64歳で年収400万円…契約社員が語る「仕事に満足している定年後の生活」

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年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。

10万部突破のベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。

最初から出世は期待していなかった

組織内での出世に関しては、当初から期待はしていなかった。それには、新卒採用が主流だった時代に、中途採用として入庁したことも関係していた。

「私が入った頃っていうのは地方自治体も保守的だったんです。『途中から来たやつはそんなに偉くなれないよ』って言ってる人が同じ大学卒の同僚にいて。酒席で『あんまり力んだってしょうがないから、いくらがんばったところでそんな上には行けねえんだから』とか言ってましたね。正直、当時は確かにそういうところもあったんだと思います」

山村さん自身、過去の例から考えても幹部職員にまでなることはないだろうと考えていた。ただ、その仕事ぶりが周囲からも認められる形で、50代では課長補佐として組織において重要な役割を任されるようになる。

「出世に関しては最初に言われたのもあるし、当然よそ者で入ってるわけですから。こんな駄目になった会社から受け入れてもらえたし、市には感謝してますし。そういうことは関係なく仕事は気持ちよくできればいいって感じですね。だから、別に後からそういうのがそれなりに付いてくればいいかなっていう感覚でずっとやってました」

本当に大変だった議会関連の仕事

山村さんが課長補佐時代に苦労した仕事は議会関連の仕事。議員の先生方から議会の質問事項の通告を受けて先生のもとに向かい、市政に関する質問事項を聴取する。それをもとに市長や市の幹部が議会で答弁するための想定問答を作らなければならない。

「議員さんの対応は、結構大変でした。結局、悪い言葉で言うと忖度しなきゃいけない部分ってあるんですね。自分は本音で話したいんだけど、話せないことってあるじゃないですか、現実問題。議員先生の言うことに対して本当は違うんだよなって思いつつも、言葉を慎重に選びながらうまく立ち回っていく。だからなんなんだろう、そういうのはめんどくさいよね。要するにもう定年過ぎてからあと5年間そんな仕事の仕方をしたくねえなと、そういう思いもありました」

市役所の職員にとって市議会の議員たちは、民間企業でいうところの難しい顧客にあたる。市議会議員と市職員との適切な緊張関係があるからこそ、市政に市民たちの声が届くのであって、そうした関係性が行政サービスの質の改善に寄与している。しかし、それと同時にこの厳しい緊張関係は、働き手にとっては時に過大なストレスにもなりうる。

「仕事してても『今から来い』って言われれば行かなきゃいけない。それで行ったら行ったで、先生、先生と持ち上げないといけない。だから、そういうめんどくささだよね。先生の質問に対して、対応する課の課長が『うちじゃねえ、そっちでやれ』とか、そんなやり取りもあります。内部の関係者と調整しながら、それをうちの課長にも説明して、うちの課長はうちの課長で『向こうの課に押し付けてくれよ、なるべく』とか言うし。本当に大変でした」

定年後に就いた仕事は…?

山村さんが定年後に入社した会社は、県の水道事業の委託先の会社。定年を機に、市からの斡旋を受けて再就職するに至った。仕事の内容は、下水道関係のトラブルを現場で解決する仕事であった。

「今は県の下の水道関係の会社で働いてます。もう4年目ですか、60歳のときに再就職しましたので。いまは毎日現場ですね。下水が詰まったとか、臭いがするっていうと行ってみたりして。毎日そんな感じで過ごしてます」

下水が臭うなどのトラブルについては、まずはどこに問題が生じているのかを検査して確認する。問題箇所が特定されたら、その程度によって自身で作業をして直すか、それとも業者に頼むかといった対処方針を決めることになる。自身で作業する場合は、枡を開けて臭気を止める装置をセットしたり、マンホールの周りの舗装が壊れてるときには薬剤を用いて養生したりする作業を行う。

「作業の時に、力仕事が必要になることもあります。ただ、そこは2名態勢で行くことが多いので、もう一人の同僚がやってくれることが多いですね。そういう点では楽です。どうしようもないときは『すいません、開けてください』ってなるけど、基本的には率先して動いてくれるような人が多いんで。車の運転も彼らがやってくれます。市の時は自分でしなきゃいけなかったんだけど、そういう配慮もありがたいですね」

現在の仕事では、無理なく働くことができていると同時に、日々のやりがいを感じながら働けている。これまでの経験から、業者の方々との専門用語でのやり取りも支障なく行うことができ、自身が持つこれまでの知識のなかで仕事ができるということも大きい。

「今の仕事はとても楽しいです。まぁ苦情言われたりすることもあるんですけど、でも対応した後、なんかお礼の電話をもらったり。そういうときかな、仕事をしていてよかったと感じるのは。あとは、うまくいってその場で、『良かった、ありがとう』って言ってもらったときですかね。そういうときはやっぱり、なんでも結果がすぐ出ると人間ってうれしいじゃないですか」

定年を迎えて再就職先を人事から紹介される際、役付きの仕事に就かないかとも打診を受けていた。

「今は経験職員という立場です。一応、最初に言われたのが、なんかちょっと偉い、だからその分給料が少し高いんだと思うんですけど、そういう立場も選べたんです。ただそっちはやっぱり、給料高い分、なんつうの、仕事が大変なんだよね、きっと、想像したら。そっちのほうにも行けますよって言われたけど、いいですって。もう一人、市役所で仲良かった人と一緒に入ったんですけど。その人と2人で、『もういいよな、今更な』とか言って、『現場あったほうがいいよね』『じゃあそっち行こ』って選んだんです」

当時の選択が正しかったのかどうか、今となってはわからない。ただ、少なくとも現在の仕事で満足して働けているということは、山村さんの言う通り事実なのだろう。現在の会社では70歳まで継続して働くことができるため、今の仕事で働ける限りは働き続ける予定だという。

「今の仕事は、一日の仕事が終わればもうそこで仕事は終わりです。市(役所)にいたときみたいに、次の日まで持ち越して悩むことは一切ないですね。そこがすごくいいんです。そういう意味ではとても気楽ですよ」

つづく「多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体」では、失われた30年を経て日本経済はどう激変したのか、人手不足が何をもたらしているのか、深く掘り下げる。

多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体