「あえての技術劣化」という「差別化」に舵を切った任天堂が、業界にあたえた影響とはどのようなものだったのでしょうか(写真:すとらいぷ/PIXTA)

Wii」と「ニンテンドーDS」がなければ、ゲーム業界の30兆円市場は存在しなかったかもしれないとすら思います。そう語るのは、エンタメ社会学者の中山淳雄氏だ。

北米の会社との差がつきすぎてしまい、「あえての技術劣化」という「差別化」に舵を切った任天堂が業界にあたえた影響とはどのようなものだったのか、前編に引き続き中山氏に話を聞いた。

日本のゲームは劣化していった?

日本では、PCゲームはコアな人がやっているようなイメージがありますが、海外ではそうでもありません。日本は、任天堂やソニーの家庭用ゲームが強すぎたせいもあり、近年の潮流になっているネットワークと共同性に優れたPCベースのゲーム開発が欧米や中国、韓国よりも遅れています。


ゲームのトレンドは、2000年〜2010年頃には、マルチプレイやPCベースで多人数対戦するようなものへと移っていきましたが、日本企業は、家庭用ゲームの市場が大きすぎたために、そこに乗れませんでした。

実は、任天堂が「Wii」や「ニンテンドーDS」を出した後、日本のゲームはある意味“劣化していった”経緯もあります。PS2や3などハードの性能があがりすぎて、巨額の開発費がかかるようになるなかで、簡単に遊べて、テクノロジー的には大きなチャレンジをしないもの、という方向に舵を切ったのです。

「枯れた技術の水平展開」と言われ、技術進化にあえてキャッチアップせずにアイデアで勝負したDS時代に国内のゲーム市場は豊かになったものの、世界の誰が見てもわかりやすくすごい、という大作が生まれにくくなったのも2010年前後以降の動きです。

「Xbox」や「プレイステーション」は、映像が映画のような世界になっていき、どんどんリッチですごいものを作ってエスタブリッシュしていく。一方の任天堂は、ハードウェアの性能では追いつくことができない。

そこで任天堂は、差別化をはかりました。ファミリー向けに舵を切り、「みんなと遊ぶ」というインスパイアリングに優れた遊び方の提案をしたわけです。玩具屋としての発想で、遊ぶシーンを想像しながら、面白いゲームを作っていった。DSに続いてSwitchもそうした機種でした。

任天堂のゲームは、フレンドリーですよね。画像も荒いし、ちょっと古めのゲームも多いのですが、やっぱり「遊び」に近い。玩具のように、手に取って直感的にわかるようなすごさがあります。そのような手触り感のあるものを作るというところに、僕は、任天堂のすり合わせ技術(前編を参照)の粋たるものを見る思いです。

任天堂はゲーム人口をもう一度掘り起こした

コロナの後、やはりリアルの場で会うことが大事だという感覚が生まれましたし、任天堂の打ち出す遊び方は、今後も重要なものであり続けると思います。

ソニーは映画を売るやり方、マイクロソフトはPCベースでOSを売るやり方。そこに、任天堂という玩具的な第三極があることは、世界のゲーム業界にとって大事なことと言えるでしょう。

任天堂が弱くなると、逆に、他社も踏み切れなくなるということが起きるのではないでしょうか。任天堂が家庭用ゲームというファミリーゾーン、低年齢層ゾーンで、最初のゲームユーザーを作ってくれるからこそ、「Xbox」や「プレイステーション」などにユーザーが流れていくわけです。

Wii」と「ニンテンドーDS」がなければ、ゲーム業界の30兆円市場は存在しなかったかもしれないとすら思います。次は何ギガだ、何テラだと映像勝負の業界になっていれば、ユーザーは離れていったでしょう。任天堂は、低年齢層への間口を広げて、ゲーム人口をもう一度掘り起こしたのです。

子供は、「アンパンマン」のように線の少ない漫画を好みます。大切なのは、キャラクターがいて、その物語をたどるということです。むしろ解像度を荒くすることが必要であったりもするでしょう。ゲームは、「優しいリアル」でもあるのです。

任天堂は、発表したときの「アハ体験」の大きさで人気を博してきた会社でもあります。びっくりするようなハードウェアが発表されて、そこに、いつも大好きだったマリオやゼルダが、それまでとはまったく違う形で現れる。ハードとソフトのWコンビが成功の確度を決めているのです。

3代目でカリスマ社長だった山内溥さんは、「我々は遊びを提供する玩具屋であって、キャラクタービジネスをしているのではない」ということを明確におっしゃっていました。任天堂の売り上げは、長らく「ゲーム事業」1本。ハードとソフトの違いはあっても、多面的な事業展開をするような会社ではなかった。

しかし、時勢に合わせて変化してゆき、2016年には、初めて「モバイル・IP(知的財産)関連収入等」という項目ができました。キャラクター商品の展開など商品化を広げることにも事業の軸足を広げていこうという姿勢に変えたのです。

これがのちにUSJ「スーパー・ニンテンドー・ワールド」や映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」につながっていきます。任天堂にとって大きな転換点だったのではないかと思います。

コンテンツ事業の海外展開に必要なもの

僕もコンテンツ作りはやっていますが、つくづく、マスにタップすることはこんなにも難しいものかと思います。

「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」も世界中で楽しまれていますが、辺境のアメリカでも知られているかというと、難しさがある。やはり長年アニメ映像やさまざまなメディアで浸透を続けてきた「ドラゴンボール」「ワンピース」「NARUTO」、そして「マリオ」「ポケモン」。この5作の浸透度は段違いです。


アメリカ人からすれば、なぜ「スポンジボブ」が日本ではやらないんだと思うでしょうし(日本人からすると、そんなに目にする機会がないですよね?)、海外市場の末端にまで認知されるというのは、本当に本当に特別なことなのです。

「本当に面白い」というのは、最初に越えるべき基準点でしかなく、そこから先にクリアしなければならないことがたくさんあります。プロモーションが成功し、類似した競合の強い作品が出ていない、コロナ期のように時代的に後押しされる要素もつきものです。あらゆる要素が奇跡のようにまじりあって、初めて大ヒットが生まれます。

その意味で任天堂は、1980年代にアメリカで「ゲーム」という市場そのものをよみがえらせ、その功績によって現在も海外認知度でトップ5に入る「マリオ」のようなキャラクターを、マスの末端にまで届かせることに成功した世界的企業です。それがハリウッド版映画で証明されましたし、今後もゲームだけではなく、映像やテーマパークを含めたIP展開で、新しい「アハ体験」を拓き続けてほしいですね。

(構成:泉美木蘭)

(中山 淳雄 : エンタメ社会学者、Re entertainment代表取締役)