最近の研究から、食物の多様性に限らず日常生活も狩猟採集時代の方が「豊か」だったという見方が出てきています。「豊か」とは、皆が日常を快適に送るという意味です(イラスト:vectorpouch/PIXTA)

気候変動、パンデミック、格差、戦争……、私たち人類を襲う未曽有の危機を前に、20万年にわたる人類史が岐路に立たされている――。そのように言っても、大袈裟に感じる読者は少ないのではないでしょうか。

そんな今、40億年の生命誌からヒトの生き方を問い直そうとしているのが、レジェンド研究者・中村桂子さんです。

科学の知見をもとに古今東西の思想や実践活動に学び、「本来の道」を探った著書『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』より一部抜粋・編集して、生き方を見つめ直すヒントをお届けします。

狩猟採集から農耕、科学技術へ

狩猟採集から農耕へという、サピエンスだけが歩んだ独自の道が文明を生み出し、それが大きく展開して、科学技術文明が生まれました。

こうして現代人は我が世の春を謳歌してきました。食べものでいうなら飢餓より肥満に悩む人の数の方が多いといわれますし、東京では世界中の料理を楽しめます。平均寿命は年を追って伸びており、医療の進歩がさらにそれを延長すると期待されています。

けれども、21世紀が始まってから、文明の未来は危ういと感じる人が増えてきました。

サピエンスに未来はあるのか。誰にも予測できることではありませんし、悪い未来を望むものではありませんが、東日本大震災に代表される自然災害、気候変動、コロナパンデミックなどの中で、多くの人がなんとなく不安を感じていることは確かです。

1つには、これらの原因がどう考えても人間活動にあると思わざるを得ないからです。

東日本大震災も原子力発電所の事故があったために、10年以上たっても人が暮らせない地域ができてしまいました。二酸化炭素の排出量の抑制、ウイルスワクチンの開発など、個々の事柄への対処はもちろん必要です。

けれども、科学技術や社会制度などの力だけでの解決は無理です。そのように言い切る根拠をデータで示すことはできません。ここは生きものとしての直観で、基本からの見直しという立場で考えます。

地球でなく「人間」が滅びる

未来を語るとき、地球が危ういとか生きものたちが滅びるといわれることがありますが、危ういのは人間なのです。

地球が太陽の終焉と共に終わりを迎えることはあっても、人間の力で滅びることはありません。太陽は今後50億年は続くとされますので、地球の心配はしなくてよいでしょう。

地球上の生きものたちはどうでしょう。これはわかりませんが、生命システムは46億年の地球の歴史のなかで、40億年間進化をしながら続いてきました。もちろん何度も大絶滅はありましたし、これからもあるでしょうが、その中でも必ず生き残るものがあり、しぶとく続いてきたのが生命システムです。

地球のありようはこれまでも変化を続けてきましたし、今後も変化します。小惑星の衝突もあるでしょう。さまざまな災害はあっても、地球から生きものたちがいなくなることはないだろう。

これまでの生きものの科学が教えてくれるのは、このシステムのロバストネス(頑強性、堅牢性)です。

問題は人間です。生きものとしての人間は、生きる力を退化させ、滅びの道を歩いているように見えます。

危うさの原因は、「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を無視した物語をつくったところにあると思えます。

物語は、自然の操作である農耕から始まり、いつの間にか自然を無視した暮らし方を進歩と呼び、それに絶対の価値を置きました。そこで大事な役割をしたのが科学であり、科学技術です。

科学は魅力的な学問ですが、進歩観のもとで科学技術を進めることが良い選択とは思えず、科学に基礎を置きながら「べつの道」を探る「生命誌」という知を考えました。

「『私たち生きもの』のなかの私」という現実を基本に置いた物語を紡ぎ、時には自然界の生きものたちが紡いでいる物語を読むことで、自然の一員であることを意識しながら、自然を解明し続けて行きたいのです。

こうして生きものとしての「本来の道」を歩けば、破滅を避けることができるのではないか。やや大仰な言い方をするなら、文明の再構築の試みです。

農耕は世界の5つの地域で始まった

農耕の始まりの場、つまり現在私たちの食生活を支える中心的作物が最初に栽培されたとされる地域は、南西アジア(コムギ、エンドウなど)、中国長江流域(アワ、キビ、コメなど)、中央アメリカ(トウモロコシなど)、アンデス(ジャガイモなど)、北アメリカ東部(ヒマワリ)の5カ所であることがわかってきました。

このなかで最古とされるのが、紀元前8500年頃の南西アジア(メソポタミア)であり、コムギなどの栽培のほか、ヤギの家畜化も行われていました。

興味深いのは、その後紀元前3500年までの間に主要作物にオオムギなどが加わりはしたものの、この5地域で栽培され始めた作物が今も食され、しかも私たちの摂取カロリーのほとんどが、これらに頼っているということです。

つまり、植物の中で栽培に適したものは非常に少なく、農耕を始めなかった地域は、そこに暮らす人々にその気がなかったからではなく、栽培できる植物がなかったためといえそうです。

こうして限られた人々が農耕を始めたのではなく、限られた植物が農耕を可能にしたのだと知ると、人間と自然の関係をこれまで人間の支配という目で見過ぎていたことに気づきます。

狩猟採集時代には多種多様な植物や動物を食べていたことがわかっており、今私たちが知っている栄養という概念で見たときに理想的といってもよい食生活をしていたようなのです。このときのほうが自然をよく知り、ある意味、豊かな生活をしていたともいえるわけです。

狩猟採集から農耕への移行は、両者が混じり合いながら徐々に農耕文明へと移りました。ここでの課題は「多様性」の消失でしょう。多様性の重要さはさまざまな側面から明らかになっており、農業においてそれが重視されてこなかったことは、頭に止めておきたいことです。

最近の研究から、食物の多様性に限らず、日常生活も狩猟採集時代のほうが「豊か」だったという見方が出てきています。

農耕生活の始まりの頃と比べてのことだけではなく、現在の私たちの暮らし方と比べてもそういえるとする研究者もいます。「豊か」とは、皆が日常を快適に送るという意味です。

実は「豊か」だった狩猟採集時代

すでに指摘したように農耕民には栄養失調が見られます。しかも農耕生活では、その年の気候によって主要作物が不作になり、飢えに苦しむ場合が少なくなかったのに対し、狩猟採集の場合は、災害が起きたらその場所から移動すればよかったのです。

労働時間も現存のアフリカでの狩猟採集民の場合、週に35〜45時間という値が出されています。毎日の採集時間は3〜6時間、狩りは3日に一度くらいしか行いません。そこで、皆で語り合う時間がたっぷりあるのです。

感染症の問題もあります。

長い間私たちを苦しめてきた天然痘やはしかなどの感染症は、そのほとんどが家畜に由来するものであり、農耕社会になってから感染が拡大しました。

当初の集落はゴミや排泄物などで不潔な状態でしたから、病気が広がりました。小さな集団で移動している狩猟採集社会では、病原体の感染は起こりにくかったので、これも決してよい方向へ向かったとはいえません。

このような比較から、研究者たちは狩猟採集生活を「豊か」と表現するようになり、以前のような野蛮人というイメージは、はっきり消えました。

とはいえ、子どもの死亡率は高く、大人になっても病気や怪我の治療は難しかったに違いありませんから、決してそこに戻ろうという暮らしでないことは明らかです。


ただ、自然の一員としてどう生きるかという問いを考えるときに、思い出す必要がある時代であることは確かです。私たちとは無縁の遠い世界の話ではなく、自身の生き方に関わっていることを忘れてはなりません。

COVID-19騒ぎの前は、感染症の時代は終わった気持ちでいたように思います。がん、高血圧、認知症のような病気には関心があっても、感染症はインフルエンザに気をつける程度、大した問題ではないという受け止め方です。

しかし今や、それは思い上がりだったと気づかされました。

自然界にはこのようなことがよくありますので、現代社会の見直しをするときには、思い込みをなくし、事実に向き合う必要があります。農耕社会、ひいてはそれを発端として始まった文明社会を考えていくときに参照しなければならない狩猟採集生活の特徴は少なくありません。

(中村 桂子 : JT生命誌研究館名誉館長)