そして、東京書籍の教科書(『新選日本史B』2018年)では「江戸時代の社会では、武士と百姓、町人(商人と職人)が、それぞれの職能によって区分された身分を形づくった」とあるだけで、「士農工商」という言葉自体が教科書から消えてしまっている。

◆そもそも「士農工商」という概念は古代中国のものだった

「じつは士農工商という概念は古代中国のもので、四つの身分というより“あらゆる人々”を意味しています。それを江戸時代に儒学者が、強引に日本の社会にあてはめ、それが誤った形で明治以降に伝わっていったのです。

 正確には、江戸時代の身分には、支配者の武士と被支配者の百姓・町人という二つがあるだけで、百姓と町人については、村に住むのが百姓、町(主に城下町)に住むのが町人(職人と商人)というように居住区や職業別にすぎないのです」

 しかも驚くべきことに、身分間での移動もできたのだとか。

「たとえば勝海舟の曽祖父は越後の農民だったが、お金持ちになって武士の権利を買っています。作家の曲亭(滝沢)馬琴も、金で孫のために武士の株を購入しましたし、正確な地図をつくった伊能忠敬や新選組の近藤勇は、その功績で幕臣(武士)に取り立てられています。

 いっぽう三菱をつくった岩崎弥太郎の家は武士でしたが、その権利を売って農村で農民身分(土佐では地下(じげ)浪人と呼んだ)になっていました。しかし、弥太郎はのちに武士の権利を買い戻しています。

 江戸や京都の大店(豪商)は、先祖の地に住む農民の子を多く店員として雇用し、その中から立派な商人になるものも少なくありませんでした」

 身分間の移動ができたことも驚きだが、私たちがこれまで当然だと思っていた「士農工商」という概念が間違っていたことが一番の衝撃かもしれない!

文/河合 敦 構成/日刊SPA!編集部

【河合 敦】
歴史作家、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。
1965 年、東京都生まれ。青山学院大学文学部史学科卒業。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。歴史書籍の執筆、監修のほか、講演やテレビ出演も精力的にこなす。『教科書に載せたい日本史、載らない日本史』『日本史の裏側』『殿様は「明治」をどう生きたのか』シリーズ(小社刊)、『歴史の真相が見えてくる 旅する日本史』(青春新書)、『絵と写真でわかる へぇ〜 ! びっくり! 日本史探検』(祥伝社黄金文庫)など著書多数。初の小説『窮鼠の一矢』(新泉社)を2017 年に上梓。