【平野 国美】「自分の最期が近づくにつれ、夢に出てくるように」…元助産婦の老女が死の間際、看取り医だけに告白した「許されない罪」の中身

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その老女は、食事も診察も拒否し、痩せ衰えて寝たきりとなっていた。心配した娘から依頼を受けた看取り医の平野国美氏は、老女の診察に出向くと、「点滴は一本もいらない。私はお産に携わる者としてやってはいけないことをしてしまった。死ぬ前に罰を受けなくてはいけないのです」と謎の言葉を吐いた。

前編記事「自ら点滴の針を抜いて布団は血だらけに…死期の迫った「元助産婦の老女」が看取り医に明かした、衝撃の「罪の告白」」より続きます。

私の話を聞いて欲しい

二度目の診察日、老女は、まだ無事だった。娘は「点滴を受けて欲しい」と泣きじゃくっていたが、本人から診察は拒まれた。立ち尽くすことしかできない私に、

「この医者と2人だけにさせてちょうだい」

と言ってきた。この弱った身体で、どこからこんな声が出るのだろうと思うほど、強い声だった。老女は娘を追い出すと、「昨日、娘から先生の話を聞きました。看取りの医者と呼ばれているそうで」と会話を振ってきた。

「“お母さん”こそ助産師さんをされていたそうで、私の仕事とは対極にありますね。みなさんに感謝されたでしょう。正直、羨ましいです」

「そうでしょうか、結構、恨まれてもいるような気がします」

少しずつ言葉にトゲのようなものななくなっていくのを感じた。

「娘さんから、お聞きしましたよ。お母さんはこの村の大半の出産を手がけたんだって」

「あなたは、何人ぐらい自宅で看取られたの?」

「1000人以上かな?」

「みな、感謝されたでしょう」

「それは、どうでしょうか。私の場合は、お母さんと違って死なせるわけですから、『なぜ助けてくれないんだ』と恨んでいる家族も多いと思うのです。自分でも、こんなに死亡診断書を書くとは思いませんでした。街中で“ヤブ医者”といわれているのも耳にします」

老女は少し考え込んだあと、「先生、忙しいですか? すみません、私の話を聞いていただけますか?」と切り出してきた。

どんな話なのか想像がつかなかったが、私は正直に答えた。

「はい。喜んで」

足しにもならない終末期の点滴

「先生、それから、点滴を少し私に流してもらえませんか?」

と老女は言った。あんなに嫌がっていた点滴を希望するとはどういう風の吹き回しなんだと意図を理解できずにいると、「娘を呼んでください」と頼まれた。

娘さんを呼ぶと、台所から飛んできた。老女は、何かが起きたのかと不安そうにしている。

「先生に点滴をしていただくことにしたよ。お前も安心だろう。でも、これが最初で最後だよ。心配かけてごめんなさい」

その言葉を聞いた娘さんは再びべそをかいた。私はまだ、老女の意図がつかめない。庭に停めてある私の往診車に戻り、点滴のセットを持ち出して部屋に戻った。老女は諭すようにまだ娘と何かを話していた。

老女の腕を駆血帯で圧迫し、血管に針を刺す。そして吊るした点滴を、ゆっくりと落とし始める。老女は娘さんに「じゃあ点滴が終わったら呼ぶから」と言って、再び席を外させた。

昭和天皇の写真と、先祖の遺影が見下ろす部屋で再び二人だけとなった。老女は「点滴をすると言ったら、ほんと娘は喜んでましたねぇ。こんなもん何の足しにもならないというのに…」とぼやいた。

長く保健師をされていたからだろう。終末期の点滴が体のむくみをうみ、余計に患者を苦しくさせることを知っていたように思える。一方で老女の意図は別のところにあり、「自ら死を選ぶことを決めた自分に何をすすめても無駄だ」という意味合いにも聞こえた。正直、判断がつかない。どっちにしても老女に点滴が無意味であることに変わりはない。

「足しにもならないこともご存じなのに、なぜ点滴を希望されたのですか?」

「少し娘の気持ちを楽にさせてやろうかと…。かわいそうかなと思いまして」

「医者を揚げる」

老女の行動で、ある話を思い出した。

「昔、日本のある地域で『医者を揚げる』という言葉があったそうですよ」

老女は首を傾げた。

「どういう意味でしょうね?『芸者を揚げる』というのは聞いたことがあるけど」

「ただ、この話をしてくれた方から聞いた話では、戦前の日本、まだ貧しくて親を医者に診せたり、病院もなくて入院させることができなかった時代の話のようです。今のような国民健康保険もなくて、いよいよ親の命が尽きそうになった頃に、やっと金銭を工面して家に医者を連れてきて診察をさせることを『医者を揚げる』と言ったそうで、その地域では医者を揚げられれば、長男としての役目を立派に果たしたと言うことになったそうです」

診察も食事も拒む母親のために何かができた娘さんは「医者を揚げて」、心が軽くなったに違いない。それに気づいた老女は、

「私が死ぬのは勝手だけど、このままじゃ娘も悩んでしまうものね」

と娘さんのことを慮ってみせると、しばらく黙り込んだあと、深呼吸のようなものをして本題を切り出してきた。

「娘には話さないで欲しい」

「点滴をしながら先生に聞いてもらいたい話があります。このことは娘には話さないでもらいたいのです」

私が大きく頷いてみせるとホッとした表情を浮かべながら、誰にも話せなかった過去を絞り出すように話し始めた。

「私も先生ほどの数ではないけれど、たくさんの赤ちゃんを取り上げました。でも五体満足の子ばかりではなかった」

羊水検査もエコー検査もなかった時代である。産まれてくるまで胎児の状況はわからなかった。

「それから…、せっかく健康に産まれても、あとでその家を見に行くと貧しかったり、親に育てる余裕がない家もたくさんありました。でも、そういう家って皮肉なことに、また子どもができるの。もしそこに、ある種の問題がある子ができたとき、生活状況を考えると、不幸になるとしか思えないときがあったの。そんな時、私はお産に携わる者として、やってはいけないことをしてしまった…」

老女はとてもつらそうに告白し、話を止めた。そして私に答えを求めた。

「自分の最期が近づいて来て、何人かが夢に出てくるようになりました…。だから、私は普通の死に方はしちゃいけない。どう、思われますか?」

看取り医が返した言葉

似たような話を間接的には聞いたことがある。産めばいいという時代ではなかったとも思う。

「村の人たちも知っていたのではないでしょうか? 知っていて黙っていた。私が聞いた話もそうでした。恐らくきっと…、この人に任しておけば大丈夫だという信頼感があったのでしょう。その後、保健師さんになられたのも、そういう意味があったのですね」

老女は目を閉じたまま頷いた。どの程度、老女の話を私が理解できたのかわからない。ただ、複雑な内容ゆえに、それ以上、私も聞くのを控えた。

「この話は誰にも相談ができませんでした。ありがとうございます。これ以上の点滴はいいでしょう。止めます。この点滴は娘を安心させるためでしかないのですから」

私は針を抜き、酒精綿で圧迫して止血をした。老女は再び目を開いて、眼球だけで私を覗き込んだ。

「先生は看取った患者さんの夢を見ることはありますか?」

「まだありません。あなたぐらい真摯に仕事を続けていたら、いつかうなされるようになるのかも知れません」

ほんの少しだけ老女の顔が和らいだようにみえた。

「長い時間ありがとうございました。聞いていただけただけで充分です。もう、いつ死んでもいい…」

彼女のそれは「罪」だったのか

その帰り道−−。

私がいつか死の淵に立った時、この老女の夢を見るような気がした。

彼女が現役時代に行った行為は想像できる。

彼女は近隣に産婦人科医院ができたとき、助産婦の仕事を辞めた。その後、町の保健師として活動を始めた彼女は、特に避妊教育の指導にあたったそうだ。臨終の間際まで苦しめた悪夢がそれをさせたのだろう。

私は彼女が行ってきたことを「罪」だと感じない。誰かがやるしかなかった時代、彼女はこの「安楽死」に繋がる問題を、独りで向き合い悩み続けたのだから。苦しい役どころを担い続けたのである。その人生に尊敬すら覚える。

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つづく記事『後期高齢者になった「天才研究者」が書斎にひきこもり、認知症テストを拒否…「変な死に方をされたら困る」と怯える74歳妻と、看取り医がみた「異常行動」』では、天才学者たちの意外な「老後の実態」に迫っています。

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