不妊治療の一環として行われる人工授精では、卵子と精子を体外で受精させる体外受精で胚を作り出し、この胚を子宮内に戻して妊娠を試み、使用されなかった胚の一部は破棄されます。ところが、「体外受精で作られた凍結胚は『子ども』であり、完全な人格権がある」とアメリカのアラバマ州最高裁判所が判決を下したことで、今後の不妊治療が停滞する危険性があると報じられています。

Decision - SUPREME COURT OF ALABAMA OCTOBER TERM, 2023-2024 SC-2022-0515.pdf

(PDFファイル)https://publicportal-api.alappeals.gov/courts/68f021c4-6a44-4735-9a76-5360b2e8af13/cms/case/343d203a-b13d-463a-8176-c46e3ae4f695/docketentrydocuments/e3d95592-3cbe-4384-afa6-063d4595aa1d



Alabama Supreme Court frozen embryos decision may imperil IVF

https://www.usatoday.com/story/news/nation/2024/02/20/alabama-supreme-court-frozen-embryos-ruling-ivf/72662533007/

Frozen embryos are “children,” according to Alabama’s Supreme Court | Ars Technica

https://arstechnica.com/science/2024/02/frozen-embryos-are-children-according-to-alabamas-supreme-court/

今回のアラバマ州最高裁判所が下した判決は、体外受精クリニックの入院患者が鍵のかかっていない扉を抜けて貯蔵庫から凍結胚を取り出し、誤って壊してしまった事故に関するものです。この事故で影響を受けた体外受精患者は州法に基づいて、体外受精クリニックを相手に「不法死亡請求」の民事訴訟を起こしました。

不法死亡請求とは、誰かの無責任な行動により不慮の事故が発生し、それによって死亡した被害者の遺族が損失の金銭的補償を請求することです。不法死亡請求を起こせる家族には故人の配偶者や親が含まれますが、このケースでは凍結胚が「子ども」として認定されるかどうかが焦点となりました。

当初、アラバマ州の下級裁判所は「凍結胚は子どもの定義を満たさない」として訴訟を棄却しましたが、州最高裁判所は「体外受精で作られた胚はたとえ生まれていなくても人格権を有する子どもである」という判決を下しました。これにより、凍結胚を誤って壊した人物やその事故を防ぐ措置をとらなかった事業者が、死亡によって生じる責任を負うこととなります。

アラバマ州最高裁判所のトム・パーカー裁判長は判決の中で、胎児を保護するアラバマ州憲法とあわせてキリスト教の信仰を繰り返し引用しました。パーカー裁判長は、「人は生まれる前から神の似姿として創造されました。また、神は神の像の破壊を神への冒瀆(ぼうとく)とみなすので、聖なる神の怒りを買うことなく人間の命を不当に破壊することはできません」と述べました。パーカー氏は共和党員であり、長年の中絶反対派としても知られています。



一般的な人工授精では、ホルモン治療などで卵子の産生を刺激して複数の卵子を採取し、クリニックなどで体外受精を行って作り出した胚を子宮内に移植して妊娠を試みます。人工授精における各段階で失敗する可能性も高いため、採取する卵子や体外受精で作る胚は複数個の場合がほとんどで、余った胚は凍結胚として保管して失敗時の保険になります。

もし人工授精がうまくいった場合、残った凍結胚は将来の人工授精のために残しておくか、妊娠したい他の人に提供するか、研究に寄付するか、廃棄するかを選択できます。アメリカ保健福祉省の2020年の推定では、全米で60万個以上の凍結胚が保管されており、そのうちかなりの割合が出産に至らないとみられています。

しかし今回のアラバマ州最高裁判所の判決は、凍結胚にも「子ども」としての権利があると認めるものです。これは、人工授精の過程で破壊されたり後に廃棄されたりした胚が、不法死亡訴訟の対象となる可能性があることを意味するため、人工授精クリニックや患者に悪影響が及びかねません。

テクノロジー系メディアのArs Technicaは、「医師は余分な胚を作ることに伴う責任を回避するため、胚を一度にひとつしか作らないことを選択するかもしれないし、胚がプロセスを生き延びられなかった場合の責任を回避するため、体外受精の提供を完全に拒否するかもしれません。このことは、ただでさえ経済的にも精神的にも疲弊する体外受精プロセスをさらに悪化させ、体外受精を希望する人々にとって手の届かないものにし、クリニックを廃業に追い込む可能性があります」と述べています。

不妊治療をサポートする団体のRESOLVEでCEOを務めるバーバラ・コルーラ氏は、「これこそ私たちが恐れ、懸念していたことでです。他の州でも同じようなことが起こるのではないかと憂慮しています」とコメントし、アラバマ州でほとんどの体外受精が中止される可能性があると懸念を表明しました。



なお、アメリカ疾病管理予防センター(CDC)が収集した人工授精に関するデータによると、2021年にはアメリカの453のクリニックで23万8126人の患者が合計41万3776回の人工授精サイクルを行い、9万1906人が出産されたとのこと。アメリカでは2021年に生まれた全新生児のうち約2.3%が人工授精によるものとみられており、人工授精の中止は出生率にも大きな影響を及ぼす可能性があります。