からも愛されてきた。西田さんが惚れ込み、足しげく通っていた寿司店の店主が、ありし日の思い出を語った。

名俳優との早すぎる別れ

西田さんは福島県郡山市出身。中学卒業後に上京し、明治大学に進学したが中退。その後、劇団「青年座」に入団し、1970年に初舞台を踏んだ。舞台、映画、ドラマなど数多くの作品に出演、中でも映画「釣りバカ日誌」シリーズは22年間続き、西田さん演じる「ハマちゃん」は多くの人に愛されてきた。

晩年は健康問題も取り沙汰されており、2003年に急性心筋梗塞で入院したほか、数々の病気との闘いでもあった。そのため、ここ数年は自宅にこもることも増え、車いすで生活していたという。

だが、仕事への情熱は衰えることがなかった。

「西田さんは10月8日に、米倉涼子さんの主演映画『劇場版ドクターX』の完成報告会見に出演していました。亡くなった日も仕事の予定が入っており、先々の仕事も決まっていた中での突然の訃報でした。家族、かつての共演者や知人、友人はもちろんですが、テレビ局などの関係者も驚きを隠せない様子です」(スポーツ紙芸能担当記者)

国民スターとして愛されてきた西田さんは、大のお酒好きだったことも知られている。高級店から大衆居酒屋、立ち飲み屋まで、さまざまな酒場を訪ね歩いていた。

そんな西田さんが「日本一うまい」と絶賛し、こよなく愛した寿司屋が東京・世田谷区にある。「鮨あらい」だ。同店が開店した2009年、西田さんがフラッと来店したところから縁が始まったという。店主に西田さんとの思い出を聞いた。

好物の光り物を片っ端から注文

「交友関係も広かったので、いろいろな方を連れてきて『ここの寿司はうまいんだよ』って薦めてくださいました。

西田さんはコロナ前までは仕事が忙しくなければ頻繫にいらしていましたね。店の奥の場所が定位置、そこで喜んでお寿司を食べていました。……かけがえない日々だったな、と思っています。もう戻らないですけどね、本当にかけがえのない時間だった」(店主)

西田さんは来店するといつもの席に座り、まずはビールを注文し、のどを潤す。次に日本酒を寿司と一緒に楽しむのが、流儀だった。

好きな寿司ネタは光り物。アジ、サバ、イワシ、サヨリ――。その日、店にある光り物を片っ端から注文し、一緒に店を訪れた家族や仕事仲間らにも決まって薦めていた。

「西田さんと言えば光り物。光り物が大好きで1周した後、2周目も光り物。一緒に来られた方にも『僕はこうなんだけど同じでいい?』って言ってね。まあ、嫌って言えませんよ(笑)」(前出の店主、以下「」も)

西田さん曰く「あらいの光り物は日本一」。大切な人に胸を張って勧められる逸品だったということだ。

光り物とともに舌鼓を打ったのが、地元・福島の酒だった。

福島弁で楽しそうに語る姿

お気に入りは「飛露喜」。福島・会津坂下の街中に蔵を構える廣木酒造が製造する日本酒だ。

「震災後は地元の応援、という意味もあったんでしょうが、郷土愛も強い方。福島のお酒を出すとうれしそうにしていらっしゃいました。それにお店でも福島のご友人と、ときどきお電話されていましたよ」

福島弁で楽しそうに語る西田さんの様子を、店主はよく覚えていた。

気の置けない友人たちとも話したくなるほどに居心地がよかったのだろう。

「いつもリラックスして素のままで呑んでいましたね。自分の好きな人だけを連れてきて、好きな人と一緒に食事をして」

鮨あらいは西田さんにとって「特別な場所」だった。

つづく後編記事『西田敏行さんが残していた「最後の言葉」…足しげく通っていた寿司店の店主が明かす「いまも悔やんでいること」』では、紅白出演を終えたあと、深夜1時にお店を訪れた時のようすや、店主が今も耳に残って忘れられないと悔やむ、西田さんの「一言」を紹介します。

西田敏行さんが残していた「最後の言葉」…足しげく通っていた寿司店の店主が明かす「いまも悔やんでいること」