パリオリンピック、ボクシング女子66kg級で金メダルを獲得したアルジェリアのイマネ・ケリフ選手(左から2番目)(写真:リチャード・ペルハム/ゲッティイメージズ)

8月11日に閉幕したパリオリンピックで激しい議論を巻き起こした女子ボクシング。「男のくせに女子として戦うのはいかがなものか?」と誹謗中傷の嵐にさらされたアルジェリアのイマネ・ケリフ選手と台湾の林郁テイ選手が、それぞれ66kg級と57kg級で金を獲得した。

2回戦での対戦相手アンジェラ・カリニ選手が「ひどい」「フェアじゃない」と途中で試合放棄し、リング上で泣き崩れたことからネット上でも特に激しく中傷されたケリフ選手は、「女性蔑視、人種差別」であると、フランス当局に刑事告訴するという状況まで事は発展している。

そんな中、世界中から同情を買ったように見えたカリニ選手が、実は本国イタリアで大変な非難にさらされていたということはあまり語られていない。

ダイバーシティ問題にセンシティブな若い世代 

握手を求めたケリフ選手を無視し、リングで泣きべそをかいて棄権したカリニ選手の行動をめぐって、「卑怯者」「スポーツマンらしくない」「恥を知れ」「痛いのが嫌ならボクシングなんかするな!」などなど、とにかく批判的なコメントがSNSを席巻した。

一方で、ケリフ選手を応援する声がイタリアからだけでなく、世界中の、特に女性たちから集まった。「あなたは強い女性です、身体だけでなく心も」「あなたの振る舞いはとてもかっこよかった」などの声が同選手のSNSアカウントに集まった。そして「私はイタリア人ですが、私の国がしたことを恥ずかしく思います。そしてあなたを苦しめたことをお詫びしたい」そんなメッセージも散見した。

イタリアでも保守的で年齢が比較的高い層は、大手メディアの報道を鵜呑みにして、ケリフ選手について「男なのに」とか「トランスジェンダーってどうなの?」という論調に走った。一方、若い世代たちは、そんな人々を「ignoranti fascisti」(無知なファシストたち)とバッサリ。

LGBTQ問題やダイバーシティ問題にセンシティブで、リベラルな若い世代は、テストステロン(男性ホルモンの一種で筋肉や骨の成長を促進する)の量が基準値より多いとか、XY染色体があるかどうかは問題にしていない。女性の身体を持って生まれて女性として育ち、女性ボクサーとしてキャリアを積んできたケリフ選手を周りがとやかく言うなんて馬鹿げている、というわけだ。

だがケリフ選手を中傷する人々の中には「自称女性」が女子選手として戦うのは公平ではないという論調が目立った。国際ボクシング協会(IBA)が検査内容などを明らかにしないまま「ケリフ選手と台湾の林選手はXY染色体を持っている」と発表したことを鵜呑みにしてのことだ。XYの染色体があるなら男性なんじゃないか!という世間の声に対して、性分化疾患(DSD)について詳しい小児科医の堀川玲子氏がABEMA Primeでとても参考になることを言っている。

(動画:ABEMA Prime #アベプラ【公式】/YouTube)

性分化疾患というのは、身体の性に関わる部分が非典型的になる疾患ということだ。その「非典型」の形は400種類にも及び、その中の一つとして、XY染色体を持っているけれど外性器などは全て女性形、だから女性として分類されるケースがある、というのだ。日本小児内分泌学会のサイトにも同じように説明されている。

つまり今回問題になったケリフ選手は、生まれたときから女性として育ち、パスポートも女性だというのだから、もしも本当にXY染色体を持っているというならこのケースに該当するのかもしれない。

しかしどちらにせよ、染色体のことだけで男だ女だと決めつけ、2種類に分類するのは、人間の、生物の多様性=ダイバーシティを認めない、標準から外れる人を差別することにつながるということを、若者層はよく知っている。そもそも他人のジェンダー問題を当事者抜きに議論したり中傷すべきではないことも。

人間はみな、それぞれ違う。それを覚悟で世界の舞台を目指し、切磋琢磨するから、見る人の感動を誘うのだ。ケリフ選手の筋肉量が多少多いから不公平だというなら、生まれたときから高い身長や立派な体格に恵まれた欧米人や、ジャンプ力など身体能力がずば抜けて高いアフリカ勢の選手たちは「不公平」じゃないのだろうか。 

議論の核心にあるくだらない問題

イタリアでカリニ選手に批判が集まったのは、実は、ダイバーシティに対する問題だけが理由ではない。この議論の核心には、ロシアのオリガルヒ、ウマル・クレムレフ氏が会長を務める国際ボクシング協会と、IOC国際オリンピック協会の確執があって、お互いに嫌がらせをしていたらしいという、なんともくだらない問題があったというのだ。

その報道が出たことで、ケリフ選手を応援する声は激増した。なぜならこの議論を引き起こしたのは、イタリアの副首相マッテオ・サルヴィーニが「我が国の選手が男と戦う!」と試合の数日前から騒ぎ出したせいだとわかったからだ。サルヴィーニといえばプーチン大好きのロシア派として知られていて、ボクシング協会の会長がオルガリヒであることを考えると、さもありなんだ。

サルヴィーニの動きに便乗するかのように、首相のジョルジャ・メローニもカリニ選手の棄権後「公平な試合ではなかった」とコメント。メローニもサルヴィーニもバリバリの保守派で、古い家族的価値観の称揚、同性婚反対などを謳っているから、若者からは特に嫌われている。だからサルヴィーニとメローニのケリフ選手に対する攻撃も、LGBTQを認めない彼らの意思表示として受け取られ、リベラルな考えの若者たちから総スカンを食ったというわけだ。

で、その怒りが一気にカリニ選手に向けられたのだ。ネガティブコメントの中でもひどいものは、「カリニは政界と何か取引したのでは?」というものまで出る始末。

なぜ今回に限って騒ぎ出したのか

それはかなり極端な例としても、8月5日、沈黙を破ってケリフ選手が出したこのコメントを聞くと、もしかして?と思わなくもなくなってくる。

「私のことをずっと前から知っているし、一緒に何度も練習もしたのに、なぜ今になって、あんなことをしたのか。私を負けさせるためでしょう?」。あんなこと、とケリフ選手が言うのは、今回の試合に限って急に男性ホルモンの数値のことを持ち出し、オリンピックに参加するのはおかしいとイタリアサイドが騒ぎ出したことだ。

確かにイマネ・ケリフ選手はボクシング界に突如登場した選手ではない。中部イタリアにあるアッシジのスポーツセンターで、何度もトレーニングを受けていて、カリニ選手とも練習をしたことがあるというのだ。そして彼女は、アルジェリアのオランで開催された2022年地中海競技大会では旗手を務めた。その前の東京オリンピックでは、準々決勝でアイルランドの選手に負けてもいる(つまり男だから圧倒的に強いという論理も当てはまらない)。

ちなみにカリニ選手は、東京オリンピックでも試合途中で足が痛いと言って棄権している。

(宮本 さやか : ライター)