この春、武相高校を率いる豊田圭史監督が、就任4年目にして最激戦区神奈川の頂点に上り詰めた。

 初戦で、昨年春準優勝の相洋に延長10回タイブレークの末に3対2で下すと、立花学園、横浜商を撃破。さらに準々決勝で日大藤沢、準決勝で向上、決勝の東海大相模とすべて1点差ゲームで勝利し、42年ぶりの県大会優勝を果たした。


春の神奈川大会を制した武相高校・豊田圭史監督 photo by Ohtomo Yoshiyuki

【富士大の指導者として実績】

 古豪復活を果たした豊田監督は、東北の野球界で若くして名を成した指導者である。

 豊田監督は1984年、横浜市泉区生まれ。市立中田中学(軟式)から武相高校へ進学した。細かく独特の野球観を持った木本(旧姓:奇本)芳雄監督のもとで投手、三塁手、外野手を経験。大学進学は木本監督から「富士大学へ行け!」と言われ、てっきり静岡の大学だと思っていたら反対の岩手県だったというエピソードも。

 大学では4年間投手だったが、これといった実績を残せなかった。それでも卒業時に、青木久典監督から「花巻に残れ!」と言われ、3年間サラリーマン兼コーチ生活を送った。法政大の監督となった青木氏のあとを継ぎ、2013年12月、29歳の若さで富士大の監督に就任した。

「木本監督、青木監督の教えを受けたのが、指導者としてやっていくうえで大きな礎となりました。さらに企業経営者の本を読んだり、話を聞いたり、野球以外の方々からそれぞれの取り組み方、考え方なども参考にさせてもらいました」

 富士大では全国に出場し続ける土台づくりをしなくてはいけないと、授業が終わる夕方5時過ぎから夕食をはさみ、夜遅くまで全体練習を行なった。就任当初の2年間は徹底的にやろうと、深夜までやったこともあったという。コーチ、監督時代の約10年間で、全日本大学選手権に13回出場し、準優勝1回。明治神宮大会にも4回出場した。

 この間、プロに送り出した選手は多い。コーチ時代には、中村恭平(広島)、山川穂高(ソフトバンク)。監督になってからは、外崎修汰、佐藤龍生、佐々木健(すべて西武)、鈴木天翔(楽天)、金村尚真(日本ハム)など、多くのプロ選手を輩出した。社会人野球にも富士大出身の選手は多く、もはや野球界の一大勢力と言っても過言ではないだろう。

【4年前の8月に武相の監督に就任】

 2020年8月、その実績が高く評価され母校である武相の監督として招聘された。

 そんな豊田監督を支えているのが、富士大時代に交流のあった専大北上高の監督だった白濱暁コーチだ。高校の指導者を終えたあと、野球から離れて東京の一般企業で働いていたが、武相・豊田監督誕生とともにコーチとして馳せ参じた。

「まずは豊田監督の考えを、選手たちに浸透させることを一番に考えています。強豪私学に比べると、個々の力にはまだ差があります。春の県大会優勝は、フィジカル面を鍛え上げたことが大きいと感じています。複数の筋トレと有酸素運動を組み合わせて行なうサーキットトレーニングなどを取り入れ、プロテインを摂取し、食べることにも力を入れてきました。打撃面が評価されていますが、低反発バットなので大振りしない、体を開かない、バットの芯でコンタクトするように指導しています。その結果、春の県大会では3回戦から決勝までの5試合すべて10安打以上を打ってくれました」

 では、豊田監督はどのようにしてチームづくりをしてきたのか。

「ウチは勝ち慣れていない生徒が多い。でも素直なので、『こうしよう』と言えばやってくれます。焦らず、驕らず、まずはベスト8、ベスト4の壁を越えられるように、お互いに競争意識を持たせ、うまくコントロールしていかなければと思っています。武相がガラッと変わるために、3年で土台をつくり、4、5年目が勝負だと思っていました。そういう意味で、今年は勝負の年です」

 さらに続ける。

「ここで監督はこういうことを言うだろうと、怒るときや褒めるときがわかる生徒を9割ほど育てていけば勝負できると思い、自分もある程度計算しながら接してきました。今の3年生はそれを理解してくれているので、成功しているのかと思います。春の県大会で優勝したからといっても、まだまだのチームです。あとは団結力です。スタンドで応援してくれている控え選手たち、OB、保護者、関係者に勢いがあり、目指しているところはひとつなので頑張るしかありません」

 56年ぶり甲子園へ。夏の神奈川大会ベスト8をかけ、武相は5回戦で立花学園と対戦する。