【追悼・西田敏行】「アニさん、まだ逝かないでよ…」40年来の付き合いの梅沢富美男が語った「名優の意外な素顔」
10月17日、俳優の西田敏行さん(享年76)が自宅のベッドで亡くなった。病死と見られている。
この突然の訃報を受け、『週刊現代』で「人生70点主義」を連載する俳優の梅沢富美男さんが緊急寄稿。40年以上の付き合いのあった梅沢さんが、日本の名優とのありし日の思い出を振り返る。
頭の中が真っ白になった
「なにかの間違いだろ……?」
マネージャーから西田敏行さんの訃報を聞かされたとき、一瞬、頭のなかが真っ白になりました。ただ、まだこのときは悲しみに暮れる暇もなかった、というのが正直なところです。西田さんの件を知ったのは、この日の明治座公演の幕間。急ぎ衣装を着替えると、半ば放心状態のまま最後の舞踊のステージに立ったのでした。
そして公演が終わったいま、ようやく徐々にですが長年お世話になった西田さんの死を実感し始めています。
もし私の声が届くなら、伝えたい。
アニさん、そんなにあわてて逝かないでくださいよ……。もっとゆっくり話したかった。
思えば、西田さんのことを「アニさん」と呼び始めたのは、40年以上前のこと。1982年放送の『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS系)というドラマでご一緒してからです。私のことをえらく可愛がってくださり、プライベートでも定期的にお会いするようになりました。
1988年に『釣りバカ日誌』の主演が決まったときのことは、いまでもよく覚えています。1作目は『男はつらいよ』の同時上映作品の扱いだったのですが、それでも西田さんは自信にみなぎっていた。
「俺さ、この映画でもっと有名になるから見ててよ」
温厚だけど、怒るときは怒る
当時は正直、「なかなか強気だな」と思っていました。けれど、結果は皆さんご存知の通り。人気を得た同作はシリーズ化され、西田さん演じるハマちゃん(浜崎伝助)はすっかり国民的キャラクターと相成りました。いやはや、本当にすごい役者です。
もちろん、人としても非常にデキた方でした。
実は、『淋しいのは〜』は私にとってドラマデビュー作。それまで舞台の経験は豊富だったものの、ドラマのお作法はちんぷんかん。監督が「もっとナメて」とカメラさんに指示を出しているのを見て、「なにを舐めさせるつもりなんだろう」と本気で思っていたくらいです。
でも、そんな私の戸惑う姿を西田さんはちゃんと見てくれていたんでしょう。
ある日、スタッフや演者を集めると、「テレビ用語はあんまり使わないようにしようよ」と提案してくれたのです。慣れないカメラの前で緊張する私に、しょっちゅう声をかけてくれたのも、やっぱり西田さんでした。
ただ、基本的にはとても温厚な方ですが、納得いかないことに対しては相手が誰であろうがきちんと物を言います。『淋しいのは〜』で、私と西田さんと木の実ナナさんが、車で拉致されるシーンを撮影したときのことです。台本では、私たち3人が車の後部座席に座り、財津一郎さんが助手席でタバコをふかすことになっていました。
しかし、ここで財津さんと監督の意見が衝突します。
堪忍袋の緒が切れた瞬間
監督はタバコの煙の動きをよく見せたいので助手席の窓は大きく開けてほしい。でも、財津さんは「普通はそんなタバコの吸い方はしない」と言って、ほんの少しだけ窓を開けるべきだと主張を始めた。
まあ、そんな話をするほど作品に熱があったということなのですが、困ったのは後部座席の3人です。財津さんが監督と押し問答を続けるなか、私たちは狭い座席で窮屈な思いをしながら待ちぼうけ。そしたら、さすがに西田さんの堪忍袋の緒が切れました。
「あんたら、いい加減にしろよ!俺たち、ずっと待ってんだぞ」
あのときの現場の張りつめた空気と言ったら、もうすごかった。とはいえ、西田さんが怒ってくれていなかったら、いつまで待たされていたことか……。
つづく記事〈【梅沢富美男・緊急寄稿】「トミさん出てくれない?」故・西田敏行が声をかけてくれた「幻の共演作」〉では、西田敏行さんの俳優としての凄さ、そして最後に会ったときのことなどを、梅沢さんが振り返ります。