40代半ばになって感じる心身の「衰退」とは(撮影:今井康一)

定職に就かず、家族を持たずフラフラすごし、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作った20代と30代。「日本一有名なニート」とも呼ばれたphaさんが、40代半ばのいま感じるのは「すべての衰え」。

ずっと右上がりに楽しいことだけやって生きていけたらいいな、と思っていたのに、最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行っても楽しくない。

そんな中年の日常を描いたエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』から抜粋し、3回にわたってお届けします。

普通の中年になんかなりたくなかった

こないだ道を歩いていたら、そこは歩道と車道が分離されていないタイプの道だったんだけど、あまりスピードを落としていない車が、僕の後ろから、体スレスレのところを通り過ぎていこうとした。

その瞬間、近くを歩いていた20歳くらいの男の子がとっさに僕に向かって、
「あぶない、おじさん!」

と叫んでくれて、それを聞いた僕はあわてて車をよけた。

そのこと自体は何事もなく無事に済んでよかった。しかし、あの男の子は反射的に、純粋に善意で注意してくれたのだろうけど、「そうか、自分はもうおじさんと呼ばれてしまう年齢なんだな……」と思って、少し落ち込んでしまった。

ずっと、何も背負わない自由な状態でいたかった。

お金よりも家族よりも社会的評価よりも、とにかくひとりで気ままに毎日ふらふらしていることが、自分にとって大切だった。

だから定職にもつかず、家族も持たず、シェアハウスにインターネットで知り合った仲間を集めて、あまり働かずに毎日ゲームとかをして暮らしていた。世間からダメ人間と見られても、全く気にしていなかった。

いつまでこんな感じでやっていけるのだろう、ということは、あまり真剣に考えてはいなかった。わからないけど、まあなんとかなるんじゃないか、と思っていた。

ガワが老けると昔と同じように振る舞えない

40代半ばになった今、つかまってしまったな、という感覚がある。何に? 世間に、だろうか。それとも、老いに、だろうか。何をするにも少しずつ足取りが重くなっていて、昔のように自由に動けなくなってきているのを感じる。

特に組織とかに属しているわけじゃないし、他人の目や世間の圧力などをあまり気にしない性格だから、別に年をとってもそんなに変わらない生活を続けられるんじゃないか、と昔は思っていたけれど、そんなに上手くはいかなかったようだ。

年をとるとふらふらとした状態でいるのが難しくなってくる原因は、体力の衰えのせいももちろんあるけれど、年下の人間が世界に増えたということが一番大きい感じがする。

自分がまだ若くて周りが年上の人間ばかりの頃は、「俺すげーダメなんすよ」とか言って、約束をドタキャンしたりメールの返信をいつまでも返さなかったりしていても、まあ若いから、というので大目に見られるところがあったと思う。

しかし、周りが年下の人間ばかりの中で、年上のおっさんが「俺すげーダメ人間だから」とか言って、いい加減なことばかりするのは、ちょっとキツい。痛々しい。

中身は若い頃から大して成長しているわけではないのに、ガワが老けると昔と同じように振る舞えなくなってくる。つまらないな。一生無責任に何も背負わずにいたかったのに。

10代の頃はあまり楽しいことがなかったのだけど、実家を出てからの20代はまあまあ楽しかったし、東京に来てからの30代はさらに楽しかった。いろんな場所に行って、いろんな人に会って、面白いことをたくさんやった。この調子で、ずっと右上がりに楽しいことだけやって生きていけたらいいな、と思っていた。

しかし、40代半ばの今は、30代の後半が人生のピークだったな、と思っている。肉体的にも精神的にも、すべてが衰えつつあるのを感じる。

最近は本を読んでも音楽を聴いても旅行に行ってもそんなに楽しくなくなってしまった。加齢に伴って脳内物質の出る量が減っているのだろうか。今まではずっと、とにかく楽しいことをガンガンやって面白おかしく生きていけばいい、と思ってやってきたけれど、そんな生き方に限界を感じつつある。

楽しさをあまり感じなくなってしまったら、何を頼りに生きていけばいいのだろう。正直に言って、パーティーが終わったあとの残りの人生の長さにひるんでいる。下り坂を降りていくだけの人生がこれから何十年も続いていくのだろうか。

20代の頃の「もうだめだ」はファッション

しかし、この衰えにはなんだか馴染みがあるようにも感じる。思えば自分は、若い頃からこうした衰退の気分が好きだった。


昔素晴らしかったものは、既にもう失われてしまった。大事な友達は、みんないなくなってしまった。すべては、どうしようもなく壊れてしまった。そんな物語を好んで読んできたし、そんな歌詞の歌を繰り返し聴いてきた。喪失感と甘い哀惜の気分を愛してきた。

「もうだめだ」が若い頃からずっと口癖だったけれど、今思うと、20代の頃に感じていた「だめ」なんてものは大したことがない、ファッション的な「だめ」だった。40代からは、「だめ」がだんだん洒落にならなくなってくる。これが本物の衰退と喪失なのだろう。

若い頃から持っていた喪失の気分に、40代で実質が追いついてきて、ようやく気分と実質が一致した感じがある。そう考えれば、衰えも悪くないのかもしれない。自分がいま感じているこの衰退を、じっくり味わってみようか。

(pha : 文筆家)