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学習塾を経営する会社に就職して社会人を経験したあとに法科大学院(ロースクール)に進学した多田猛弁護士は、"令和初の保険会社"を立ち上げた起業家の顔も持っている。

充実した社会人生活を送っていた最中、自身を可愛がってくれていた社長が亡くなったことをきっかけに、経営者に寄り添える存在として弁護士になろうと決意。「受験のプロ」の矜持をもって、一度の受験で司法試験合格までたどり着いた。

自身で起業してみて気づいたのは、弁護士資格の社会的信用の高さ。「ビジネスの大きな武器になる」と経営者目線で話す多田弁護士にこれまでの歩みを聞いた。(ライター・望月悠木)

●京大法に進学したが「法律の講義はつまらないと感じた」

「小学校の卒業文集になりたい職業として『弁護士』と書いていた」という多田弁護士だが、幼い頃の夢が継続するとは限らないのはよくあること。高校生になる頃にはメディア関係の仕事に就きたいと思うようになっていた。

京都大学法学部に進学したが、法学部を選んだ理由は「なんとなく、文系なら法学部というくらいの意識でしかなかった」と振り返る。

「京大法学部には学科がなく、政治、経済など法律関係以外の講義を柔軟に受講できました。

学部の友だちの多くは、弁護士になるため、司法試験に向けて勉強していましたが、社会を知らない未熟者の私にとって法律は勉強していても実感が湧かず、法律の講義はつまらないと感じていました。

当時はまだロースクールも存在せず、旧司法試験の時代。『司法試験予備校に通わなければ試験に受からない』と言われており、金銭的にも余裕がなく、司法試験を受験しようとは思いませんでした」

●弁護士を目指す転機は「大切な人との別れ」

学生時代に塾講師のアルバイトをしていた多田弁護士は、次第に子どもを教えることに楽しさを覚え、大学卒業後も続けることを決意。上京して学習塾を経営している会社に新卒で入社する。

「社長は『多田を後継者にしたい』とまで言って、父親のように私を可愛がってくれました」

現場で子どもに教えるだけでなく、会社での管理職としてのポジションも経験するなど充実した社会人生活を送っていたが、ある日、社長が命を落とすという唐突な別れが訪れる。

「社長はとても明るい性格だったのですが、亡くなる1カ月前の飲み会で『社長っていう仕事は孤独なんだよ』と小言をこぼしていたんです。

あまり他人に弱みを見せない社長が見せた、おそらく最初で最後の隙でしたが、そのSOSに気付けなかったことにとても後悔しました。

そこで『経営層の孤独感に寄り添える仕事に就きたい』『社長には軍師のような存在が必要』という気持ちが芽生え、弁護士という仕事に興味を持つようになりました」

●「私は受験のプロ、そこまで受験勉強は苦ではなかった」

20代後半というタイミングで、小学生のときになりたいと思っていた職業をあらためて目指すことになった多田弁護士は、社会人として東京にいたこともあり、都内のロースクールへ進学することにした。

ロースクール入学まで社会人として働きながら勉強する方法も考えられた。そうすれば経済的負担の懸念はなくなるが、一方で勉強する時間はかなり限られる。

多田弁護士は、当時勤めていた会社を退職してロースクール入試の勉強に励む道を選び、みごと一橋大ロースクールに合格した。

「学習塾で教えていた私は、言ってしまえば『受験のプロ』。試験こそ違えど、合格するための勉強法は熟知しており、そこまで受験勉強は苦ではなかったです」

一橋大ローを選んだ理由として「(新)司法試験の合格率が高かったこと」「ビジネスロー・コースがあり、第一線で活躍する実務家教員からの指導を受けられること」をあげる。

「東京大学や京都大学のロースクールは内部進学者が多かったのですが、一橋大学は外部進学者の割合が高く、『社会人から進学する私を受け入れてくれるかも』という思いもありました」

●緊張感のある授業「教授の手元で点数がわかった」

ロースクール時代は「第二の青春ではありませんが、とても楽しい時間を過ごしました」と振り返る。もちろん、法律を学ぶことの厳しさもあったという。

「一橋大ローの初代院長をつとめた後藤昭先生の授業は本当に緊張しました。双方向の質疑応答(ソクラテスメソッド)でおこなわれるのですが、学生全員が毎授業1回は必ず当てられ、その答えを聞いて点数をつけられます。

頓珍漢な回答をすれば『マイナス何点』と書かれるのですが、先生の手の動きを見ればプラスかマイナスかがわかります(笑)。授業中は緊張の連続でした」

山本和彦教授(民事訴訟法)の授業も思い出深いと振り返る。

「取り上げた事例に司法試験的な回答を1つ出して『この回答に対して他にどういう考え方があるのか』ということを議論していく形式の授業がありました。

司法試験で良い点を取るためには最高裁の判例を覚えることが定石です。しかし、弁護士は時に最高裁の判例を塗り替える、いわば既成概念を打ち破ることも仕事となります。

1つのケースから多角的な考え方を導き出すトレーニングを積めた経験は、今でも大きく生きています」

●実感した弁護士に対する「社会的信用」

元々、独立志向が高く、経営者としてやっていきたいと考えていたため、弁護士になって早々に勤務先の法律事務所から独立。自宅アパートのワンルームを事務所として登録した。

「本当に早く独立したのでお金もなく、事務所なんて借りられませんでした」

最初は国選弁護の案件を引き受けた。案件をもらうために毎朝「法テラス」に並んだ。一緒に並ぶ"同志"が多い時はくじを引く。週に1件でも受任できれば、生活できるだけの収入にはなった。独立して半年もしないうちに溜池山王に小さなオフィスを借り、2年目には事務所で弁護士を雇うまでに成長した。

「独立してからは経営者が集まる場に積極的に参加することを心がけました。私の考える社会正義の話なども含め、ざっくばらんにいろいろお話しできる関係を築き、そのうえで顧問契約していただいていると思います。今では経営者に寄り添える弁護士に多少なりともなれていると思います」

さらに、スタートアップを含めた中小零細企業が気軽に弁護士に相談できる仕組みを作ろうと、欧米で普及していた"弁護士費用保険"を日本でも定着させようと計画。2019年に令和初の保険会社を立ち上げた。

現在は、保険会社を事業譲渡し、新たに一般社団法人X-Legal協会を立ち上げ、AIなどの先端テクノロジーを使った法務サービスを市民・企業が安心して使えるようにするための活動をおこなっている。AIを活用した弁護士・企業向けコミュニティサイト「LAWBO」の開発がその一つの成果だ。

多田弁護士は、自身で起業してみて弁護士の「社会的信用の高さ」を痛感したという。

「起業したら、役所・金融機関とのやり取りや大企業とのアライアンスのために『偉い人』に会いたい場面が多くあるのですが、弁護士の肩書きがあると、多くの人が会って話を聞いてくれます。そのたびに弁護士という職業に対する社会からの信頼を実感します。弁護士資格はビジネスでも大きな武器になるのです。

ビジネスはすべて契約の集合体ですから、ルールや法律に精通した人が経営陣にいれば、コンプライアンス遵守に役立つだけでなく、クリエイティブな思考で新たなビジネスモデルを構築することにも寄与するでしょう。

また、ビジネスの現場では時に必要なリスクを冒すことも重要。そのときに適切にリスク評価をすることが求められますが、法律家としての知識や経験が最も活かされる場面なのです。実は弁護士は、経営者にものすごくフィットした職業でもあるのです」

また、学習塾でたくさん接点のあった「子ども」たちに寄せる気持ちも強い。

「今では、私が所属している第二東京弁護士会には、都内の小中高校から、法教育やいじめ予防の出張授業のオファーが殺到しています。最近は、いじめ事案に関する第三者調査委員会や、スクール・ロイヤーなど、子どもや学校の問題に携わる弁護士の役割・期待が非常に高まっています。

ビジネスと並行してこうした社会活動にも自由に参加できることが弁護士の魅力。市民や企業と弁護士の距離をもっと身近にして『二割司法』を解消するために、さまざまな取組みにこれからも果敢に挑戦していきたいと思います」

●「もっと多くの若い人や社会人に弁護士を目指して欲しい」

多田弁護士は、法曹養成の問題にも取り組んでいる。ロースクールと法曹の未来を創る会(代表:久保利英明弁護士)の事務局次長を10年務め、ロビイングなど、さまざまな活動をおこなってきた。昨年は『弁護士のすゝめ』(宮島渉弁護士との共著)を出版するなど、弁護士という仕事の魅力を発信し続けている。

「ビジネス分野でも人権活動でも、まだまだ弁護士が足りていないと感じます。多様なバックグラウンドを持つ多くの人材を法曹として輩出するために法科大学院制度ができたわけですから、後戻りせずもっと前に進むべきです。

平成の司法改革以降では、今最も各界からそのような声が高まっているのを実感します。私たちは今を『令和の司法改革』の始まりであると位置づけています。

弁護士という仕事は大変魅力的で、活躍の場が無数にあることを若い人や社会人の皆さんに発信し、ロースクール・司法試験を目指してほしいと考えています。特に一度社会に出た人こそ、法律を学べば社会との関わりが実感できて面白く感じてもらえるはずです。学部生のときにあれだけ法律がつまらないと思っていた私が、一度社会に出たら、ロースクールでの授業が面白くて仕方なかったのですから」