手間ひまを惜しまない味は、きっと客にも通じるはずだという(写真:タイコウクニヨシ)

かつて全日本プロレスで「四天王」として活躍したプロレスラーの川田利明氏が経営するラーメン店「麺ジャラスK」。開業から14年経った今も根強い人気を誇る同店ですが、ここにいたるまでには、さまざまな困難に直面したといいます。

開業から3年以内に80%がつぶれるとも言われているラーメン業界を生き抜いた秘訣を、川田氏の著書『プロレスラー、ラーメン屋経営で地獄を見る』から一部抜粋・編集してお届けします。

たしかに「お客様は神様」に間違いないが

「お客様は神様です」という名言がある。

もともとは国民的歌手の三波春夫さんの残した名言なんだけど、いつのまにか、どんどん違った意味で言葉だけがひとり歩きしてしまった。

三波春夫さんがステージから客席に向かって言ったのは、「こうやってお客様が客席を埋めてくれなかったら、私たちはステージに立てません」という感謝の意味を込めた言葉だったと思う。

ジャンルは違うけれど、俺もプロレスラーとして、お客さんの前で闘ってきたから、その想いはよくわかる。

そんなエンターテインメントにおける演者と観客の関係性を指す言葉が、いつのまにか「お客様は神様のような存在だから、誰よりも偉い」と拡大解釈されるようになり、飲食業界でも当たり前のように使われるようになってしまった。

たしかにお客様は神様だ。それは間違いない。

お客さんが来てくださらなかったら、店は存続できないし、本当に大事でありがたい存在で、これはもう当たり前すぎる話だ。

それを我々、店側の人間が言うんだったらわかる。でも、「俺は客だぞ、神様だぞ。俺の言うことを聞け!」とお客さんから言われてしまうと、それはどうなんだろうか、となってしまう。

でも行きすぎた「おもてなし」精神が浸透した今、そういう人が増えているので、それはもう受け止めなくてはいけない。

「客のミス」によるロスが大きな痛手に

以前、「ランチタイムにラーメンを食べた方はカレーライス無料」というサービスを始めたら「無料のカレーだけくれ!」という人がたくさんやって来たことがあるけど、こんなのはほんの一例。とにかく、サラリーマン生活とは違って、常識的な受け応えだけしていればいい、というわけではなくなる。

自分が客としてラーメン屋に通っていた時のことを思い返してみてもそうだが、無意識のうちに「客のほうが偉い」という言動を取っているケースを見かけないかな。

たとえばあるお客さんがビールを飲んでいる時、つい手をすべらせて、コップをひっくり返してしまったとする。

店側には過失はないとしても、基本的に店員は「気にしないでいいですよ」どころか、「大丈夫ですか?」と心配するように声をかけ、代わりのビールまで提供する。テーブルからコップが落ちて割れてしまっても、まったくの不問だ。

実は割り箸は高いんだけど、こぼしたビールで割り箸がびしょびしょになってしまったら、もう使いものにならないから、泣く泣く廃棄処分にするしかない。

細かい話だけど、爪楊枝だって同じだよね。こういう状態になったら、すべて店側が負担するのが、暗黙の了解になっている。

俺が客として飲食店に通っていた時にこういう状況に陥ってしまったら、「すみませんね」とは口にしていたけれども、あとは店員に言われるままにしていた。

よくよく考えたら、あきらかにこっちが悪いんだけど、なんとなく「客のミスは悪くない」という空気がどこの店でもできあがってしまっているんだよね。

いざ、経営する側に回ったら、そういうロスが何気に痛手になる。

さっき補充したばかりの割り箸が一瞬にしてダメになってしまったりすると、その場ではさすがに顔には出さないけど、内心「ああ〜っ」となるもんね。お客さんにコップを割られても、ウチでももちろん請求できないから。

「お客様は神様だ」という意識が生む理不尽

とにかく飲食業や接客業をやっていると、一事が万事、こんな感じになることが多いんだ。挙げればキリがないけど、他にもいくらでもある。

たとえばトイレ。

営業中も定期的に掃除をするんだけど、ほとんどのお客さんはきれいに使ってくれる。でもマナーが悪い人が少しだけいて、ちょっと尿が便座にかかっているなんてかわいいもの。汚い話で恐縮だけど、トイレ中に吐き散らかしたり、大便を床に撒き散らす人もいる。掃除にかかる手間も時間も大変だ。

一般的なビジネスの場合、こちらが常識的な提案をすれば、相手側も常識的な返答をしてくるから、スムーズに話が進む。

でも、接客業の場合「お客様は神様だ」という意識でいる人が多いので、こちらが想定していないような要求をされたり、世間一般で言われるような常識では測りきれないような、ものすごく理不尽なことを言われたりもする。

そこはもう「精神力」でぐっとこらえるしかない。

そんな時はちょっと冷静になって、自分が客の立場だった時に、無意識のうちに理不尽なことをしていなかったかどうか考えてみることだ。「常識どおりに事が進まない」とイライラしていたら、この商売は絶対に続けてなんていけないからね。

俺が声高に繰り返しアピールしたいのは「お客さんは手間を買ってくれない」という点だ。

手間は目には見えない。

目に見えないものにお金は出せない。

じゃあ、いっそのこと、手間をかけるのをやめて、もっと楽なラーメン作りをすればいいじゃないか、と思われる方もいるかもしれない。

でもね、それだけは絶対にできない。

手間をかけていることは気づいてもらえないけれども、手を抜いてしまったら、即座にそれはバレるからだ。お金を払って食べにきているお客さんのシビアな洞察力を甘く見てはいけない。

手間を加えた味からは、もう引き返せない

俺の場合、ラーメンだけでなく、サイドメニューも自分で調理しているから、仕込みの段階での手間はさらに拡大している。

たとえば、ウチの看板メニューの唐揚げ。

揚げるだけで完成、という味も付いた肉を業者から購入することもできるけど、それをお客さんに出したら、すぐに「あれっ、味が変わった?」とバレるし、一度損なってしまった信用は簡単には取り戻せない。

だからこそ、俺は毎日、仕入れた肉を切ることから始めて、しっかりと時間をかけて味付けをする。

唐揚げ専門店だったら、当たり前の工程なんだろうけど、俺は同時進行でラーメンの仕込みもし、他のサイドメニューも同じように下準備しているので、どんなに時間があっても足りないぐらいだ。

一度、手間を加えた味を提供してしまったら、もうあと戻りはできない。効率や原価を優先して、手間をかけずに質を落とすぐらいなら、メニューから削除してしまったほうがいい。それぐらいの覚悟で臨まないと、常連さんですら離れていってしまう。

唐揚げというのは、なかなか大変なメニューだ。下味を付けたら、あとは油で揚げるだけじゃないか、と簡単に考えている方も多いかもしれないが、その油もひと筋縄ではいかない。

天ぷらだったら、常に油を交換して、澄んだ状態で揚げたほうが美味しくなる。値段の高い質のいい油であれば、より繊細に、そしてカラッと揚がる。

ところが唐揚げの場合、油をすべて交換してしまうと、ちょっと味に物足りなさを感じてしまうのだ。唐揚げを揚げた時、その旨みが油にも染み込んでいく。その油で次に揚げると、いい感じで旨みが肉に戻っていってくれる。ひとことでいえば、味にコクが出るのだ。

そして油も高ければいいというわけではなく、肉質にあったものを、自分で試しながら探していく必要がある。たしかにこんな手間はお客さんにわかってもらえるはずもない。

定期的にフライヤーの油は入れ替える。その時にこれまで使っていた油を濾して、旨みがほどよく凝縮した部分も、新しい油に適量、注いであげる。このひと手間で美味しさはかなり変わってくる。

焼肉屋やうなぎ屋で「秘伝のタレを何年も何十年も継ぎ足しています」というのと同じ理屈だ。だから唐揚げに関しては、日々、美味しくなっているんじゃないかな。

手間を惜しまなければ、いつか客にも通じるはず

こうやって手間を惜しまず続けていれば、いつかはお客さんにもわかってもらえる時がくる。俺はそう信じたい。

かけた手間の分だけ、「なんだか無性にあの唐揚げが食べたくなってきちゃったよ」と言われると、コツコツと手間をかけてきてよかったな、と思うのだ。ちなみに唐揚げも大きな利益が出るわけではない。


原価といえば、一般的な指標では、ラーメンの一杯あたりの原価率は平均して、約35%といわれている。わかりやすい例でいうと、ラーメン一杯を1000円で出す場合は350円の原価がかかっていて、650円の利益が出るという計算だ。

ただこれはチェーン店などで徹底的にコストカットした場合の数字だと思う。

ウチみたいにいろいろと手間をかけている個人店ではそうはいかない。唐揚げだって、ご覧のとおり大変な手間と時間がかかっているからね。

俺からアドバイスをおくるなら、「手間も原価もかからないメニュー作りをどうぞ」となる。でも俺は今日も手間を惜しまず、唐揚げの肉の下ごしらえをしている。

(川田 利明 : 「麺ジャラスK」店主、プロレスラー)