ケンコバが「ネズミを食う」「ガソリンを飲む」と信じていたロード・ウォリアーズが見せた「まさか」のギャップ
令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(12) 後編
(中編:大迫力の6人タックに感じた「やさしさ」の正体 スコット・ノートンとホーク・ウォリアーとの絆>>)
ケンドーコバヤシさんが「やさしさ」を感じたという、1996年の「スコット・ノートン&スタイナー・ブラザーズvsヘルレイザーズ&アニマル・ウォリアー」。後編では、伝説のタッグチーム「ロード・ウォリアーズ」への愛を語り尽くす。
フライング・ラリアットを見舞うホーク・ウォリアー photo by 山内猛
【ロード・ウォリアーズの「ギャップ」】
――前回までのお話で、アニマル・ウォリアーが「やさしさ」に満ち溢れた人だったことを知りました。
「俺も『まさか』と思いましたよ。ロード・ウォリアーズが1983年に結成された当初から、マネージャーのポール・エラリングの『ネズミを食べて、ゴミ箱あさっていたところを俺がスカウトした』という言葉を信じていましたから、『やさしさ』を持っている男だとは想像もできませんでした」
――ポール・エラリングは現役時代、AWAなどで活躍したレスラーで、引退後にウォリアーズのマネージャーに就任しました。試合でセコンドにつくだけでなく、ホーク&アニマルの、幼少時代からのさまざまな"逸話"をアピールしていました。
「忘れられないのは、『のどが渇けばガソリンスタンドに行ってガソリンをそのまま口に注ぎ込む』という話です。その姿を東スポがスクープした写真は強烈で。そんな"伝説"を俺はすべて信じてました。母親にも相談したんです。『俺もウォリアーズのようなマッチョになりたいから、ネズミを食わせてくれ』って(笑)」
――それは、信じすぎです!
「そんな『ネズミを食っていた』『ガソリンを飲む』と信じていたアニマルが、実は学生時代のつながりを大切にしていた男だったとわかって『まさか!ありえない』と。でも今思えば、専門誌のプライベートフォトで、アメリカの大学のスタジャンを着ていた写真を見た記憶もあって。そこは当時から隠してなかったんでしょうね」
――"暴走戦士"の異名が似合いませんね(笑)。
「そうなんですよ。1980年代中盤にNWAで抗争していた『ザ・ラシアンズ』のクラッシャー・クルスチェフも、学生時代の同級生だったっていう話ですから。おそらくクルスチェフも、アニマルの『やさしさ』によって脚光を浴びる存在になったんだと思います。ウォリアーズって、ホークも役者として鳴かず飛ばずだったスコット・ノートンをプロレス界に引っ張るなど、いわば級友と言える男たちをこの業界に引き込むことに尽力していたんです」
【ロード・ウォリアーズの印象的な試合は?】――ラシアンズは、イワン・コロフ、ニキタ・コロフ、クルスチェフの3人がロシア人を名乗ったユニットでした。1980年代の冷戦時代の「米ソ」対立をそのままリングに持ち込んで人気でしたね。そんなラシアンズのクルスチェフも、アニマルと関わりがあったとは! アニマルは、リング外では名スカウトマンだったんですね。
「実は、ポール・エラリングも悪徳マネージャーではなくて、2人のウエイトトレーニングを見てくれた人だったはずです。いわばパーソナルトレーナー。ということは、アニマルもホークも、パーソナルトレーナーのエラリングが指示した時間どおりにちゃんとジムに行って汗を流し、提出された食事のメニューもきちんと食べていたということ。暴走戦士どころか、めちゃめちゃ律儀できちんとしていた男たちだったんです。だからこそ現役時代も、ジムを経営してビジネスマンとしても活躍できたんだと思います」
――ホークの逸話もあったりしますか?
「ホークは、酒場で暴れたとか過激なイメージがあると思います。だけど、これは聞いた話ですが、顔が柔和すぎるらしいんです。だからポール・エラリングが『おまえみたいな優しい顔だと、普通のモヒカンじゃ足りない』ということで、逆モヒカンになったらしいんですよ。実は、笑顔が素敵な人だったんですね」
――そんなロード・ウォリアーズは、1985年3月に全日本プロレスの試合のために初来日しました。日本マットでも数々のインパクトがある試合をしましたが、ケンコバさんにとって印象的な試合はどの一戦になりますか?
「長州力・谷津嘉章とのタイトルマッチですね」
――1986年6月12日に、日本武道館で行なわれた一戦ですね。インタータッグ王者だった長州・谷津組にウォリアーズが挑戦した試合でした。
「この時のウォリアーズは、どこか不穏なムードを醸し出していて。(ブルーザ・)ブロディがよくやっていた試合というか、リング上で不機嫌な空気を出していたんです」
――当時の全日本は、外国人のトップレスラーが長州さんと対戦すると、試合がかみ合わないというか、不機嫌になる試合がいくつかありましたね。
「そこに古のプロレスの香りがするし、俺はあの試合も好きですね。かみ合わないところは、長州さんの魅力だと思いますよ。(ジャンボ)鶴田さん、藤波(辰爾)さんにはない魅力だし、長州さんのよさでもあります」
――試合はどちらが勝ったんでしょうか。
「ウォリアーズが押せ押せで間もなく勝つという時に、ポール・エラリングが加勢して反則負け。『そんなんしなくても、放っておいたら勝てたやろ』と思いましたよ(笑)」
――さまざまな歴史を背負ったウォリアーズが、1996年4月に東京ドームで再結成。佐々木健介さんのパワー・ウォリアーと合体して、ノートン、スタイナー・ブラザーズと対戦した一戦は、まさにドリームマッチでした。
「本当にそうですね。『こんな夢のあるカード、今の時代に組めるのだろうか?』と思わせてくれるほど、かなりのドリームマッチでした」
――ところで......この6人タッグは、どちらが勝ったんでしょうか?
「それが......その記憶がないんです(爆笑)。確か、トリプルウォリアーズが勝ったはずなんですが......そんなあやふやさも、みなさんの『やさしさ』で包んでいただけたら幸いです」
(連載13:越中詩郎45周年記念大会での場外乱闘の真相 直前に全日本の社長からの謎のひと言>>)
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。