ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(12) 前編

(連載11:「やめろぉぉ!」天龍源一郎の「53歳」に柴田勝頼が白目 リングサイドのケンコバは叫んだ>>)

 子どもの頃からあらゆる団体の試合を見続け、各メディアで"プロレス愛"を披露してきたケンドーコバヤシさんが、独自の目線で名勝負を語り尽す連載。第12回は、1996年に東京ドームで実現した豪華6人タッグマッチを振り返る。


ロード・ウォリアーズとともに入場する、パワー・ウォリアー時代の佐々木健介(中央) photo by 山内猛

【「これ、全員がパワースラムの使い手やぞ!」】

――今回の「語り継ぎたい名勝負」は、どの試合ですか?

「最近、4月に公開された映画『アイアンクロー』を観たんです。エリック家について描いたものなんですが、ふと、かつてテレビ東京で放送されていた『世界のプロレス』で見たケリー・フォン・エリックvsテリー・ゴディのテキサスデスマッチはすごかったなぁ、と思い出しまして。

 ほかにすごかった試合と言ったら......と考えた時に浮かんだ、1996年4月29日に新日本プロレスの東京ドーム大会で実現した、スコット・ノートン&スタイナー・ブラザーズvsヘルレイザーズ&アニマル・ウォリアーについて語りたいと思います」

――当時、新日本とUWFインターナショナルの全面対抗戦が繰り広げられている最中での大会でしたね。メインイベントでは、高田延彦のIWGPヘビー級王座に挑戦した新日本の橋本真也がベルトを奪還。さらに、グレート・ムタが新崎"白使"人生と歴史に残る大流血戦を演じるなど、歴史的な大会でした。

「そうです。空前の盛り上がりを見せた新日本とUインターの対抗戦の影に隠れて、これだけのメンバーが集結した豪華6人タッグが実現したんです。しかも、脊椎をケガして長期欠場していたアニマルが、久しぶりに日本のマットに復帰した記念試合だった。それなのに、試合順が第6試合ということもあってか、大会前は意外にマスコミでもそれほど大々的には扱われませんでした」

――確かに戦前は、「高田vs橋本」の話題にかき消されてしまったような覚えがあります。

「でも、当時の俺はこの6人タッグに注目していて。アニマルの復帰、日本マットでのロード・ウォリアーズ再結成など見どころはさまざまでしたけど、『これ、全員がパワースラムの使い手やぞ!』と気づいたんですよ。そうしたら期待値が高まって、『誰が最初にパワースラム決めて、誰が一番、華麗なパワースラムを決めるんや』っていう観点を軸にテレビ観戦したんです」

――さすが、着眼点がマニアすぎです!

「テレビ解説が、東スポの柴田惣一さんだった時代で、『柴田さんも同じこところに注目してるかな?』と思っていたんですが、解説ではそこに触れずでした(笑)。俺はパワースラムという技に強烈な印象があって。初めて見たのはバズ・ソイヤーのパワースラムがあまりにも衝撃的だったんです。この技は、ソイヤーからさまざまなレスラーに波及していったと記憶してます。

 ソイヤーは、パワースラムを決めるとリング上でよだれを垂らして、うれしそうに走り回るんですよ。その姿は昔、大阪の商店街でよく見たおっさんみたいで(笑)。ソイヤーは風貌も昼間から角打ちで飲んでる大阪のおっさんみないなのに、パワースラムのキレ味は半端なかった。そのギャップに『うわぁっ!』ってなったんです」

【パワー・ウォリアーこと佐々木健介の「らしさ」】

――ケンコバさんがそれほど思い入れのあるパワースラムを、6人タッグで最初に繰り出したのは誰だったんですか?

「それはパワー・ウォリアー、またの名を佐々木健介でした。リック・スタイナーとロープワークの展開となり、ジャンプしたリックを捕まえると、見事に空中でくるっと一回転して決めました。俺的には、『誰が最初にパワースラムを出すのか?』という問いの答えは出たわけですが......」

――何か問題があったんですか?

「その後にノートンにもパワースラムを繰り出したんですが、これが回りきらずみたいな形になってしまったんです。もちろん、ノートンの受け身の問題もあるでしょうけど、『最初の一発でやめておけばいいものを......』と思いましたよ。その後も、健介は何度もパワースラムを仕掛けるんです。しかもひとりで。そんな、空気を読まないところは『これぞ健介!さすが健介!俺たちの健介!』でしたね(笑)」

――まさに愛すべき男ですね!

「健介は、若手時代からひとつの技にこだわるところがありました。1986年にデビューしてからしばらく、決め技と言えば『逆一本背負い』の一本槍。そんななかでホーク・ウォリアーに誘われて、1992年からタッグを組むようになり、チーム名は『ヘルレイザーズ』に。顔面にペイントを施して、名前も『パワー・ウォリアー』へと変わった。俺は当時、『ここは健介にとってチャンスやから、頑張ってほしい』と祈ってましたし、パワー・ウォリアーになったことで、どう試合内容をモデルチェンジするかに注目していたんです。

 それで何試合か『ヘルレイザーズ』の戦いを見て、俺が独自に技を統計してみたら......健介からパワーになったことでの違いは、逆一本背負いをしないことだけでした(笑)。厳密に言えば、パワーとして逆一本背負いをやった試合もありますし、現にこの6人タッグでもスコット・スタイナーに見舞っているんですが、パワーに変身してから決め技としては使わなくなりました」

――結果、「健介」も「パワー」もあまり変わらなかったということですか?

「いえいえ、そうではないです。パワー時代の健介は体がデカくて、ノートン、ホーク、スタイナー・ブラザーズといったウルトラヘビー級のレスラーと並んでも見劣りしなかった。その影の努力も俺はしっかり認めたいんです」

――おっしゃるとおりですね。

「パワー・ウォリアーは今後、きちんと考察したほうがいいかもしれません。そうしたら、『黄金時代』と呼ばれる1990年代の新日本プロレスを見返すうえで、新たな何かが見えてくるかもしれませんね」

――ぜひ、この連載で考察しましょう!

「了解です。ちょっと話が逸れましたけど、6人タッグに戻りましょう。

 パワーが最初にパワースラムを繰り出したことで、この試合で俺が注目していたポイントはひと段落。それで、純粋に豪華な顔ぶれを見ていたんですが、徐々に違和感を覚え始めたんです。

 何度かこの連載でも、プロレスの試合における『違和感』を話してきましたよね。それは、たいていギスギスした感じのものだったんですが、この試合で俺が抱いた違和感はまた違った。それは、この試合がやさしさに包まれていたことなんです」

――ユーミンさんじゃないですか(笑)。

「そうです。この試合を見ているうちにユーミンさんの歌声が聞こえてきたんです。『やさしさ』なんて言葉は、この6人には似合わないですよね? だけど、聞こえてきたんですよ。その違和感の真相は、中編でお話ししましょう」

(中編:大迫力の6人タックに感じた「やさしさ」の正体 スコット・ノートンとホーク・ウォリアーとの絆>>)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメトーーク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。