ねっとりとした肉質の桃(主に「白鳳」)でつくるシロップは、大人にも子どもにも大人気。夏の終わり頃にメニューに加わる(出所:『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』)

神奈川県・鵠沼海岸にある、かき氷店「埜庵(のあん)」は2003年にオープンして以来、一年中かき氷を提供してきました。全国からお客さんが集まる埜庵の魅力とは? 店主である石附浩太郎さんの著書『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』から一部を抜粋、再編集してお届けします。

前の記事:行列のできる「かき氷」店が真夏に店を閉めたワケ
次の記事:人気かき氷店が伝授「マンゴーシロップ」の作り方

手づくりのかき氷シロップ

いちご、パイナップル、メロン、桃、りんご&キウイ、オレンジ、レモン、マンゴー、パッションフルーツ……。

フルーツのかき氷はみんなが大好きです。「埜庵(のあん)」では、それらのフルーツをなるべくそのままの感じでみなさんにお届けできるよう、日々加工の方法について考えています。

フルーツのシロップはおいしいフルーツからつくることが基本ですが、最近は「おいしい=甘い」で、いちごでもなんでもとにかく甘い。でも、シロップにするなら、適度な酸味もほしいところです。

そもそも、上質なフルーツならそのまま食べるのが一番なわけで、人間が手を加えてさらにおいしくなることはないでしょう。

だから私の場合は、フルーツの味の要素をいったん分解し、もう一度組み立て直すことでシロップとしてつくり変えています。酸味や苦みといった甘みとは反対方向の味を加えて、なるべく糖度を上げないようにするのです。

フルーツのシロップでは、この「糖度を上げすぎない」ことこそ、実はフルーツ自体の味に近づける方法。柑橘類、特にグレープフルーツなどにはとても効果的でした。

シロップの柱になるのは、「糖度」「濃度」「粘度」「温度」。これら4つの「度数」を組み合わせて、削った氷の上でいちばんおいしくなるようにコントロールします。

糖度は、もちろん味を決めるためにいちばん必要なこと。濃度と粘度は味の輪郭を際立たせるのに必要で、味にパンチをもたせる役割があります。

またシロップは、夏は氷にしみ込んでいるほうがさっぱりしますし、冬なら氷の上にのっているほうがおいしく感じるのですが、これを調整するのも濃度と粘度です。

温度は文字どおりで、シロップのボトルは、冷やした氷水のなかに置いておくのがベスト。かつて市販のシロップを使っていたときは、温度しか調整できませんでした。

天然氷でシンプルなかき氷にこだわる

私がこの世界に入るきっかけとなったのは、天然氷との出会い。

初めて食べたその氷のおいしさと、当時はまだあまり語られることのなかった「地球温暖化」によって、何年かあとには採れなくなってしまうかもという不安感とのギャップ。

限りないポテンシャルがありながら、また同時に危機的な状況にもあるというその儚(はかな)さに当時の私は魅せられたのです。

なので、この天然氷でかき氷のお店を開くことになったとき、直感的に「市販のシロップをかけるのは違うな」という気がしました。

この氷にとって、いちばん正しいかたちってなんだろう。

自分なりに考えて考えてたどり着いた答えが、「いちごの氷なら、本物のいちごからシロップをつくったほうが正しいんじゃないか」ということでした。おいしいかき氷ではなく、氷にとって正しいかき氷。いまとなっては言いにくいことですが、出発点はそこでした。

新しいかき氷は常に考えていかないといけないものですが、シロップのアイディアというのはそんなに無限に生まれるものでもありません。

あまりかき氷の食べ歩きはしないのですが、ときどき話題のかき氷屋さんを訪れると、そのつくりの複雑さに、「いま都心では、こんなに手をかけないといけないんだ」と驚かされることばかりです。

かつては新しいといわれた埜庵のかき氷も、いまとなっては違います。シンプルなかき氷が埜庵の信条で、そこを変える気はないのですが、それがかえってうまい差別化にはなっていると思います。


晩秋に登場する栗とかぼちゃ、人気のかき氷を一つにした欲張りな氷。ふたつのシロップはそれぞれに個性がありつつ味の方向性が同じなので、混ざってしまわないよう重ねず、縦割りにかけている。別添えはシェリー酒と練乳(出所:『一年じゅうかき氷の店 埜庵の20年 絶品シロップレシピつき』)

というのも、埜庵はかき氷を一年中食べる人が少ない時代に始めているので、まずは広くお客さまに受け入れてもらう必要がありました。シンプルなフルーツのかき氷が多いのはそのためです。

かき氷のかたちが違うのではなく、対峙しているお客さまが違う。結果的にさまざまなかき氷が生まれて、多様性につながり、かき氷の発展にもつながっていると思います。

3年勤めたら「のれん分け」

新しいアイディアの話に戻ると、私の場合は、むしろかき氷以外の食べ歩きのなかから生まれることが多いです。特に旅行や出張で地方に出かけたときに、その土地独自の食べものから影響を受けるということが数多くあります。

レシピは何種類くらいあるのですか?と聞かれますが、実は自分でまとめたレシピ帖のようなものはありません。

手を動かしながらつくり、最終的に決めたレシピを、そのときどきの「ニバン(店でNo.2の人のこと)」を務めている人が書きとめます。そして、その「ニバン」の人がお店を卒業するときには、それまでに書きためた原本のコピーを私に渡す。

いっしょに手を動かし、考えてつくったレシピは、お互いの財産として共有していきます。

埜庵では、3年勤めるとのれん分けしてもいいということにしています。3シーズンくり返すとメニューの完成度も上がるし、よい夏も悪い夏も、だいたい経験します。

かき氷の習得だけで3年は長いと思う人は多いかもしれない。でも本当に感じてほしいのは、先も見えないかき氷屋が「きみを3年雇用する」と約束するのがどれくらい大変かということ。

働いているときは文句を言いたいことがいろいろあるかもしれないけれど、自分で開業して人を雇用することになったとき、初めてその困難さに気づく。もし開業するのがかき氷屋なら、その難しさは身にしみてわかると思います。

そうなって初めて、雇う側としての意識に変わる。レシピを共有する人に、レシピ以上に大切に伝えたいのはそのことです。

「埜庵のかき氷」を追求して

ここ数年は、新しい食材だけでなく、エスプーマを使ったものやケーキの形をしたものなど、いままでにない技法を駆使したかき氷が「進化系」と呼ばれるようになりました。

質感を競うということが、私からみるとちょっとエスカレートしているようにも思えます。でも、こうした「進化系」が、ここ10年くらいのかき氷の主流というのは間違いないのかもしれません。

お客さまが望むものを提供する。それはもちろんよいことだと思いますが、埜庵のかき氷とはちょっと方向性が異なってきたと感じるようになりました。


「埜庵のかき氷をひと言でいうと?」と、取材のときによくたずねられます。

かなり難しい質問で答えに窮してしまうのですが、いつも思っているのは、「日本独自のかき氷のかたちを踏襲していきたい」ということ。日本のかき氷は「水を食べる」もの。日本料理では水を大切に考えますが、かき氷も日本料理のうちというのが私の考えです。

だから、「シンプルに氷を削って、シロップをかける」。そのふたつの行為だけでおいしさを表現することにこだわっています。

そこに何かを加えるより、加えないほうがよほど勇気がいる。そのためには、できる限りよい食材を使い、その食材のいいところを引き出してみなさんにお届けしよう、と常に考えています。

次の記事:人気かき氷店が伝授「マンゴーシロップ」の作り方

(石附 浩太郎 : かき氷店「埜庵」店主)