Z400FXの王座をスーパースポーツへ進化させる!

1972年にDOHC4気筒900ccZ1をリリースしたカワサキは、念願だった世界の頂点に君臨。
世界を席巻した後に排気量を1,000ccまで拡大、ハイパフォーマンスなイメージを高めるためZ1系の丸めのフォルムから直線的なデザインとしたミニカウルのついたZ-1Rがヒット、これをうけてZ1000 MkII系をはじめローソン・レプリカへ至る暫くは直線的で角張ったフォルムがカワサキの顔となった。
そんな潮流のなか、国内向けに1979年に発売したZ400FXは、このZ1000MKIIや国内でも発売になったZ750FXと全く変わらない佇まいに、中型クラスのライダーは瞬く間に虜になった。
クラス唯一のDOHC4気筒は、1980年と1981年にクラストップの登録台数と、後発ブランドだったカワサキが国内制覇を遂げたのだった。

このZ400FXの独り勝ち状態を、ライバルメーカーが許したままでいるはずもなく、次々とDOHC4気筒を投入してきた。
それを迎え撃つ立場のカワサキはクラス最高へパワーアップ、そして世界GPマシン直系のユニトラック・サスペンションという超ハイメカを搭載、スーパースポーツとして頂点アピールするZ400GPを1982年にリリースした。

もともと兄弟車として輸出向けにZ500(後にZ550)が存在していたものの、そのボアを縮小する設計ではなく大事な国内需要の専用エンジンとしてボア×ストロークから新たに開発していたエンジンだったが、ボア52mm×ストローク47mmの399ccは、48PS/10,500rpmで3.5kgm/8,500rpmへどのライバルも凌ぐハイパワーへとチューン。
それでいてキャブレターをスロットルバルブをダイレクトに操作するVMタイプ(K21P)から、スリットルはマニホールドで開閉するバタフライとしてダイアフラムで吸気圧による操作となるSUタイプ(K26V)と口径も大幅に拡大して装着、硬派カワサキがビギナーでも容易く開けられるキャブ方式としたのはセンセーショナルで、誰にでも鋭いピックアップが楽しめる仕様となっていた。
さらに決定的だったのがサスペンション。アップライトな4気筒バイクにモノサスというだけでも特別装備だったが、上下にリンクを介したフローティング・マウントというGPマシン直々のメカニズムで、プログレッシブなバネレートと上下からショックユニットを押す画期的な構成で、柔軟に路面追従するグリップ力と抜群の安定感を与えていた。

輸出用のZ550GPもこのユニトラックを装備したが、こちらが角断面のスイングアームだったの対し、Z400GPは軽量化のためにパイプ構成で、フレームも部材で板厚や径を変えた軽量設計、車重もこの装備で179kg(乾燥)と群を抜いたスペックに収めている。

パフォーマンスにハンドリングと400ccの常識を覆すスグレモノ!

1,445mmのホイールベースと前輪19インチの大型車と同じホイール径に後輪は18インチの仕様は、安定感のある旋回を得意としていたが、このユニトラックの装備でZ400GPは誰にでも乗りやすく、腕に覚えのあるライダーは峠でビッグマシンをブチ抜く戦闘力の高さでその評判は瞬く間に広まった。
この別次元なパフォーマンスを意識したこともあり、当初から赤と黒ベースの2色のみで発売されていたが、翌年にレースでお馴染みのライムグリーン(ローソンレプリカの段付きシート仕様)も加わり、オプションでZ550GPで装着されていたビキニカウルも用意された。

ただ時代はハーフカウルを纏う、空力に意識した流行りが訪れていて、新しいGPz400系へとバトンタッチすることとなった。
マーケットでは硬派なライダーはカワサキZ400GPと定番モデルになっていたので、併売を希望するディーラーも多かったが、空前のバイクブームという嵐の中で闘う宿命だったメーカーは、とにかく急いで先手を打つ姿勢が重んじられていたのだ。

こうして傑作バイクとして一世を風靡したZ400GPは、意外な短命に終わることになってしまった。しかし多くのライダーが峠にツーリングにと、青春を謳歌する道連れとして愛用した記憶を忘れずにいるに違いない。

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