20世紀を代表する経済学者J.M.ケインズの『平和の経済的帰結』を、21世紀の現代に読む意味とは(写真:NOV/PIXTA)

世界が密接につながるグローバル経済では、国内の経済状況が悪くなると、自国ファーストが支持を得やすい。とりわけ戦争という国難においては、その傾向は強まる。

1919年の第1次世界大戦終戦直後、敗戦国ドイツに強硬な態度をとる国々に対し、異を唱えたのが、20世紀最高の経済学者とも称されるジョン・メイナード・ケインズである。

本記事では、イギリス経済学を専門とする高崎経済大学経済学部教授・伊藤宣広氏が、ケインズの国際経済観を描いた『新訳 平和の経済的帰結』(山形浩生訳・解説)の現代的意義を読み解く。

敗戦国を再起不能にする「カルタゴ式平和」

『平和の経済的帰結』は、20世紀を代表する経済学者J.M.ケインズが、第1次世界大戦後に調印されたヴェルサイユ条約を弾劾する目的で書いた本である。この本によって、ケインズはジャーナリストとして世界的に名を知られるようになった。


このたび新訳が刊行されたので、本書を読むにあたってぜひ押さえておきたいポイントや背景知識について解説するとともに、改めて、21世紀の現代においてこの本を読む意味を考えてみたい。

まず、第1次世界大戦の幕引きにあたっては、戦後のドイツの処遇をめぐって、フランスによる「カルタゴ式平和」対アメリカの「ウィルソンの14か条」という対立構図があった(54頁)。

「カルタゴ式平和」とは、ポエニ戦争で勝利したローマが、敗北したカルタゴに厳しい賠償を課して国力を削ぎ、最終的に滅亡に追い込んだ歴史的事例にちなんで、敗戦国ドイツを再起不能にするような過酷な講和条件の押し付けを意味する。

フランスがこのような態度に出た背景として、ドイツに対する深い恨みがあった。50年ほど前の普仏戦争において、敗北したフランスはプロイセン(ドイツ)に巨額の賠償金を支払わされた。それだけでなく、プロイセンはヴェルサイユ宮殿の鏡の間でドイツ帝国の成立を宣言するという、フランスにとって屈辱的なセレモニーも行った。さらに、第1次世界大戦の西部戦線はフランス国内が主戦場となり、国土をひどく荒廃させられたという事情もあった。

戦争だから仕方ないと言ってしまえばそれまでではあるが、フランスからすれば、ドイツに対して強硬な態度をとりたくなるのは理解できる。またここで力を削いでおかないと、復活したドイツに復讐されるという恐怖もあったかもしれない。

理想主義的な「ウィルソンの14か条」の敗北

一方、ウィルソンの掲げた14か条は、無併合・無賠償など理想主義的な側面をもっていた。ケインズは、ドイツが無条件降伏したのではなく、当初この14か条を前提として講和を要請していたことに注意を喚起している。

イギリスは、フランスほどの感情的恨みはないまでも、兵士の人的被害の面でも戦費支出の面でもこの戦争で大きな打撃を受けており、ドイツに寛大な提案をすることは考えづらかった。そんな中、ケインズは、ヨーロッパは不可分につながっているため、「フランスとイタリアが一時的な勝利の力を濫用し、いまや降伏したドイツとオーストリア=ハンガリー帝国を破壊しようとするなら、フランスとイタリアは自らの破滅をも招くことになる」(4頁)と警告する。「本書での私の狙いは、カルタゴ式の平和は、実務的にも正しくないし、実施可能でもないと示すことだ」(35頁)。

結局、ヴェルサイユ条約ではドイツが支払うべき最終的な賠償額は確定されず、持ち越しになったが、ドイツには交渉すら許されないうえ、かつてない厳しい条件が課されることになった。

この賠償が従来と違うところは、規模もさることながら、ドイツがどうやって必要資金を捻出するかを連合国側が指示できる点である。これはつまりドイツ経済に最も大きな打撃を与えるようなやり方で任意の資産を接収できるということである。

ドイツの経済力を支えていた基盤は石炭と鉄鉱石であったが、ドイツはこれらの資源の主要産出地を奪われることになっていた(第4章)。ここにも、なんとかしてドイツの再生を阻止し、国力を削ごうという意図が透けて見える。

この賠償案が通ると、ドイツは向こう数十年にわたって、生み出した富のほとんどを吸い上げられることになる。ケインズはこうした方針を痛烈に批判し、「敵国の子どもたちにその先祖や支配者たちの過ちの責任を負わせる権利などない」(177頁)と主張した。

破産の危機に瀕するヨーロッパ

いま一つの論点として、フランスをはじめとする連合国側も相当資金難に困っていたという点がある。フランスは帝政ロシアに多額の融資をしていたが、革命政府が支払いを拒否したため、その債権の多くは回収困難になっていた。そしてフランスはイギリスやアメリカから多額の借り入れをしており、それを返済するためにはなんとしてもドイツから賠償金を搾り取らねばならないという破産の瀬戸際に追い込まれていた。イギリスはイギリスで、フランスなどヨーロッパ諸国に金を貸し、アメリカから借金をしていた。つまるところ最終的な債権者はアメリカであった。

ケインズは、「ヨーロッパは、その困った問題を乗り切るには、アメリカの鷹揚さを実に大いに必要としているので、まずはヨーロッパ自身が鷹揚なところを見せねばならない」(118頁)というが、話はそう簡単ではなかった。アメリカは元々孤立主義的な傾向が強く、ヨーロッパの醜い争いに嫌気がさして次第に関与する意欲をなくしていった。

にもかかわらずその後、アメリカ主導でドーズ案やヤング案という形で対応に乗り出したのは、自国民がドイツに対してもっていた債権を回収するために他ならない。第2次世界大戦の際には、アメリカはかつてない「鷹揚さ」を見せるようになったが、この時点ではアメリカの鷹揚さは限定的なものであった。

ケインズの考える理想的なシナリオは、連合国間の債務を帳消しにし、最終的な債権者であるアメリカが債務の棒引きに応じてくれることだったが、これはヨーロッパに都合の良い提案であり、アメリカに応じる理由がなかった。

この本は、ケインズの名声を高めたが、必ずしもすべての人に受け入れられたわけではない。フランスやアメリカで反発を浴びたことは想像にかたくないし、イギリスの読者でも、なぜケインズが特にゆかりがあるわけでもないドイツにここまで肩入れしたのか、いぶかしく思う者もいた。

ミクロでは正しくとも、マクロでは正しくない

それを理解する手掛かりは、ケインズが若き日にケンブリッジ使徒会でムーアから学んだ「合成の誤謬」という着想にある。これは、個々の観点からみて正しいことが、全体として好ましい結果につながるとは限らないというものである。

ミクロ的観点からすれば、フランスによる報復は、国民感情としてもっともであるし、講和会議で各国が自国の利益を追求するのも自然なことである。するとドイツに賠償金を請求するしかないという流れになるが、そのドイツに支払うだけの金がないという問題があった。ドイツから賠償金を取りたいなら、支払いが可能になるような状況を確保してやらねばならないというのがケインズの主張である。ドイツが金を稼ぐ手段を封殺しておいて、金を出せというのは無理な要求である。金を稼げないなら払おうにも払いようがないからである。

アメリカについても同様のことが言える。債務の返済を求めること自体は正当なことである。アメリカはヨーロッパの債務減免を認めず、返済を要求したが、ヨーロッパには返済にあてる金がなかった。それを得るための手段は、産業を復興させ、対米輸出を増やしてドルを稼ぐことであるが、折しも世界はブロック経済化していき、当のアメリカが高関税を課すことでそれを邪魔してしまった。

対独賠償をめぐっては、ケインズの提示した20億ポンドという数字ですら過酷すぎたという評価もあれば、逆にヴェルサイユ条約がそこまで懲罰的なものではなかったという主張もある。その後の歴史の展開をみると、ドイツは休戦から1923年のフランスによるルール占領までのあいだに、10億ポンド以上を支払っている。この数字だけを見ると、一見、ドイツには意外と余力があるようにみえるかもしれない。

しかし戦前も戦後もドイツの貿易収支は赤字であり、賠償金を払う金などどこにもなかった。ドイツが曲がりなりにも数年間、支払いを続けられたのは、膨大な対外借り入れによってである。その後、当初の賠償案には現実味がないことがわかってきて、ドーズ案、ヤング案による措置を経て、ドイツの負担はある程度軽減されていく。

さらに1930年代にはドイツは世界屈指の軍事大国にのしあがっているが、それはヴェルサイユ条約が寛容だったからではない(ナチスドイツは賠償金支払いを拒否し、巧みな金融上のからくりにより資金を調達して軍備を拡張し、最終的には戦争に持ち込むことで結果的にそれらも踏み倒した形になるのだが、ここでは立ち入らない)。

愛国心と理想主義の両立

『平和の経済的帰結』との関連で想起される現代の出来事は、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻であろう。2024年に入っても終結の気配をみせず、長期化しているが、この戦争がどのような結末を迎えるか、現時点では想像がつかない。賠償という観点から当時のドイツと比較対象になるのはロシアだが、第1次世界大戦後の対独賠償問題と違って、(NATOなどの間接支援による代理戦争的な側面もあるとはいえ)現状、ロシアとウクライナの二国間の戦争にとどまっており、仕掛けた側であるロシアがウクライナに無条件降伏するような未来は想像できない。

西側諸国による経済制裁も、どれくらい効いているのか不明瞭である。ロシアの資源を必要とする国は少なくないからである。もしどこかで停戦がなされるとすれば、条件はその時の情勢や力関係が反映されたものになるだろう。したがって、『平和の経済的帰結』の議論をそのままあてはめるのは難しい。

この本の価値は、必ずしも現代のケースに一対一であてはめてどういう方策をとるかという直接的な示唆にではなく、もっと根本的な問いにある。

国内が困難な状況に置かれているとき、対外的に強気な姿勢をみせる政治家は支持を得られやすい。自国ファースト、自国中心主義はいつでも一定の支持を得られる。しかし自国中心主義はミクロ的視野からの近視眼的な近隣窮乏化政策にほかならず、たいていは他国による対抗措置を誘発するため、それをめざした国が一方的に利益を得る結果にはなりにくい。敵を多く作ってしまう。かといって、国益を無視してあまりに博愛的・理想主義的なやり方で外国に良い顔ばかりしていては、国民が黙っていないだろう。


ケインズは必ずしも綺麗ごとだけを掲げる聖人君子というわけではなかったし、何よりも愛国者であった。しかしケインズは、狭隘な自国中心主義と違って、世界全体にとっての利益を考慮しながら、イギリスの国益をも同時に追求するという離れ業をやってのけた。困難なことであるが、この姿勢には学ぶべき点があるように思われる。

ケインズの師であったマーシャルは、経済学を志す若者に「冷静な頭脳と温かい心」をもつよう求めた。ドイツを国際社会に復帰させ、ヨーロッパに平穏を取り戻すことがイギリスの国益にもなるという診断は、まさにこの精神を体現しているといえるだろう。

今回の新訳は、ケインズの硬い文章を平明でこなれた日本語に訳してあり、非常に読みやすい。この本はこんなに読みやすい本だったかと驚き、訳者の技量に改めて感服した。ぜひこの機会に手に取って一読していただきたい。

(伊藤 宣広 : 高崎経済大学教授)