千葉県に存在する「ミステリーサークル道路」の秘密に反響多数!?「理由初めて知った」地図でも異様な「巨大な円形」はなぜ生まれたのか

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周囲から明らかに浮いている「巨大な円」

 千葉県船橋市にある、謎の「きれいな円形すぎる謎の道路」の秘密に、話題が集まっています。
 
 航空写真で見ても、不自然なくらいはっきりと円形になっている、巨大な「環状道路」はなぜ生まれたのでしょうか。

謎の「巨大な円形道路」はなぜ生まれたのか(画像:Google Earth)。

 話題の巨大円形道路は、西船橋駅の北側で千葉県道「船橋松戸線」を囲むように存在しています。

【画像】えっ…!? これが千葉県の謎過ぎる「巨大円形道路」の正体です(14枚)

 円形道路は直径約800mで、地図上でも存在感は抜群。西端をJR武蔵野線がかすめ、近くに中山競馬場や船橋法典駅があります。円形道路に囲われている区画には、行田団地の建物が密集しています。

 ネット上では「千葉に初めて引っ越してきた頃、何だろうと思って実際に現地に見に行きました。ここのそばを通って、カーナビが壊れたかとびっくりしたことがあった」など、昔から不思議物件として地元では有名なようです。

 この謎の道路、いったい何が目的でこんなにきれいな円形になったのでしょうか。

 実はその昔、ここには旧日本海軍の無線基地「船橋送信所」が存在していました。建造当時は海外にも届く強力な電波で、国際化が進む日本の通信手段に使われていましたが、戦時体制が進むと軍事目的に使われ、1941年12月の真珠湾攻撃の合図を送った場所でもあったそうです。

 この送信所が完成したのは1915年。かつては長波無線の技術しかなく、今のように電波塔が1本そびえ立つものではなく、中央の主塔とそれを取り囲むように副塔を何本も立て、ワイヤーを互いに蜘蛛の巣のように張り巡らされて、巨大なアンテナに仕立て上げていました。

 船橋送信所の場合は、副塔が18本ありました。そうして送信所の施設は、巨大な「正18角形」を形成して船橋の田園地帯にあったのです。

 戦争が終わるとアメリカ軍の土地になり、1966年に日本へ返還され、再開発がはじまりました。これらの過程で、敷地をぐるっと囲む道路が何となく円形になり、今に至るというわけです。

 大正時代の通信黎明期の「クモの巣通信所」の時代は長くなく、日本でも建造例はあまり見られませんでした。船橋でその雰囲気を今に伝える存在が、この円形道路なのです。

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 ネット上では「この道路は知ってたけど、なんで丸になったのかは知らなかった」「そもそもの理由は円じゃなくて18角形だったのね」など、分からないまま最後に引っかかっていた誕生理由の謎に、納得するコメントも。

 あわせてこの道路にも思い出がある人が多く、「私の子供の頃はまだ立ち入り禁止だったんじゃなかったかな。
友人の家が近くに何軒もあったから良く行ってた」「ここ探索行きました。民家の間に牛小屋があってビックリした記憶があります」「まあまあ近くなんだけど、まだ一周したことない」「ここ、昔は南北に縦断する一本道無くてみんなくるっと大回りして通ってた」などの声も見られました。