三笘薫も続け!「背番号22」をつけて歴史に名を刻んだ3名のスター
今季のプレミアリーグ開幕戦で早くもゴールを決めたブライトン&ホーヴ・アルビオンの三笘薫。
昨季怪我に泣き19試合の出場にとどまったが、開幕から好調な姿を見せている。
そんな三笘の背番号は、今季も22番。そこで、日本代表MFのさらなる活躍を期待し、三笘と同じくクラブで「背番号22」をつけて歴史に名を刻んだスター選手3名を紹介する。
カカ
まずはやはりこの男。すでに引退しているが、ミランやレアル・マドリーなどでプレーした元ブラジル代表MFを外すわけにはいかない。
2007年にバロンドールを受賞するなど大活躍したミラン時代、22番はカカの代名詞にもなった。この番号にしたのは誕生日(4月22日)が理由だったそう。
マドリーで4シーズンを過ごし、2013年にミランへ復帰した際もファン投票の結果、背番号は22に決定。その後、「リスペクトを込めて、22番はミランでしかつけない」と宣言し、実際にこの番号をつけたのはミランだけだった。
ちなみに、あまりにカカの印象が強すぎるため、2011年にミランで22番を背負ったアントニオ・ノチェリーノはミラニスタから厳しい目に晒され、1年後に8番へと変更している。
アンヘル・ディ・マリア
アルゼンチン代表やPSG、昨季復帰したベンフィカでつけている11番のイメージも強いアンヘル・ディ・マリアだが、欧州の頂点に立ったのは22番をつけていた時。
2010年夏にベンフィカからレアル・マドリーへ移籍すると、22番を背に4シーズンにわたり“白い巨人”屈指のレフティとして活躍。2013-14シーズン、ギャレス・ベイルがチームに加わったことでディ・マリアは移籍するとみられたが、カルロ・アンチェロッティ監督の要望により残留した。
そしてインサイドハーフとして定位置を掴み、迎えたそのシーズンのCL決勝では、ベイルの決勝点をアシストするなどマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる活躍でクラブの「ラ・デシマ(※10度目の欧州制覇)」に大きく貢献している。
なお、その後ユヴェントスでも22番を選択。愛娘の誕生日でもあるため、“22”は大切な番号だという。
ジュード・ベリンガム
最後は、移籍金1億300万ユーロ(日本円で150億円以上)+出来高で昨季レアル・マドリーへ加入するや、瞬く間に中心選手となり、CLとラ・リーガの2冠を達成したイングランド代表MF。
マドリーでは5番をつけている彼だが、プロデビューしたバーミンガム、そして3年間を過ごしたドルトムントでは22番を着用してきた。
13歳頃にバーミンガムの育成担当から「君は22番になれる」と言われて以降、この番号を好んでつけていたそう。アンカーの“4”、センターハーフの“8”、攻撃的MFの“10”を足すと“22”。つまり、すべてを兼ね備えたMFになれるという意味だったようだ。
17歳でドルトムントへ移籍したこともあり、バーミンガムでの公式戦出場は44試合(4ゴール)。それでもクラブは彼がつけていた22番を永久欠番にしている。