クソくだらない調査報告書はいらない…人類学者が死ぬ気でフィールドノートを書く「納得の理由」

写真拡大 (全2枚)

「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

つまらなすぎる報告書

マリノフスキ以前に、現地の言語を習得した上で調査を行った人類学者は少なかったし、現地で1年以上生活した人類学者もほとんどいませんでした。以前の現地調査は「未開の地」に赴く宣教師や旅行者、商人のうち、人類学に興味を持つアマチュア調査者向けの手引書『人類学質疑応答』に掲載されている項目に基づいて行われていました。そのため、調査報告は生気を欠いた、通り一遍のものになる傾向にありました。

マリノフスキは、そのような報告書を書いても意味がないと考えていたようです。自分の内面まで赤裸々に吐露するフィールド日記をつける営みは、マリノフスキによって始められた「伝統」だと言ってもいいかもしれません。たいていの人類学者は現地でフィールドノートやデータ記録だけではなく、私的な覚え書きも残しています。現在に至るまで人類学者たちが必携するフィールドノートと私的な日記の元祖はマリノフスキだったと言ってもいいかもしれません。

マリノフスキは長期にわたって現地滞在することで、現地語を身につけて人々と直接コミュニケーションを取りました。そうすることで、人間の生きているさまを描き出すのに有効な調査を実施する秘訣を発見したのです。彼以降、人類学者はフィールドで「参与観察」という経験的な手法で調査を進めることが一般的になりました。

ここで、参与観察という用語についても説明しておきましょう。参与観察とは、現地の人々が働いたり話をしたり、儀礼を行ったりしているところに実際に参加(参与)しながら、他方で観察を行ってデータを収集する調査研究の手法です。この手法で調査を行うには、人々の住む場所に入り込んで、現地で話されている言語の習得をすることが必須となります。とうぜん言語の習得には時間がかかります。語彙の収集も重要な調査項目です。参与だけして観察するのが疎かになると十分なデータが得られませんが、観察にばかり徹して参与をしないでいると、中途半端な見通しだけで現地の人々を理解してしまうことになりかねません。長年フィールドワークをしてきた私自身、このあたりの塩梅が難しいと感じてきました。ですが、参与と観察をバランスよく実践することができれば、人類学者は「生の全体」を描き出すことができるのです。さらに参与観察には定式化されたやり方があるわけではなく、人類学者はフィールドに入って、現実に合わせながら自らの参与観察の方法を調整していくのです。

「民族誌」とはなにか

1922年に出版された『西太平洋の遠洋航海者』の「序論 この研究の主題・方法・範囲」は、研究方法の説明にあてられています。その中で彼は調査研究の原理を、以下の3つに整理しています。

1つ目が、研究者が「真の学問的な目的」を持っていること。2つ目が、そのために「ふさわしい環境」に身を置くこと。3つ目が、証拠を集め、決定する専門的な方法を用いることです。その中でも、マリノフスキは2つ目の「民族誌的調査にふさわしい環境」について、著作の中で真っ先に説明しています。

では、マリノフスキの言う調査にふさわしい環境とは何でしょうか。

私自身も経験があるのですが、現地で生活し始めると、初めは目に映るものすべて新鮮で驚きに満ちています。ところがその暮らしに慣れ始めると、初めは驚愕していた現地の人々の振る舞いも見慣れた日常の風景になっていきます。それは悪いことではありません。現地の人々の考え方の微妙なニュアンスが、自分の中に浸透してくるからです。そして、次第に人々が行う喧嘩や交わす冗談、家族生活の出来事など、昼間に起こったことなら、なんでも手に取るように分かるようになります。その過程で、現地の人々と自分自身が、次第に一体化していくような感覚を覚えます。

このような調査環境の中で長期にわたって暮らした後に、調べたことや経験をまとめることになります。それが「民族誌」(エスノグラフィー)です。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

なぜ人類は「近親相姦」をかたく禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」