「このままでは会社が終わる」…4000億円の特別損失を計上した窮地で伊藤忠商事の元会長が決めた「驚きの覚悟」

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元伊藤忠商事会長、そして民間人初の中国大使を務めた丹羽宇一郎さん。仕事に生涯を捧げてきた名経営者も85歳を迎え、人生の佳境に差し掛かった。『老いた今だから』では、歳を重ねた今だからこそ見えてきた日々の楽しみ方が書かれている。

※本記事は丹羽宇一郎『老いた今だから』から抜粋・編集したものです。

ニューヨークでの大失敗

私には、生きていくうえでの基本原則、すなわち人生の指針が二つあります。

一つは、「正直、清潔、美心」です。「正直」は、人に対しても自分に対しても嘘をつかないこと。「清潔」は、人に対して誠実で、迷惑をかけたりしないこと。「美心」は、人を攻撃したり精神的に傷つけたりしない、人間としてきれいな心をもつことです。

もう一つは、「人は自分の鏡」。他人の行いの善悪を見て、自分の行いを反省することです。たとえば、人間は社会的立場が上になるほど、自分のことより目下の者を大切にしなければなりません。しかし多くの人は、権力やお金を手にすればするほど自分のことを大切にし、目下の者をないがしろにしがちです。他人のそういう行いを見たときには、「俺もそんなことをしていないだろうな」と自分自身を省みて、そうならないように自戒しなければいけないと思っています。

会社員時代に私が理想とし、尊敬していたのは、「正直、清潔、美心」を体現していた上司でした。その唯一の人が、筒井雄一郎さんです。

ニューヨーク駐在時代の私は、穀物相場で大失敗をしたことがあります。

その年は干魃が続き、ニューヨークの新聞の一面が、荒れ地と化した畑の写真付きで「深刻な大干魃」と報じました。三〇代半ばで相場予測に多少の自信がついてきた私は、その記事を見て大豆価格の高騰を確信し、大量に買い込みました。

ところが、予想されなかった降雨で状況は一転しました。米国農務省が「大豊作」との予測を出し、相場はたちまち大暴落。私は五〇〇万ドル近い含み損を抱えることになってしまったのです。その頃は一ドル約三〇〇円でしたから、日本円換算で約一五億円。当時の会社の税引き後の利益に匹敵する大損失となりました。そのとき、「ことの経緯を包み隠さず、すべて会社に報告しろ。いっさい隠しごとはするな」「おまえがクビになるなら、その前に俺が先にクビになる」「心配するな」と言って、本社からの叱責の矢面に立ってくれたのが、本社の食料部門上司だった筒井さんでした。私は、涙が出るほど嬉しかった。

ここで死ぬわけにはいかない

筒井さんは私より一〇歳ほど上で、「上司にも、部下にも、取引先にも、妻にも、嘘をつかない」を信念とし、実際に仕事に対しては一点の曇りもない人でした。ただ、生涯に一度も嘘をつかない人はいません。筒井さんも仕事以外のちょっとしたことで、「丹羽君、申し訳ない。あのとき俺が言ったことは違うんだ。じつは……」と、本当のことを話してくれたこともあります。部下に対してそう言える勇気をもった人であり、「自分もこうありたい」と私は心に刻みました。

筒井さんと長く一緒に仕事をし、思ったことを言い合える関係を続けるなかで、彼の生き方にも影響を受けながら、私の人生の指針は形成されていきました。

のちに私が社長になった頃、会社はバブル崩壊の後遺症で不動産などの不良資産を抱え、大幅赤字に直面していました。上級役員や取引銀行は、一〇年、二〇年という時間をかけて少しずつ償却していけばいいという意見が大多数でしたが、それでは社員がいくら一生懸命働いても、利益は不良資産に吸収され、将来を期待することはできません。

悩みに悩んだ末、私は社長就任から一年半後の一九九九年秋、不良資産を一括処理して三九五〇億円の特別損失を計上することを発表しました。ただ、株価が下がり続ければ、会社は倒産してしまうかもしれません。「そうなったときは自分が死んでもかまわない」と覚悟しましたが、社員や家族のことを考えて、すぐに思い直しました。

私が死ねば、あとに残された社員たちは路頭に迷い、家族や親類縁者は「あれが会社を倒産させて自分は勝手に死んだ丹羽の母親だ、妻だ、子供だ」と後ろ指をさされます。

自分は死んでラクになり、部下や家族には大変な苦労を強いるというのは、私の生きる指針に最も反している。そう考えると、死ぬわけにはいきませんでした。

さらに連載記事〈ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」〉では、老後の生活を成功させるための秘訣を紹介しています。

ほとんどの人が老後を「大失敗」するのにはハッキリした原因があった…実は誤解されている「お金よりも大事なもの」