街裏ぴんく「『俺は松本人志や』ってずっと思いながら…」/テリー伊藤対談(2)

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テリー 以前はコンビだったんですよね。

街裏 そうなんですよ。高校の時の同級生に誘われて、コンビで3年ぐらい漫才をやってました。

テリー それは大阪にいた時?

街裏 はい。

テリー ボケだったの?

街裏 最初はツッコミです。自然にボケるよりは、「どういうことですか、それ」とか、結構自然にツッコむことが多いので、なんか自然にツッコミになってました。

テリー それは何で解散したんですか。

街裏 途中からボケもやりたいっていうか、1人でやりたいって思うようになってきたんですね。

テリー ということは、ぴんくさんから解散しようって。

街裏 言いました。「1人になりたいから」ってハッキリ言って。自分が作ったものを、「ちょっとわかりづらいからやめとこうか」とか、判断するのは相方だったんですね。それでフラストレーションが溜まっていったのもありますね。

テリー わかる。自分の感性を止められちゃうからね。

街裏 そうなんですよ。

テリー 大阪生まれだと、やっぱり「ダウンタウン」とかの影響は大きいんですか。

街裏 そうですね。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)にハガキのトークがあったじゃないですか。「松本さん、ゴリラにしばかれたことがあるみたいですけど、その時の話を教えてください」っていうハガキに松本さんがウソついて、浜田さんがツッコむという。あれが大好きだったんですよ。ダウンタウンさんの芸風にも魅了されましたし、それでウソをしゃべるのが好きになっていってという部分もあると思いますね。「俺は松本人志や」ってずっと思いながら、大学4年ぐらいまでは過ごしてました。

テリー コンビを解散して、ピンになりますよね。その時はどんなネタをやってたんですか。

街裏 最初はフリップに情報を貼り付けてツッコむみたいな芸をしてました。例えば、「消防車、皆さん知ってますか。消防車にもいろんな種類があるんですよ。指令を出す指令車、はしご車とか」。で、1枚1枚「なんとか車、なんとか車」ってフリップをめくって、「全部まとめて、1台でやれや!」とかボヤキの芸をやってたんです。「全部赤で見た目一緒やし、ややこしい、誰が覚えれるねん」みたいな。

テリー それはそれで面白いね(笑)。

街裏 でも、情報を貼り付けてるだけやと薄いし、絵がうまいわけでもないし、いつまでもできる芸じゃないなと思ったんですよ。それで1年ぐらいフリップをやった後、「だったらもう、1人で自由にしゃべるか」ってなって、センターマイクの前で1人でしゃべるっていう漫談をやり出したんです。

テリー それは今みたいなウソ漫談だったの?

街裏 いや、当時は見た目が怖いんで、怖い奴を演じる「キレ芸」みたいなことをやってましたね。作家の人とかに勧められて、「いいかもしれないですね」って言ってやり始めたんですけど。

テリー 何にキレるの?

街裏 全然キレる必要のない鳩にキレたりしてました。「鳩、うっとうしい、こりゃー!」みたいな。EXILEに「全員、色黒でお前、歌で『Rising Sun』って言うて、日昇らせて、また日焼けするつもりか、こりゃー!」とか。

テリー 面白いじゃない(笑)。またやってもいいよね。

街裏 そうですか。もういっぺん戻ろうかな。でも、事務所はヒヤヒヤしてるみたいで、あんまりいい顔しないですね。

ゲスト:街裏ぴんく(まちうら・ぴんく)1985年、大阪府生まれ。高校の時の友人と漫才コンビ「裏ブラウン」結成。コンビ解散後、2007年にピン芸人に転向し、「街裏ぴんく」として活動を開始。日常から脱線していく世界観を描いたファンタジックな「ウソ漫談」で人気を博す。3月に「第22回R-1グランプリ2024」で優勝。